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休職最初の1週間で学んだこと感じたこと「オヤジと飲み話した内容」「内観まとめ」「映画の感想」「刺さった言葉」など

<オヤジと飲んだときに話した内容>
自分の身体を守るための決断。
すなわち、家族を守るための決断だ。

家は中古を買ったこれでみんなの半額。
そして、共働き。
これで自分は世間の1/4の
借金のプレッシャーで済んだ。

子どもが手がかかる時期に
ある意味自由になったのは、
もっと子どものことを見ろという
メッセージではないかと考えている。

人生で大事なことを見直すいい機会だ。

ローンを組むときは勤続年数が重要かもしれない。
結婚するときもそうなのかもしれない。
でもその時期は過ぎた。
今はお金さえ稼げばいいのだ。
勤続年数は関係ない。

人生のスパイス程度に
夢を買ったと思えばいいのだ。

泥舟を抜けたのだ。
負け戦を抜けたのだ。

恥をかいてでも
傷病手当もらう。
それは家族を守るためだ。
カッコつけてる場合じゃない。

会社は、人生のすべてではない。
未練はない、後悔もない。

朝一番に出勤して、
夜一番最後まで働いて鍵を閉めて帰る。
そして20年勤続して、
無理な会社ってブラック以外に
何て呼べばいいのだ。

70歳まで働く方法を考える、
いい機会なのだ。

出世だってした。
一世風靡もした。
そして飽きられた。
でも、所詮見世物じゃないか。

これは逃げじゃない。
思考停止して働き続ける方が逃げだと思う。
どちらかというと、
仕事に逃げていたのかもしれない。

曲がったままでいい。
無理に真っ直ぐに見せようとしなくていい。
もう、空気なんか読まない。

行動しないことが一番のリスクだし
一番の失敗かもしれない。

もう無理するのは無理だ。

自分を大切にしよう。

老後はみんなにやってくる。
退職もみんなにやってくる。
死について考えるいい機会だ。

正解主義からの脱却なのだ。

コロナで会社も自分も変わったのだ。

本当は、リセットしたかったのかもしれない。

ミッドライフクライシスは、誰でも襲われる。
一度立ち止まって、自分が今いる場所を再定義してみる。
自分は本当にこの居場所を望んで今まで生きてきたのだろうか。
ミッドライフクライシスは、つらいけれど軌道修正をするチャンスなのだ。
「ゆっくりね。負けないで」
ミッドライフクライシスは、変化に対応するための“成長痛”
自分の人生なんだ、自分の性に合っていることをすればいい。
筋力と思い出が大事。
自分のフィロソフィーを持つことが大事。



ミッドライフ・クライシス/鎌田 實

100メートルを諦めたのではなく、100メートルは僕には合わなかったんだ。
100メートルを諦めたのは、勝ちたかったからだ。
手段は諦めてもいいけれど、目的は諦めてはいけない。
踏ん張ったら勝てる領域を見つけることである。
一位になってセンターポジションを取ることよりも、自分の良さが活かされるキャラを打ち出し、そのキャラに合った仕事をきちんとこなしていくことの方が長期的には大事なんだろう。真剣勝負を避けると気づいた時には新しいチャレンジができるタイミングを逃してしまっているのだ。
たかが仕事じゃないか。
僕は人生において「ベストな選択」なんてものはなくて、あるのは「ベターな選択」だけだと思う。

諦める力/為末 大

映画「ファーザー」を見て
老いというものを考えさせられた、
それは、自分自身の老いそして、親の老い。
老いという避けられない問題をこの機会に見たのは
良い刺激となった。
老いてしまう前に、人生を一度見つめ直す必要がある。
身体が動くうちが華そう思えた映画だった。

映画「グッバイ・リチャード!」を見て
余命宣告を受け、落ち込みながらも
自由に自分らしく生きることを選ぶリチャード。
余命宣告なんて受けなくても、
我々だって余命あと40年みたいなもんだ。
生きたぞ!ってくらいに生きなきゃなって思える作品。
どうせみんな死ぬし、どうせ誰も覚えてなていない。
楽しく生きよう。たかが、仕事だ。

映画「余命10年」を見て
人間はいずれ死ぬ。
わかっちゃいるけど、なかなか実感できない。
結局の所、どれだけの「思い出」が作れるか、残せるか。
これがすべてかもしれない。
いつだってできるそんな気持ちでは半分も感じられないのかもしれない。
終わりを意識することで目に、心に焼き付けられるのかもしれない。
私は父親として、人生を楽しむ姿を子どもに見せなきゃと思った。

映画「プーと大人になった僕」を見て
仕事に忙殺されて、ついつい大切なものを忘れてしまう。
大切なものを守るために働くという大前提が崩れ、
いつしか働くことがすべてになってしまっていた自分に気付く。
私も、主人公と同じく、人生の迷子になっていたのだ。
迷子になってもいい、本当の大切なものに気付けさえすれば。
そんな気持ちになせてくれた作品。

映画「バグダッド・カフェ」を見て
まずは、人生を変えるには「そうじ」が大切だと思った。
自分も大そうじがしたくなった。
人それぞれ個性がそれを認め、活かすことが重要だと思った。
そのために努力をそし、練習をする必要もある。
主人公の大柄の女性も、一般的な尺度では決して魅力的とは言えないが、
ありのままの自分を出し、周りから必要と思われるようになっていく。
人それぞれの個性を活かせばいいのだ。
私は私。そのままででいい。自分を活かそう。
そう思えた作品。

内観した内容
<理想の自分とは>
本当に大切な人を大切にし、人の目を気にしないで人生楽しかったとたくさん思い出を作って死ぬ。
<あのまま会社を続けていたら>
沈みゆく泥船にいつまでもしがみつき、もっと苦しく、もっと病み、もっと老いて不利になるばかりだったのだ。眠れない日が半年続いたが、それ以上に続くと考えるとゾッとする。
<私の弱点>
真面目すぎる点。今は短所と捉えているが、時期が来れば長所となるだろう。母親の教育の影響を多分に受けている事に気付く。それを選ぶ自分と正反対な父親。とはいえ、あれだけ反発していただらしない父親にあこがれのようなものを最近感じる。なんとも言えない、因果を感じる。

人それぞれにキャラってのがある。

人間関係の整理をしたかったのだ。

人に好かれよう思ってな、調子のええことを言うたってあかんぞ。
敵なんて、半分おって当たり前で、味方が半分おったら御の字や。
それくらいのつもりでやらんと人生、間違うぞ。

稲盛 和夫

自分のために記録しておきました。

なんしかカッコいい大人になろう。

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