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芸術×人工知能vs人間のひとつの、そしてベターな答え。【逸木裕先生著『電気じかけのクジラは歌う』】
人工知能がもてはやされ、社会に浸透しはじめてからはや何年。
絵を描くAI、そしてchatGPTが登場したあたりから、僕も芸術分野へのA Iの進出、そして芸術家の将来を憂う意識を持ち始めていた。
そんな折に本棚で目に入ったこのタイトル。そしてあらすじ。読まないわけにはいかなかった。
舞台は近未来日本。「Jing」(中国語でクジラ、から取られているらしい)という名の音楽生成AIの登場により、音楽に関わる人間たちの仕事は危機に瀕している。
作曲家を辞めてJingの検査員となった岡部数人の元に、かつてユニットを組んだ天才 名塚楽が自死したというニュースが飛び込んでくる。
しかもその直後、名塚の名前で岡部の元には不可解な荷物が送られてくる。
物語はそこから始まる。
500ページ超の長編だが、ページ数に怯む必要はないと思っている。読みやすい文章を目で追っているうちに、気づいたら200、300……とページ数は過ぎていくから。
この物語の中では音楽という芸術分野がピックアップされて人工知能との関わり方が模索されている。だがこれは決して音楽だけの話ではないと感じた。
むしろAIの進出はすでにアートの世界で始まっているし、精度が上がっていけばchatGPTは小説を書き始めるかもしれない。
AIに仕事をさせて人間は好きなことをして暮らそう、という夢が語られていたはずなのに、気づけば人間はまだあくせく働いていてAIが芸術を始めている。と、以前誰かの投稿が流れてきた。
AIは他人の作品を「データ」として食い物にし、人間が到底追いつけないような速度で学習して綺麗な作品を生み出せてしまう。
それならば、人間が、あるいは天才に満たない人が芸術を続けることに意味はあるのか?
通底するテーマは岡部の、そして数多の登場人物たちの口から語られる。
岡部はクリエイターを志す人間にとっては、最初全く共感できない人間として現れる。
「こいつ共感できないなぁ」と思いながらも、先へ進んでしまう。ページをめくる手を止めようという気は起きてこない。
多分、文章の巧みさで、彼の抱える挫折感が「挫折」という言葉を使わずに織り込まれているからだと思う。
「嗚呼、きっと何かがあって今、こうなんだ」と思わされ、じゃあ物語を通して岡部の哲学や行動は変わるのか、見届けたくなってしまう。
そしてそれは岡部と読者だけの問題ではなく、AIが存在する時代に生きる人間みんなに関わる思考へと発展していく。
人間の仕事を奪う、芸術分野に進出してくるAIは、敵か。味方か。
岡部の中に溜まった思索と言葉と体験が、現代の読者にも響く力強いメッセージになる。
クライマックスに岡部が語る言葉はあまりにメッセージ性に富んでおり、ここに引用したいくらいだがそれでは物語を通読する意義が減ってしまうと思う。
岡部にはこの本1冊分の思索と体験が必要だったし、読者にもまた、それを追った末にたどり着く答えだからこそ、響くと思うのだ。
文庫版の表紙が幻想的で目を惹かれるのはもちろん、個人的には単行本表紙もAI絵っぽくてお気に入りだ。
AI vs〜みたいなビジネス書の外にも、AIと渡りあわねばならないクリエイターへのメッセージが記されているとは思わなかった。嬉しい驚きだった。
この物語が波及することを願う。
Jessie
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