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本当に「人間らしい」のは誰なのか?【「呪術廻戦」考察】

呪霊たちは現状の人間たちを「一部の感情を否定する存在」と批判し、人間が抑圧する感情を持ち合わせた呪霊たちこそが真に人間らしいと捉えています。

また、人間のネガティブな感情の集合体である呪霊の真人は「『真』に『人』間らしい」と書きますね。

しかし、本当に呪霊たちがいちばん「人間らしい」のでしょうか?
「人間らしさ」とは何なのでしょうか?

それについて考えてみました。



私は呪術廻戦という作品の中で最も人間らしく描かれているのは、呪術師たちではないかと思ってこの作品を観ている。

非術師たちを「ネガティブな感情を抑圧・否定し生きる存在」と置き、呪霊たちを「ネガティブな感情の集合体」と置いた時、両方を素直に発揮する呪術師たちはその中間にいて、バランスが取れているように見えるからです。

私がこの作品において印象深いなと思うポイントに、キャラクターたちの表情があります。

キャラクターたちがトラウマ、こだわり、信念をむき出しにする時の、強い、あるいは時に歪みきった「ゲス顔」とでも呼ぶべき表情。

それは男性のみならず、野薔薇や西宮にも言えることです。

単純に私が少年漫画に触れてきた回数が少ないからかもしれませんが、あそこまで女性キャラクターの顔を感情あらわに描写したものは少ないのではないでしょうか。(「ワンピース」でナミやロビンが鼻水垂らして泣いてるとかくらい?)

また花御と対峙した際、怒りに任せて戦おうとする虎杖を諫めた東堂は「怒りをうまく力に変えるには」という話をしました。

「怒りを抑圧して冷静になれ」とは言いませんでした。

これはまさしく「感情のバランスをとること」が呪術師たちの戦い方において重視されているあらわれなのではないでしょうか。


つまり、怒りや嫉妬、憎しみなどを「ネガティブなもの」「よくないもの」と決めつけてないもののように振る舞う非術師はむしろ不自然なあり方をした人間であり、

ネガティブな感情こそを「本物」とする呪霊たちもまた、バランスを欠いているのです。


では、真人は人間らしいでしょうか?

真人は基本的に人型をしており、喜怒哀楽を感じるまま表現しているように見えます。本能に従うことを重視しているセリフも見受けられました。

真人は利用できそうなものはなんでも利用し、困っている人を嘲笑し、腹立たしい奴は殺す。なぜならそうしたいから……を地でいっているようです。

ある意味、これも人間らしいと言えそうですよね。冷淡な人間だっていくらでもいます。

利己的に地球環境を破壊してきた人間も、後先考えずに利用できる自然を利用し、搾取し、地球を傷つけ続けています。

そう考えると、大地の精霊に近い花御と、環境を汚してきた人間の要素を寄せ集めたような真人が協力関係にあるのは皮肉とも言えるかもしれません。

しかし、やはり真人も真に人間らしいと言い切ることはできないと思います。

なぜなら人間が持ち合わせているものは利己主義だけですべてではないからです。

真人を「人間らしい存在」と置くと、他者への共感能力や無私の精神を持ち合わせた人間が弾かれてしまいます。けれどもそういう人たちも、やはり人間の一側面を持ち合わせているのです。


利己主義と本能を呪霊側、利他の精神と共感性を人間側と置くのなら、その両立を試みている術師たちが、あの世界では人間らしい人たちと言えると思います。


虎杖が感情的になって真人に祓った「殺す」が怒れる本能に近いのなら、呪術師たちが冷静に宣言する「祓う」とは、中道を行く者が感情を乗せずに他者を守るための言霊なのではないでしょうか。

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