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「言いにたくないこと」、「隠しておきたいこと」を「カミングアウト」することでの心の変化。

私には、思春期の父親との関係性に問題があり、
長年悩みながらも、その点に向き合うことを
避けてきました。

出来れば、
そっとしておいてほしいというか、
触れたくないと思っていました。

けれども、ここを解決しないことには
人生に良い影響を与えられないとも
薄々気付いてはいました。

息子に対してもそのような
過去の私とオヤジのような
相似関係になるのではないか、
自分がオヤジにしてきたことを、
ブーメランのように受け取ることになるのではないか。

そういった恐怖があり、
特に、過去にオヤジが突然退職をしてきたこと
それに伴う憎悪の眼差し。
そして、時が経ちはからずも
同じことをしようとしてしまっている自分への
やるせない気持ち。

そして、妻からも
有給休暇とは言え約1ヶ月間
休み続けている私の行動の変化に
子どもたちは気づきはじめている。
だからこそ、話をするべきだ。
との耳の痛い助言を受ける。

ついに、この時が来てしまった。


<子どもたちへのカミングアウトの恐怖>
私は、長年オヤジへ対し大きな確執がありました。
それは、父の「浮気」や「突然の退職」など、
思春期だった私は父親を激しく嫌悪しました。

そして、父親となった私が今まさに休職している。
図らずも嫌悪していたオヤジと同じ轍を踏む結果となっているのだ。
しばらくは隠してしたのだが、
妻とも話し合いこの休職のことを
子どもたちに説明をする必要が出てきたのです。
しかし、このカミングアウトで父子が逆の立場となり、
昔自分がしていたその嫌悪の目を
今度は私が受けるのではないかという恐怖があるのです。
妻はそんな大げさなことではないと冷静ですが
私にとっては、大きな恐怖です。

<オヤジをなぜ強烈に嫌悪していたかの深掘り>
幼少期、オヤジは私にとって大好きな存在だったのです。
それは、憎悪の眼差しに満ちた私の結婚式前日。
お袋の言った「あんなにお父さんのこと好きやったのに」という言葉に
かつてそんなことがあったと思い出さされました。
常にワクワクさせてくれる存在だった。
一緒にいると何かをしでかしてくれる。
楽しい気持ちにさせてくれる存在、
そしてなにより安心感を与えてくれる存在だった。
距離感がおかしくなったのは、
中学入学と同時期に引っ越しをしてからです。
友人とも離れ、寂しい中で人生ではじめて「イジメ」を受けた。

今まで引っ越す前は人気者を自負していただけに
そのギャップにさらに苦しんだ。
そんないじめられている自分が認められなかったのです。
そのため、引っ越しを計画したオヤジが悪いと、
「オヤジの所為」にして、
オヤジを憎むことで自分の嫌な現実にフタをして
見ないようにしていたのです。

そして、オヤジの浮気。
思春期まっただ中の私は激しく嫌悪しました。

母親の悲しい顔、目の前で家庭が崩壊するかもしれない恐怖。
長男としてなんとかしなくてはという責任感。
そして、隠したい いじめられた負の感情も加わり、
オヤジを敵視することで、自分の気持ちを正常に保とうとしていたのです。
そして、
浪人時代にオヤジが突然「退職」をしてきたことにより、
更なる嫌悪が増すことになったのです。

「大学受験を辞めろ」という発言に火が点き
受験に力が入ったところは正直ありました。
学生の身で正義感だけがあり、
悪者を見つけ徹底的に敵視していたのです。
今思うと、自分の人生の上手くいかないところを
オヤジの所為にして、
見ないようにして逃げていたのだと思います。

ここのあたりを解決していなかったので、
会社でも、上司や幹部と
異常なほど対立していたのかもしれません。
過剰なほどに役割を果たすように期待していたのかもしれません。
憎む相手を作ることは、
苦しい自分にとって、
不都合な自分を見なくて済むので
とても楽なことだったのです。

そして、今なら、わかります。
本当はオヤジのことが好きなのです。
助けてほしかったのです。

だらしないオヤジの反面教師で、
几帳面に育った自分がいる。
なんだかんだで、
だらしないオヤジがうらやましいのかもしれない。
もっとオヤジのように生きたいのかもしれない。
私の中にある、
オヤジそっくりな部分も含め
もっと自由にありのままに生きたいのかもしれないと気付きました。

そして、
子どもたちに休職をすること
を伝えました。


<子どもたちへのカミングアウトをしての感想>
ついに子どもたちに会社を休み、
次の仕事を探すという話を直接することが出来ました。
私のことを嫌いにならないだろうか、
これを機に見る目が変わってしまわないだろうか、
思春期の私のオヤジに対する憎悪の目が
フラッシュバックしてしまいとても怖かったです。

沈黙が怖くてお酒も入り、
言い分けじみた話で沈黙を無理に埋めてしまいました。
お兄ちゃんの涙に焦ってしまい、
さらにさらに話をしてしまう自分がいる。
ショックを受けたようだが
子どもたちはちゃんと理解をしてくれ
素直に受け止めてくれたようだった。
自分の中にあったわだかまりを一旦正直に話せて解消できて良かった。
隠す罪悪感、本当の事を言えない苦しさから解放されたのです。
とはいえ、子どもたちも重い話を聞かされ、
次は子どもたちが抱えることになったものもあるでしょう。
しかし、私の中で子どもたちとそして、
オヤジとの関係も自分の中で
大きな変化をもたらすことになると感じました。

それは、自分の中で口に出したこと、
カミングアウトをしたことによる
悶々とした日の目を見ることのなかった感情の浄化なのかもしれません。

とはいえ、子どもが大きくなったときに
どんな影響を与えることになったのかが
少し気になるというのが本音です。
それだけに自分はこの時期を無駄にせず、
この時期があって良かったよと言えるように
良い人生を歩まなければいけないと決心したのです。

これを読まれた方からすると
そんな些細なことと思われるかもしれませんが
私にとっては過去の大きなトラウマが関係する
大きな決断が必要なカミングアウトでした。
話すことによる心の浄化。
知らせたことによる安堵。
知られたとことによる諦め。
一歩踏み出したことによる自分への信頼。

など、プラスの面があったと実感しています。

そんな、私の経験談をシェアさせていただきました。

なんしかカッコいい大人になろう。

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