人前で歌えない僕、友だちとカラオケへ行く
友達とカラオケへ行ってきた。
2次会のなりゆきではなく、カラオケを目的としてカラオケ屋へ行ったのは実に5~6年ぶりにもなる。
ではいつもはひとりカラオケに行っているのかというと、僕は滅多にカラオケ屋に行かない。
人に歌を聞かれるのが極端に苦手なのだ。
小さい頃は、歌うことはなんでもなかった。
むしろ車に乗ると大声で熱唱するタイプ。歌っていれば苦手な車酔いが起こりづらいし、親も熱唱していたので「そういうもの」だと思っていた。
さらに幼馴染の話によれば僕たちが3~4歳のころ、僕が公園のすべり台の上で「ぞうさんのうた」を熱唱しているのを見て「将来大物になる」と思ったという。
変化が訪れたのは10歳の時だ。
当時の僕は急速に他者視点を獲得している最中で、自己肯定感が低いこともあり、批判多めな客観視を自分に課していた。
自分とは異なる物の見方、感じ方をする他者がこの世に大勢存在していることに急に気づいて、その予測できなさに圧倒されていたのだ。
「こういう言い方をしたら、傷つくひとがいるんじゃないか」
「いやいや、だからといって別の言い方をしても嫌な気持ちになる人がいるんじゃないか」
どんなに気をつけていても、発した言葉や行動が誰かを傷つけてしまう可能性は存在し続ける。
その、僕の配慮が及ばない感じ、完全に気をつけることができないことに、大きなストレスを抱えていた。
「何を言って良くて何を言ってはいけないか、全然分からないじゃないか!」
よく心の中ではフラストレーションが爆発し、「話したいのに、誰も傷付けたくないから話を切りだせない」ジレンマと戦いながら生活していた。
話を歌うことに戻そう。
そんなジレンマを抱えていた10歳のある時、僕は親の運転する車で高速道路を走っていた。
その時脇を追い抜いて行ったワンボックスが、大音量の音楽を音漏れさせていた。
音漏れワンボックスは、よく見かける。10歳以前にも見かけたことがあった。
初めて見るものではないのに、10歳の僕たちは初めての感覚を抱いた。
「あの車に乗ってる人たちは、中で大音量で音楽を聴いているんだ。音が大きいから外にも聞こえちゃうんだな。
……ってことは僕が大声で歌ってるのも、ああやって外に漏れて他の人に聞こえてるってこと⁉」
視野の広がり、とでもいうべきか。
走る車がただの風景ではなく、「他者が乗っているもの」だと気づいた。そう、世界にはすぐそばをすれ違うのによく知り合うことはない、数えきれないほど大勢の他者がいるのだ。
気づいたら突然、恥ずかしくなった。
直前まで熱唱していた僕の声は、今周囲を走っている車に乗る人々に聞こえていたのではないか。
彼らの耳に届いて、何らかの感想(子どもが歌っている/微笑ましい/うるさいetc.)を起こしているのではないか。
僕の行動が、意図しないうちに他者に(何らかの感情を起こすという)影響を与えてしまう。
その影響がポジティブかネガティブかは、僕にコントロールすることができない。このことに、前述と同じジレンマとストレスを感じたのだ。
以来、僕は大声で歌うことをやめた。
「他者に聞かれる」という同じ自由で、カラオケにも行けない10年ほどが続いた。
みんなが歌う場所とはいえ、カラオケ屋も各部屋が完全防音というわけでもない。廊下を進んで、扉の前を通りすがったら中の音がなんとなく聞こえてしまう。
ではひとりカラオケに行けば良いではないかと思うが、僕は人の目を気にしてしまうので、受付の人や、カウンターで鉢合わせた他のお客さんに「うわwwwひとりなんだwwww」と思われる気がして、そもそもカラオケ屋に入って受付を済ませることに多大なるプレッシャーを感じていた。
……と、いう話を友達にしたら「じゃあ今度2人で行こうよ」ということになり。
ここからは拍子抜けするほどあっさり進んだ。僕は「カラオケに行けない」という問題を飛び越えることができたのだ。
僕にとって「ひとりでカラオケ屋に歌いに行く」よりも「友達の前で下手な歌を披露することになるかもしれない」ことの方が嫌だった。
そこで約束した日の前に、2回ほどひとりで練習しに行った。
最寄りのカラオケ屋の会員になり、ちまちまとポイントを貯めクーポンもチェックした。
僕がカラオケ屋から足を遠退かせている間に時代は変わり、おひとりさまプランみたいなものもできていた。
カウンターでは奇異でもなんでもないように「おひとりさまですねー」と受付が済んだ。
こうして友達のおかげでカラオケ屋のハードルを越えた僕は、「友達の前で緊張せず歌えるか」のみを心配すればよくなったのである。
そうして迎えた当日。
結論から言うとめちゃくちゃ楽しかったし、久々に2人以上で行ったカラオケの連れが彼女で良かったと思った。
僕には流行りの曲を練習しておくという興味関心がなかったため、もっぱらQUEENで通していたのだが、この友達は褒めるのがとてもうまい。
「歌ってみた投稿できそうなくらいうまい!」とか「ちゃんとイギリス英語の発音だー!」とか。
ありとあらゆるポジティブな感想を口に出してくれる。
おかげで序盤に自信をつけ、交互に歌いながらずいぶん長居をしてしまった。友達も楽しんでくれていたようなのでうれしかった。
今回の出来事のおかげでひとりカラオケのハードルを越えられたので、僕はこれからも発散したい時にカラオケに行けると思う。
歌うことはもともと好きだし、やはり熱唱は楽しいから。
僕の中で勝手に高くなり続けていたハードルを、一気に下げる機会を作ってくれた友達に感謝している。
もしまた一緒に行ってくれる機会があったら、Deep Purpleをたくさん歌えるようにしておくからな!!!
文責:直也、翔
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