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痛みに共感しすぎることと、距離を保つことの話

友人の痛そうな話

先日、友人たちと話している時にこんなことがありました。

友人(仮にAとします)は手術を受けたそうで、その時のことに話題が及びます。

話に聞くだけでもとっても痛そうなのに、なんと部分麻酔だったというのです。

手術されているのは感覚で分かる(痛くないだけ)し、いろんな器具が立てる恐ろしい音も聞こえている。

そんな情景を話されて、私はとてもじゃないけど話を聞き続けることができそうにありませんでした。

自分のことのように考えてみると、あまりに痛そうで耐えられなかったのです。

ところが「うわああああ、もう無理いいいい」となる私に対し、もう1人の友人Bは冷静に一言。

「いやいや、他人(ひと)の話だよ」

その言葉で、私は冷静さを取り戻すことができたのです。

距離感を保つことの大切さ

自分に何が起きたのか、冷静になってから急に悟りました。

人の話に共感しすぎていたのです。

手術を受けたのは、友人A。

部分麻酔で恐ろしい音を聞いたのも、友人A。

けれど私は自分に引きつけて考えるあまり、まるで自分も同じ経験をしたようなイメージにとらわれてしまったのです。

それを、友人Bが引き戻してくれた、というわけでした。

友人だろうが、家族だろうが、一定の精神的距離感を保つことは大切です。

すべてのことに自分のことのように共感していると、とても地球では生きていられなくなるでしょう。

一定の距離を保つことって、薄情なこととは違うんだと、最近になって深く理解できるようになってきました。

「痛かったね、辛かったね」と言えることは大切。

けれど、それだけでは人を助けたり、支えたりすることはできなかったのです。

痛みに共感するだけだと、自分も一緒に落ちこんでいってしまうから。

「さぞ痛かったんだろうな、辛かったろうな」と相手の心情に思いを馳せつつも、自分は一定の距離を保ち、冷静な判断ができる状態でいる。

一緒に落ちこみすぎて、判断力を鈍らせない。

いざという時に大切な人を支えるためにも、必要な心得だと思いました。

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