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【最終話】4 星の彼方から君を愛す

前の話を振り返る



半年前のことなのに、細かいところまではっきりと、見ようとすればするほど詳細に思い出せる。
あの苦々しい1回きりの邂逅は、私にとってあまりに大きすぎる衝撃だった。

自分の子供のことを、あんなに悪く言う人がいるなんて。

君はあの人が言うような、不気味な人間じゃない。
あの場ではっきり言ってやれなかったことが悔しい。
自分もあの人に無言で同意してしまったような、煮え切らない苛立ちと自責。

家族の話をしたときの、君の寂しそうな笑い方を思い出す。
今さら君の感情に思いを馳せて、苦しくなった。

君は小さい頃から、ああやってあからさまに指定されて育ってきたの?
君が悪いと言われ続けて、それがセルフイメージとして染み付いてしまって、だから誰とも馴染めなかったの?

もし、そうだとしたら……。
想像もつかないほど、悲しすぎる。

呆然と電車に乗って、なんとか家に帰り着いた。
暮れていく街を歩きながら、私は同じ場面を何度も何度も思い返す。
つまり、困ったように笑った君の顔。

最後に見た君の顔。

私の記憶に残る最後の君が、あんなに寂しそうだなんて。
もしかして君は、家族の話も友達の話も、本当はしたくなかったんじゃないの?

話を打ち切りたくて、疲れたことを言い訳にして、私を帰らせたんじゃないの。
私は実態を何も知らないで、君を悲しくさせる話題を続けてしまったんじゃ……。

最低だ。

私は最低だ。これは私への罰だ。
君とちゃんと話せなかったことも、お別れが言えなかったことも。

ごめん。
ごめんね。

今さらのように沸き上がった罪悪感は、もはや一生誰にも許されないものになってしまった。
重い。
眠れない。

君に謝りたい。

どうにかして、君に謝りたい。

叶うはずのない一方的な願いが、今日も私を離さない。
それで私はまた電話をかけようとしてしまう。

眠れないから電話をかけるのか、電話をかけたいから眠れなくなっているのか、いつからか分からなくなっていた。


「――僕は、怒っていないよ」

君のまるい言葉が耳を打つ。
え、と思ったのがただの息遣いか、言葉になったかも定かではない。

君は言い聞かせるようにはっきりと、また言った。

「僕は何も怒っていないよ。だって怒る理由がないじゃないか。
あれは全部、僕が選んだことだったんだから。
君に詳しいことを話さなかったのも、君のいないところで終わることも。
君がいたら、悲しませてしまうと思ったから。
『行かないで』と嘆かれながら逝くなんて、僕にはとてもできない。ただ死ぬよりもっと痛ましい。
ある意味、これは僕の都合だね。僕のほうこそ、君に謝るべきかもしれない。
でも、だからね、君は何も謝らなくて良いんだよ。
君は、何も悪くない。
言うなれば彼らのもとに、僕らしさを隠さず生まれようと決めたのも僕なんだから」

「……どういうこと?」

「君が想像した通り、僕は1人で居ることが多かった。
家族は皆、僕とはまるっきり違う。
友達も、先生も、だれも。
だから僕は本を読むことを覚えた。
本を開けば僕と同じように、深い洞察を重ねた人たちが大勢いる。
現実の友達が多くて多くても少なくても良い。
僕には本があればよかったんだ。」

「でも、どうしてわざわざそんな生まれ方を……?」

もしもいつ、どこに、どんな風に生まれるかを自分で決められるなら、わざわざ悲しい場所と個性を選ばなくても良いんじゃないだろうか。

意図をはかりかねる私に向かって、君は一片の後悔も感じさせずにこう言った。

「君と出会うため」

心臓が跳ねて、キスでもされたみたいに何も言えなくなる。

君と出会うため。

君の声で語られたそれが本心なのだと、声を聞けば悟ってしまえた。

「僕は君と一緒に過ごしてみたかったんだ。
同じ本を読んで、面白かったと笑い合いたかった。
君の幸せそうな顔をそばで見たかった。
僕の肉体の手放し方のことで、君には悲しい思いをさせてしまったかもしれないけど……。
今まで話してきた通り、僕は元気だ。
ここから君の人生を見守って、いつでもそばにいることができる。
単に、姿が見えづらいだけさ。
見ることだけが、存在を感じるための手段じゃない。
君の肩に手を置いたときのかすかな重さ、隣を通った時の空気の揺らぎ――他にも方法はたくさんある。
君が1人じゃないと感じられるように、あらゆる手を尽くすつもりさ」

部屋にとどまる夜の空気がゆるく動いて、隣に誰かが座るときの気配を感じたように思う。
君が言ってるのはこれのことなのかな。
君は今、私の隣に座っているの? 
遥か遠い星空を超えて、私たちは隣り合っているのだろうか。

景色が良いというマンションの壁によりかかって座り、スマホに似た電話機を耳に当てる君を想像する。

「だから、どうか悲しみすぎないで。
僕は何も怒ってないよ。
むしろ君の幸せを願っている。
君を1番近くで見守り続ける。
僕たちは遠くて近いんだ」

カーテンの隙間から、碧い光が漏れてくる。
刻々と明るくなる。
近づいてくる朝の足音。

私はごく自然に悟っていた。

いつも目を覚ます時間になったら、きっとこの電話は切れてしまう。

君との会話が終わってしまう。
もうこの形では繋がれない。

どうしても言っておきたいことがあった。

「ねえ」

「うん?」

「この先、私には幸せがあるのかな。今は想像もできないよ。
でもね、これから先どんなことが起きても、これだけは確かなこと。
君ほど好きになれる人なんて、きっと他にいないよ」

ふふ、息を吐く音。
君は、きっとまた照れ笑っている。

「ありがとう。僕も、そうだよ」

そうして私たちは黙りこむ。
世界が目を覚ましていく、気配にも近い音に耳を澄ます。
もう1番伝えたい事は言ってしまって、心もいっぱいなのに、名残惜しくって手放せない。

君は今、遠い星でどんな景色を見ているの?
私にやってくる幸せってどんなだろう。
君といる以上の幸せなんて、今はその存在さえ信じられない。
もしそれを信じられ、次に私が「幸せだ」と感じるようになるのはつまり、君を失った痛みが和らいで、次第に忘れていってしまう前触れなんだろうか。
いや、違う。
君は終わってない。
私の幸せを願ってくれている、私をずっと見守ってくれている。
飲み下した情報が少しずつ消化されていくように、1秒が積み重なるごとに、私は理解していく。
変わっていくことと、変わらずそこにあるもののことを。

次第に心が安らいで、肩から力が抜けていった。

カーテンの外は、どんどん移り変わって朝に近づく。
青みがかっていた光は白を増して、きっと今にも黄金色の太陽が強い光を投げこんでくるだろう。

思い出したように、携帯を耳から話す。電話はいつの間にか切れていた。

とっさに身構えたけれど、私は寂しさを感じなかった。
それどころか、満ち足りている。
遠くて近い場所にいる君は、そばにいてくれているはずだから。

立ち上がってカーテンを開ける。白い光が部屋から夜を洗い流す。
この星で見つかるかもしれない、私の幸せと未来を探しに行こうと思った。

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眠れない夜に

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