【双極記録00】 マンホールの蓋

*この記事には自死についての記述があります。ご自身の体調をまず第一に。読み進められそうな方はどうぞお読みください。

 人が自ら死を選ぶという過程は、抑うつ状態に陥り徐々に徐々に死へと向かって落ちていくものではなく、ある日ある瞬間、足元にあるマンホールの蓋が外れ、その穴にすとんと真っ逆さまに落ちてしまうものだと私は思っている。
 これは私が実際に目撃した光景であり、双極性障害を患う自分自身が、もがきながら生きる日々の中で感じる実感でもある。

 長い人生の道のりには、そういうマンホールがときおり現れる。
 世の中には多様な人がいて、マンホールの存在自体を知らずに歩む人、存在は知っているけれどそれを無視して避けられる人、それに怯えながら生きる人たちがいる。
 そしてさらに、マンホールには様々な種類の蓋がある。穴にピッタリと隙間なく収まっている蓋、隙間が少し開いておりそこから穴の深さが見えてしまう蓋、歪に曲がってガタガタ音を立てる不安定な蓋。

 私の足元には、歪な蓋のマンホールがある。それはおそらく、生まれついた時から存在しているように思う。すっかり慣れ親しんだ光景だ。
 現在、繰り返される躁と鬱の荒波に呼吸を合わせるかのように、蓋は、ガタガタと硬く鈍い音を響かせ暴れている。特に夕刻は魔の時間だ。

 本格的に双極性障害の投薬を始めて2年近くが経った。けれど、ちょっとしたストレスで昨年の秋から症状が重くなり、いい塩梅で効いてくれる薬の種類と量がなかなか定まらず、その間に親族の不幸も続いたせいで、今年に入ってからは躁鬱の大波が数週間毎に押し寄せてきている。酷い時には躁状態で早朝に目覚めた1日が、夕方には地獄の抑うつ気分に襲われる日もある。
 この1週間ほど前から、一日に飲める限界量まで薬を増やし、ようやくなんとか眠れるようになってきた。がたつく蓋も、音を立てずにいてくれる日が増えてきている。
 それならば、脳が比較的鎮まってくれているこのタイミングで、記事を書き始めなければと思い立った次第である。いつ訪れるかもしれない底なしの鬱の沼に備えるために。生きていくために。

 同じ障害を持ち、ある日突然マンホールの穴へと吸い込まれていった母親と、同じ轍を踏んでなるものか。そう私は気持ちを新たに、このマガジンをゆっくりと綴っていこうと思う。


この記事が参加している募集

今こんな気分

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?