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Salut, Corinne!

4月期からのドラマの中で「salut」
と言うフレンチレストランが出てきた。

この言葉を聞くと思い出す女の子がいる。


若かりし頃、外国を回ってた時、スイスのシオンという町で出会った女の子。


スペインの夜行で寝てる間に、ジャケットをナイフで切られ内ポケットの財布を盗まれて、スイスの知り合いのトコに転がり込んで、そのまた知り合いのレストランでバイトさせてもらった。


そこのオーナーの娘さん。

まだ9才かそこらだったと思う。
いつも金髪をなびかせて、「Salut!」とみんなに挨拶してた。ホントに可愛いかった。

そこから派生して思い出すのは厄介になっていたコリンの家。そして勿論、コリン。

初めてお邪魔したのは、ひょんなキッカケから。イタリアを回っていた時、ミラノのユースホステルで知り合った中国の人と話してた。いつもの会話。
「どこに行って来たの?これからどこ行くの?」
すると「これから生まれたばかりの娘に会いにスイスに行く!」
「私も行きたい!ついて行っていい?」

着いた先は丘の上に古城のあるフランス語圏のこじんまりとした町。
すぐに気に入った。

赤ちゃんはホントにまだ生まれてそう長くなく、これまた可愛い。スイスと中国のハーフの子。父は船乗りで初めてのご対面。今で言うパートナーで母とは結婚していない。

最初の時は2、3日泊めて貰って観光して、次の目的地に移動。もちろん連絡先は貰ってた。

まさかお金を盗られて、また戻って来る事になるとは。

働くにはやっぱりスイスだよねと
モロッコ、アルジェリア、チュニジア、イタリアを経由してどれだけの人の親切に頼ってヒッチハイクでやっと辿り着いたら、なんと留守。

確かに電話はしてなかった。
でも夜だよ、居ると思うじゃない。
これから宿を探す気力もない。
家の周りを回って、開いてる窓の下に台代わりのモノに乗ってよじ登り入った。

なんせ前にも来てるから、地下の保育園でとりあえず雑魚寝。夜中、コリンが帰って来た音は遠くに聞こえたけど、疲れて起きられず、朝方早く起きてまた窓から抜け出して、ピンポーン。

理由を話して厄介になる事に。
保育園を経営してるコリンの家には
エジプト人のメイドが居て、シッターは間に合ってるという事で、お友達のレストランのオーナーを紹介してくれて
お店で皿洗いとオーナーのアパルトマンの掃除をすることに。

もちろんフランス語は こんにちは、ありがとう、さようなら、〜はどこ?英語でお願い!と旅に使う言葉しか知らない。

皿洗いは手早くやれるし、給仕も出来る。でも小さな町だから「何、あの中国人?」って、私の事言われてんなぁとは目線で分かる。

それでもみんな優しかったし、オーナーの家はさすがスイスのお金持ちって、お洒落で最新の薪ストーブがあり、カッコいいしね。寝室に落ちてるカラフルブリーフさえ「おおっ」って感じ。

コリンの家でも出来るお手伝いはしてた。だからご飯も食べさせて貰って、その上お小遣い程度には貰える約束。

コリンはあんな田舎町でも自由な発想で生きてた。
だから船乗りとの間に子供を設けて、よくボーイフレンドとお出掛けしてた。

私がモロッコの首都で厄介になった
フランス人の母とモロッコ人の父の家の子に「スイスで働くつもり、フランス語圏なんだ」と話してたから、働かせて貰えてるって手紙を送ったら、その子が会いに来た。

その時、エジプト人メイドの子が
「どういう関係?」
「友達」と言うと
「嘘だ!だってコリンも「Mon ami」って言うもの」って。
いやいや、コリン、、私は何もねーよ

それでコリンに車借りて、ちょっと観光。やっぱり左ハンドルに慣れてる方がって私は運転しなかったんだけど、事故っちゃってね。
ま、サイドミラーが当たって壊れちゃっただけだけど。
コリンは大丈夫って言ってた。

ある時はコリンの友達がパリから遊びに来た。さすがパリジェンヌという出立ち。庭でランチの間中、コリンの眼差しが違う。コリンにとって憧れの人なのが分かる。

アメリカ留学先での友達のパリジャンにパリで会ってディナーしたけど、彼女がやっぱり綺麗で素敵な人だったもんなぁ。

でも私は田舎暮らしで自分をもって頑張ってるコリンも好き。

今となっては日本でもお馴染みのラクレットは、焚き火に半円チーズをかざして、茹でたジャガイモにぶっかけて食べる田舎らしい形が好き。本気であの半円買って帰ろうと思ってたもの。
目ん玉飛び出るほど高いから諦めたけど。

一度コリンと話してたら
「スイスでもシングルマザーで生きていくのはやっぱり大変なのよ」とこぼしてた。30年以上前とはいえ、ヨーロッパなのに、田舎だからかなぁと色々考えた。

ウチの子たちもイタリアに居ると、やっぱりイタリア人じゃないねと言われ、日本に居ると日本人じゃないねと言われていたが、それで悩む子たちもいたんだろう。日本で知り合ったアルゼンチンの友達の娘さんが「中途半端だから」と言ってた。

今や芸能人やスポーツ選手にもハーフの子が増えて、当たり前となったのかも知れないが、子供が小さい頃、保育園の先生が「今はいっぱいいますもんね!」って。「じゃあ、あなたの周りに何人います?」と訊くと返事なし。
そんなもん。TVからの情報で全てを知ってるように話される人もいる。

この前公民館の掃除に行った時、一昨年引っ越して来られた方と話してて、
「実は友達のお孫さんがアメリカとのハーフなんだけど、母娘でこっちに帰って来て、学校でいじめられてるのよ。友達が悩んでて、、」と。
思うことはお話した。

結局、あの時は2ヶ月くらい居た。
ホントにフランス語オンリーだから、ようやく少しずつ話せるようになってきてたのに。

出て行く前に、コリンが私に言った。
「手伝ってくれた分のお小遣いは渡せないわ。理由は分かるわね」

そう、分かってる。
実は内緒で電話借りて、旦那と話してた。その時は彼氏か。
ヨーロッパは地続きでよその国への電話代安いの知ってたから、こっそりと。
やっぱりバレてた。事故もあったし。

一枚も二枚も上手でした。
ありがとう、コリン
いろんな事、教えて貰った。

子供達が巣立ってしまった今
もう一度会いたい人が沢山いる。
世界中で助けてもらった。
恩返しが出来るかは分からないが、
もう一度感謝を伝えたい。
恩返しは必ずしもその人にではなく、
次の人や世代に返せばと思ってるし、
要するに、会いたい!

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