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「矯正」され「救われる」べき人は誰?【『ミスエデュケーション』読後感想】

クラウドファンディングで実現した翻訳書

水彩画のようなタッチの表紙に魅かれ、エミリー・M・ダンフォースさん著『ミスエデュケーション』(サウザンブックス社)を手に取りました。

巻末の「訳者あとがき」まで読んで初めて知ったのですが、この本はクラウドファンディングによって出版が実現したのだとか!

クラファンは、画期的な商品やお店のオープン資金集めが多いイメージでしたが、映画や本といった芸術系のプロジェクトも、成功していってるのですね。

ここからは、私の感想などを書いていきます。

物語の結末や展開に直接言及した表現はしていません。

ただしぼかした表現はあるかもしれませんので、神経質な方はご注意ください。

感想など
モンタナの美しい自然

主人公のキャメロンは、アメリカのモンタナ州に住んでいます。

実は作者のエミリーさんも、モンタナに住んでいたことがあるそうです。

通りで、美しい自然が描写されているわけです。

キャメロンの人生と共に進んでいく季節。

草の匂いや風、夏の暑さや雪が、一緒にアメリカにいるかのような臨場感で描かれています。

本にしおりを挟んだあと、日本に戻ってくるのが大変なほどでした(笑)。

日本とは違う、乾燥して暑い夏やさわやかな風を疑似体験できます。

多数決の価値観で受ける非難

本を開いてから知ったのですが、『ミスエデュケーション』は同性愛について深く言及した作品です。

主人公のキャメロンは、「同性愛者」「レズビアン」としての生きづらさを抱えています。

彼女は友人、家族、親戚、教会からさまざまなメッセージを受けとりながら成長していくわけですが……。私は馴染みのない感覚を覚えました。

宗教の存在です。

作品の舞台がアメリカということもあり、作中にはキリスト教の礼拝の様子や、教会で行われる様々な活動の場面が出てきます。

また、聖書からの引用、キリスト教的価値観についても。

大多数の人が同じ宗教を信仰し、同じ価値観を共有して暮らしている。

そしてそこでは、同性愛は異常であり、許されないものである。

キャメロンの家もキリスト教徒ですから、彼女も同性愛が許されないことを知っていたはずです。

けれど自分が女性に抱く恋心を自覚してもいる。

だからこそ葛藤が生まれます。

幼い頃から宗教に触れ、それを信仰していたら、教義が真実と信じて疑わないでしょう。

同時に、自分の恋心も真実だと分かっている……。

彼女の中に生まれた葛藤がどれほど大きく、受け容れ理解するのが難しいことなのか、想像するほどに辛くなります。

さらに、これは日本でも起こりうることだな、と強く感じました。

日本にも固定観念が存在しているからです。

ただそこに宗教が介在しないだけ。

アメリカでのキリスト教が果たす道徳的役割を、日本では「その場の雰囲気」「こうすべき」

「ああすべき」という固定観念が果たしています。

それはある意味、宗教に似た圧力をも持っているものです。

固定観念から外れたことをすれば周りから白い目で見られ、「親不孝」と言われたり、「みんなと違う」と距離を置かれたり。

宗教と違って「○○に従わなければ」という決まりは何もないのに、葛藤を経験し、教義に反することと似た状況に立たされることにもなりうる。

遠いようで近い、共通点を見出した瞬間でした。

価値観を疑う助け――別の本を思う

少し話が逸れる気もしますが、『ミスエデュケーション』を読んでいる間に感じたことについて。

上にも書いたように、キリスト教の価値観では「いけないこと」とされている同性愛。

宗教は日本で信じられている「固定観念」よりも強固なシステムを持っていますから、疑い、見方を変えるのは非常に難しいのではないでしょうか。

『ミスエデュケーション』を読む中で、私が何度も考えたことがあります。

「もしキャメロンが、『神との対話』さえ読んでくれたら」

ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神との対話』は、文字通り神様とお話しした対話がまとめられている本です。(新装版が出たようです)

日本で刊行されたのは1997年。

『ミスエデュケーション』の時代には、まだなかった本です。

でも、できることならキャメロンに読んでほしかった。

『神との対話』の中では、人生、お金、性愛、宗教との付き合い方について――ありとあらゆることが話されています。

日常に入り込んだ宗教や固定観念から一歩離れて、冷静な目で見直すことができるでしょう。

その客観性と出会うことができれば、キャメロンも同性愛についてまた違った視点を持てるのではないか、と切に感じました。

実際『神との対話』は、全世界で葛藤や矛盾に苦しむ多くの人を救っているでしょう。

「すばらしい価値観」に出会えるのは、素敵なことだと思います。

けれど、「すばらしい価値観」ただ一つを妄信することと、

数多くの考え方に触れた中で、「自分には、これが合っている」と思ったものを信じること。

後者の方が柔軟で、視野が広くて、生きやすい方法ではないかと思うのです。

もちろんキャメロンにも、彼女に合った「生きやすさ」を見つけてほしいと思っています。

同性愛は「矯正」されるべきなのか?

キリスト教では、同性愛は罪であり、性癖は「矯正」され「治される」べきだと考えられることがあるようです。

私はこの考え方にびっくりしました。

個人的には、「治す」という言い方が嫌いだし、同性愛を病気や異常だとはまったく思っていません。

世界だけではなく日本でも、同性愛を認める動きが広がりつつあるのは嬉しい話だと感じています。

むしろ、異性愛が「普通」だと感じ、同性愛を「異常」と断ずる見方は偏っているのではないか、と思っています。

馴染みのない価値観に拒否反応を示す人は、そのものについて良く知らないことが多いからです。

一方的なイメージだけを持ち、真実を見極めようとしないまま、「良く知らないから」「怖いから」駄目だと見なす。

私個人の意見ですが、本を読み進める中で「あなたの方が視野を広げるべきじゃないの」と思った人が何人かいます。

物語の中では、読者である自分は物事を客観視することが簡単です。

キャラクターごとに、「この人はこういう価値観を持っているから、この言葉が出てくるんだろうな」などと想像しながら読むと、人の認識を狭さを思い知らされて謙虚になれます。

個人的スケールの「結末」を考える(ネタバレではないよ)

これは非常に個人的な話になるのですが……。

私はファンタジーを読み漁るところから、読書にハマっていきました。

ですから、物語の結末として「世界を救う」「強大な敵を倒す」ことに馴染みがあります。

逆に言うと、『ミスエデュケーション』や『オルタネート』『サード・キッチン』のように、物語の舞台が現代で、ファンタジー要素のない物語は、結末の行方がまったく想像できません。

敵を倒さず、全世界が危機に瀕するわけではないのに、どうやって物語をしめくくるんだろう?

想像がつかないから、いつもそう思ってページをめくっています。

『ミスエデュケーション』についても、「おお、こういう終わり方なんだ」と、半ば勉強させていただくマインドで読み切りました。

ここでは「感動した」とも「感動しなかった」とも言わないでおきます。

いろんなことを考えさせられ、いろんなことを感じた1冊でした。


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