時代を超えて残るものに強い心で向き合うには【『職業は専業画家』読後感想】
モノトーンで迫力ある背表紙に惹かれて手に取った本。
福井安紀さんの著書『職業は専業画家』(誠文堂新光社)を拝読しました。
思い出さずにはいられない本
私は絵画はからきしで、特に日本画は社会科で習う以上の知識を持っていません。
それなのに日本画に関する本に手が伸びたのは、印象深い小説に出会ってすぐだったからでしょうか。
第165回直木賞受賞作。澤田瞳子先生の著書『星落ちて、なお』(文藝春秋)です。
『星落ちて、なお』の主人公は、河鍋暁翠(かわなべきょうすい)の名で活躍した女性画家・とよであり、彼女の父、兄もまた絵師だったからです。
作中には、日本画を描く時に使うとりどりの顔料や、「にかわ」、またキャンバスのようなもの(と、勝手に理解している)絵絹など、日本画に使う道具の名称や動作がたくさん登場します。
知識がない私は「いろんな道具を使って描くんだな、大変だな」などと漠然とした感想しか抱けなかったのですが、もしももっと知識がある人が読めば、リアルな描写に感動したり、私以上に詳細な場面想像ができたりして、ますます面白く読めたのだろうな……。
と思うと、絵画に明るくない自分が少し口惜しく思えたりしたのです。
上のような読書体験をしたばかりだったからこそ、目に飛び込んできた「画家」しかも「専業画家」という言葉に心惹かれたのかもしれません。
ネタバレになるので詳述は避けますが、『職業は専業画家』を読む中で、「とよはこういう活動をしていたから……」「周三郎はこういうことを大事にしていたのかな……」など、『星落ちて、なお』の登場人物たちを考察しながら読めたのも、楽しかったことのひとつでした。
それに漠然とした感覚ですが、芸術に携わる人たちには共通点めいたものを感じることもあります。
例えば良い作品を描いて(書いて・作って・歌って・踊って……)いるのに、時代・周りの人・宣伝技術の問題で世界に広まらなかったり。
関わる人の思惑が重なった結果、上手くいかなくなることがあったり……。それは芸術の形態に限らず起こることなのではないかな、と考えているのです。
「専業」という言葉に惹かれたのは、そういう思いもあってのことかもしれません。
「上手くいくのは一握り」などと言われることもある中で、著者の福井さんはどうやって専業で頑張っておられるのか。
人の技を盗む……ではないけれど、とっても勉強になりそうだな、と感じて手に取りました。
専業で芸術に携わりたい人、みんな読むべし!
読んだ感想。一言でいうなら「芸術系で食べていきたい人、みんな読んで!」です。
もっと範囲を広げれば、フリーランスの人にとっても参考になるかもしれません。
なぜかというと、この本は絵そのものの技術よりも精神性や考え方に重きが置かれているから。
上手くいかない時にどう気持ちを持っていくか、とか、自分が描いた絵にどうやって値段をつけるか(値段の決め方)とか。
絵を描いている/他の芸術に関わっている に限らず、多様な人にとって参考にできそうなお話がふんだんに盛り込まれていました。
特に読んでほしい152ページからの話
できれば気になる人全員に、1冊まるごとおすすめしたいのですが、あえて「特にここ!」と絞るのなら。
私がもっとも参考になり、感銘を受けた、152ページで取り上げられている「メジャーとインディーズ」の話でしょうか。
私が今まで個人的に感じていて、けれど確信を持てなかったし、誰かに説明することもなかったから言語化しようと思っていなかったこと。
そんな「ふわっ」としていたものがしっかり言葉になってまとめられていて、自分の感じ方にお墨付きをもらえたような気持ちになりました。
そして、自分がどこを目指したいのかを再確認するきっかけにもなりました。
本から伝わる 著者の人柄
最初に書いておくのですが、私は著者である福井さんにまだお会いしたことがありません。
個展で全国を回っておられるとのことなので、コロナに配慮しつつ、近隣にいらした際にぜひ個展に足を運んでみたいと思っています。
上のような事情があるので、ここからは完全に私の感じたことになるのですが……。
文章から、はたまた本全体から、福井さんの人柄のようなあたたかさが感じられて、とっても良いです。
人柄が感じられる観点は3つあります。
言葉遣い
福井さんが日本画を描いておられるからなのか、はたまた京都にお住まいだからなのか。
随所で見られる丁寧な日本語に、ゆかしい「日本の美」のようなものを感じました。
例えば、福井さんはお客さんが作品を買ってくれることを「求められる」と書いています。
何かを食べることは「食す」。
そういう丁寧な言い回しが、嫌味なくスッと頭と心に入ってくる。つまり、普段からこのような言葉を使っており、身についているのでしょう。
私は、本を出すから/丁寧な場に出るからと付け焼刃で出る丁寧語には、使い慣れない感じや、取って付けた雰囲気がついてまわるものと感じています。それが全く感じられませんでした。
普段から丁寧な日本語を使われる人なんだろうな、と思っています。
随所の挿絵がどれも綺麗。作品集かと思った
本文の随所には、手描きのグラフや図・イラストがふんだんに掲載されています。
それの書き込みが、どれも細かくて丁寧!
解説は分かりやすい!
図の下の方にちらりと描かれたシカやツタの模様の細部まで、じっくりと眺めてしまいます。
また、あまりにも挿絵が気に入ったため、一旦読書を中断して、福井さんのホームページとTwitterをフォローしに行きました。
実物の迫力にはかなわないのだろうけれど、画面に現れる絵の優しいこと。
私は乏しい知識しかないながらも、日本画を「ちょっと怖いもの」と思っていた向きがありました。
浮世絵的な細い目の書き方とか、日本人形のイメージとかが混ざっていたのかもしれません。
あとは、一休さんの虎の話とかね。
だから日本画には良いものも悪いものも入りこむことがあって、気をつけて丁重に扱わないといけないもの、気を遣う必要のあるもの、だから知識のない私の手には負えないもの……のように考えていたのです。
しかし福井さんの日本画は、動物たち・菩薩さまの目や動きが優しく、私が先入観的に抱いていた日本画への印象を良い意味で崩されました。
こんなに優しい日本画もあるんだ。
少し話は変わりますが、組みひもを数日に分けて組んでいく時、嫌なことがあってむしゃくしゃしている日は、ひもの組みがきつく、おおらかな気持ちの時は、無駄な力が抜けてひもが綺麗に組めるのだそうです。
だから完成した時に、見栄えが違ってくるのだとか。
人の感情が手や体の動きに出るとしたら、きっと絵にも感情が乗ると思うのです。
描かれた絵が優しいということは、きっと絵師が優しい気持ちで描いたということ。
そこから福井さんのお人柄を想像したりしました。
本の作りが丁寧
全編を通して、誤字脱字がひとつもなかったことも、福井さんはじめこの本に関わられた方々の丁寧さを感じる観点となりました。
自分の小説を見直しているうちに目が肥えてしまって、普通に楽しみとしてものを読んでいる時にも誤字脱字が目に付くようになってしまったのです、職業病ですね。
本の中には、内容が良いのに誤字脱字が多くて途中から内容が頭に入ってこなくなるものがあったり、表記ゆれが気になって「適当な仕事をしたのかな」と感じてしまうものがあったりもします。
そのような本もある中で、誤字脱字がひとつもない本に出会えると、仕事に向き合う本気さや丁寧さ、熱意のようなものを間接的に感じとることができて、豊かな気持ちになれるのです。
『職業は専業画家』も、そんな気持ちにさせてくれる丁寧な本でした。
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