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そういえば、僕たちは面倒臭がりだった。
どうも。直也です。
パートナーから「よく『面倒臭い』って言いながら用事を片付けてるのを見るのが面白い」と言われて、はっとした。
急に思い出した。
僕たちは面倒臭がりだったのだ。
とは言っても決して怠惰なわけではなく、「面倒臭い」と言いつつもやることで「面倒なのにやる自分、えらい!」な図式を自分の中でつくりあげて気持ちを奮い立たせているというか。
とっさに出てきた「面倒臭い」という感情を声に出すことで体外に排出し、やる気に転換しているというか。
すごく雑な言い方をすると、僕たちの「面倒臭い」は立ち上がる時の「よっこいしょ」に似た効果を持っている。
……のだが、僕たちは長らくこの小さなキーワードを封印していた。その自覚もなく。
僕の「面倒臭い」は感情の排出が目的で、それをやってから動いても大丈夫だと思っていたのだが、幼いある時親の機嫌が急に悪くなって「面倒ならやらなくていい!」と言われてしまったのだ。
その前にも別の状況で心情の吐露を叱責されたことがあり、僕たちは「言わない方が安全なんだ」と学んだ。
以来「面倒臭い」と感じても口には出さず、出られないから胸のあたりに溜まった苛立ちで精神を腐らせながら生活していた。張りつめていたのだと思う。
転じてパートナーの前では気楽でいられるので、生来の癖が戻ってきたのだろうと考えている。ここは安心して自分でいられる場所なのだ。
パートナーは怒ることも、用事を横どって不機嫌さをアピールしながら済ませてしまうこともなく、ただ面白いと言って僕を楽しんでくれている。
とてもありがたいと当時に、過去の生きづらさを強く意識した。
一方でこの癖を認識できたことを幸いに、僕はこれを自分より年若い人の前ではやらないと決意する。
認知が歪んでしまっている僕のような人間、そして繊細な子どもの中には、きっと共感性を発揮して「自分がやらなきゃ」「気づかなくてすみません」と自分を責め、その人の仕事ではない用事まで背負い込んでしまう可能性があると思ったからだ。
パートナーの確固とした自分軸と健全な境界線に助けられ、僕はこれまで言えなかったぶんの面倒臭さを吐き出させてもらっている。
もしも心に溜まった「面倒臭い」が綺麗さっぱりなくなったら、僕はこの癖から卒業できるのだろうか。
……と、書いている間に洗濯が終わったらしい。
面倒臭いが干してこなければ。
それでは今日はこのへんで。
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