パニック障害をきっかけに今までのやり方を見直す
体調の悪さがしばらく続いていた。
何やら動悸がする。いつも以上に息苦しい。足元がふらつく。頭が痛い。食欲が消え失せている。
とてもつらい。貧血かもしれない。
地域の病院に行くと、意外な診断名を告げられた。
「パニック障害ですね」
そこは内科と心療内科・精神科が併設された病院。「内科的な体調不良だと思ったら精神病だった」という例は多いらしく、僕もその一員だったと説明された。なるほど、道理は分かる。
僕が訴えた上記症状はすべて、パニック障害の症状だというのだ。血液検査の結果を見ると、貧血どころか充分血が巡っていることがわかった。
今は薬をもらいながら治療している。半年も経てばずいぶん良くなるだろうとのこと。
症状の重さを尋ねた時、「軽くはないところまできてる」と言われたことが印象に残った。
パニック障害とは、
問題はここからで、僕はどうしても考えずにはいられない。
今の僕が「軽くはない」状態なら、軽かったのは一体いつのことだ……?
確か最初に発作を起こしたのは………。
時々教室を出て深呼吸しなければならないくらいの息苦しさは、中学生の頃からあった。
「親に怒られるかもしれない・悪いことをしたらすぐ親に報告が行って怒られるに違いない」という予期不安的な強迫観念は7歳の頃から持っていた。
病名がついたのが何年も経ってからなのであって、実は僕の人生にはずっとパニック発作がついて回っていたのではないか?
この気づきは僕をうら淋しくさせると共に、今後の身の振り方を考えるきっかけにもなっている。
親に怒られるのが怖かった。
発展して、親に怒られるかもしれないことが怖かった。
僕の目から見ると叱責はランダムに発生し、予測がつかない。同じことをやらかしてもどの程度の強さで怒られるか分からない。常に機嫌をうかがっていなければ心の準備ができない。
いつからか僕たちは対策として、いつどんな風に怒られたかを記憶するようになった。
そして叱責のフレーズを、自分で自分に繰り返すようになった。
親に怒られないように、先回りして自分で自分を叱るのだ。衝撃から身を守るための作戦。
そうやって生まれたのが賢也という人格であり、賢也は叱責を怖がっていてはいけないから、怖がるために直が生まれた。
賢也の観察力は優れていて、次々に先回りして僕たちを叱った。
心の内側から声が聞こえてくる。親に注意されたのと同じ口調。でもそれは記憶の再生ではなく、賢也が親の叱責をインストールして作り上げた予測なのだ。
ずっと、そうやって対処してきた。
叱責者が自分たちの内側にもいることで「叱られるかもしれない」不安感は常に隣にあったけれど、成長とともに親から実際に注意を受けることは減っていって、僕たちはそれなりに平穏だった。と、思っている。
おそらくバランスが取れなくなっていったのはバイトを始めたあたりからで、賢也は職場での注意も同じようにインストールし、先回りすることを続けていた。
結果僕たちは、当時の職場で幅を利かせていたお局さんの理不尽な要求を内在化することになってしまう。シフトが被っていようがいまいが、常に監視されている気がして怖かった。(と今なら理解できる)
当時はこれが異常なことだとも思っていなくて、ただただ「うまくできない自分が悪いのだ」と思っていた。
賢也のやり方は、もしかしたら処世術としてそもそも間違っていたのかもしれない。
けれども4、5歳の僕たちには、きっと他のやり方なんて見えなかったのだ。自分たちで思いつける方法でなんとかしていくしかなかった。
ただあまりに長く続け過ぎたためにこのやり方はバランスを失いはじめていて、ちょっと行き過ぎている。
そろそろ新しい、別の対応を知る必要があると、僕たちは結論した。
息苦しさは中学生の頃とは比にならないくらい辛いし、動悸とふらつきで作業ペースは落ちてしまっている。
けれども今回「パニック障害」という診断名を受けたことを、ただのマイナスや損失ではなく転機にしたい。
幸い今の僕たちには、転機にするだけの環境が整っている。
安心できる家。信頼できて味方になってくれるカウンセラーさん。親身になってくれる主治医。
むしろ今向き合う機会ができて、良かったかもしれない。
自分たちのアンバランスなやり方を見直して体勢を整えておけば、夢や目標に向かってどんどん進んでいける。いざチャンスが来た時に足を引っ張られずに済むと思うから。
主治医からは「薬が効いて元気な時でも張り切らないこと」「日本人は我慢ばかりを教育されているから、休み方を覚えること」などと助言されている。
焦る気持ちもなくはないけれど、努めてのんびりやっていく。
文責:直也
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