房思琪(ファン・スーチー)の初恋の楽園
日本のみならず、アジアには私がまだ知らない優れた文学がたくさんある。
最近読んだ本では、韓国の作家・ハンガンさんの『菜食主義者』という本を読んだ。この本を知ったのは朝日新聞の彼女のインタビューがきっかけ。
ハンガンさんの作品は、他のものもこれから読む予定で、本棚にスタンバイしている。
そしてもう一つ。
房思琪の初恋の楽園という台湾の小説だ。
はっきり言う。
もう二度と読み返したくない。
いや、私には読み返すことができない作品だと思う。
この小説は台湾で2017年に出版されたが、その2ヶ月後に著者であるリン・イーハンさんが自殺。
『これは事実をもとにした小説である』と著者が明記していたこともあり、著者の実体験なのではないかと台湾社会に大きな衝撃を与えたことを訳者があとがきに記している。
タイトルだけを見れば、美しい初恋物語なのだと思うだろう。だが、実際は13歳の少女が父親ほど年齢の違う塾講師の男に強姦され、その男を愛した少女の物語だ。
この小説を読んでいると、ジャニーズ性加害問題と容易に結びつく。未成年者への性暴力、グルーミングがいかに巧妙な手口で行われるか、社会的に権力のある大人がいかに用意周到に周りの大人たちを丸め込み、事実を隠蔽するのかがわかる。
少女たちを襲う塾講師の男の描写がとにかく醜く、何度も本をひっくり返して深呼吸をしなければ読み進めることができないほどだった。しかし、こんなに苦しいのにページを捲る手を止められず、数時間であっという間に読み終えてしまった。
物語には、スーチーの魂の双子であるイーティンという親友と、イーウェンというお金持ちの家に嫁いできた美しい女性が登場する。イーウェンは誰もが羨む結婚をしながらも、実は夫の暴力を受けながら生活している。
皆さんは、なぜ被害者は暴力から逃げられないのだろうと思うかもしれない。
私自身が性暴力と精神的暴力を受けてきた経験者として、「なぜあの時逃げられなかったのだろう。」と自分でも不思議に思うのだが、本当に逃げられないのだ。そして私を暴力に縛り付けていたのは、『愛』という言葉だった。
物語のスーチーは恋が何かも知らないまま男に襲われ、その男の思うがままに体も魂も弄ばれる。
男はスーチーに言うのだ。
「君を愛している。僕をこうさせたのは君の美しさのせいだ。」
こうして被害者に罪の意識を持たせ、共犯者にしていく。愛を知らないまま、その男を愛することでしか自分を維持できないスーチーに、私は自分の昔の姿を重ねた。暴力を受けることによってしか愛を示したり確認したりすることができないのは当事者にとってはただ虚しく、何度も自分を殺される行為である。
私もスーチー同様、愛を知らずにこれまで生きてきた。
性暴力やDVをする加害者にとって被害者は人ではない。よくて人形、最果ては物として扱われる。そこにあるのは愛ではない。自己顕示欲と身勝手で歪んだ認知だ。
この小説には一筋の光も見えない。
暴力の果て、ついに常軌を逸してしまったスーチー、憧れの先生と親友がただならぬ関係だと知り、スーチーを罵ったイーティン。イーティンはその後スーチーの日記を見つけ、親友が男に襲われ続けていたことを知る。
彼女のたちのお姉さん的存在であったイーウェンは、夫の暴力から逃げ出すものの、自分にしか気が回らずスーチーの心の叫びを聴いていなかったと自分を責める。
スーチーだけでなく、この二人もまた重い十字架を背負って生きていくのだ。
それなのに加害者は何食わぬ顔で日常を送り、次の獲物を見つけ、その少女をズタズタに切り裂いていく。
この小説の唯一の救いは、著者の繊細で緻密な文章だと思う。蝶がひらひらと舞うかのように主語が変わり、一つの出来事に対して様々な人物の思いが紡がれる様は、まるで繊細な絹織物を見ているようだった。そして、美しい3人の女性たちの純粋さと、いたるところに散りばめられた様々な文学作品の引用もまた、私の心を緊張から解いてくれた。言葉とはこんなにも美しく、そして残酷でもある。
著者はその後世界的な運動となった#MeTooを見ることなくこの世を去った。YouTubeでインタビューを見つけたが、本当に美しい女性で、繊細な言葉を力強く語る女性であった。彼女が生きていたら今何を語っていたのだろうと想像したりする。
日本では日本版DBS法が今年6月に成立、交付された。
性犯罪は対岸の火事ではない。
私たち一人ひとりが、スーチーであり、イーティンであり、イーウェンである。そして加害者の男もまた、この世界には存在している。
物語を読み終えて、私は自分がまだ全然前に進んでいないことを思い知った。そして、これからもあの瞬間から動けないままなのだろう。肉体は衰えていくのに、まだ幼いまま世間から取り残されていく私は、次第に周囲とのズレを感じ始め、あらゆる人と距離を置くようになった。
そんな気持ちのまま、著者のあとがきを読んだ。あとがきは『天使を待っている妹』と始まる。
彼女は10代の頃から精神疾患を患い、何度か自殺を試みている。
ある日精神科医に、「こんなことを書いても何の役にも立たない。」と彼女は言う。この話が実際に起こったことであること、そして自分には書くことしかできないこと、読者が読んでいる間にも女の子が傷つけられていること、書くことしかできない自分がとにかく憎いと嘆く。
しかし彼女の主治医はこう言うのだ。
孤独の中にいる私は、溢れる涙をしばらく止められなかった。
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