「好きを仕事に」する?しない?
二分する意見
「好きを仕事にしたら、楽しいから身が入って続くし、いいよ!」って言う人と、
「好きを仕事にしたら、辛い事があった時にその『好き』さえ失いかねないからおすすめしない」って言う人がいます。
結局、どっちなんだろう?
結論を書いちゃうと、どっちでも良いと思います。
人によって向き・不向きがあるから、すべての人が「好きなことを仕事にすればいいのに」とは思わない。
でも私の考えとしては、
仕事にできる「好き」と、仕事にしない方が良い「好き」がある
と思っています。
仕事にできない「好き」とは?
まずは、仕事にできない「好き」の話から。
これはつまり「趣味どまり」の「好き」のことです。
私で言えば、紅茶、コーヒーなどでしょうか。
紅茶や、時々コーヒーを飲むことは大好き。
でも茶葉や豆の銘柄をいちいち覚えたり、品種ごとにブレンドを楽しんだり、本格的な道具をすべて買いそろえたりするまでには至りません。
自分が「美味しい」と思えるミルクティー/カフェオレが淹れられれば、それでOK。
私は事前にポットとカップを温めておくこともしていません。
そこまでやるのは私にとって面倒だし、事前にポットを温めなくても「私にとって美味しい」紅茶が飲めるからです。
つまり、「自分が美味しければ良い」という趣味的な領域に、私の興味がとどまっているということ。
紅茶もコーヒーも、突き詰めればものすごく奥の深い世界だと思うのですが、そこまで追求するとなると、途端に興味が薄れてしまいます。
「そこまで知らなくてもいいよ、美味しいもの飲めてるもん」という気持ち。
そんな私が間違って専門店に勤めたり、焙煎の修行を始めようとしたら、それは「コーヒー/紅茶」分野でありながら興味の外なので、「好きだと思っていたけど、なんか違った」となり、根気とやる気が続かないことでしょう。
仕事にできる「好き」とは
では、仕事にできる「好き」とはどんなものか。
仕事にできる「好き」とは、嫌なこと、辛いことがあっても曲がらないほど、それに対する愛が突き抜けている「好き」のことです。
私で言えば小説を書くこととか。
偉大な先人の文章を読んで「自分はとてもこんなのは書けない、すごすぎる」としょげる日もあるけど、だからって書くのをやめるという選択肢は浮かばないし、選ばない。
書かずにはいられないからです。
同じように、登山家は登ることをやめられないだろうし、スケート選手は滑らないなんて考えられないだろうし、仕事が楽しくてしょうがない人は「今の仕事を辞める」なんて思いつきもしないのでしょう。
作品の余韻と衝撃が抜けた後は、「文章の書き方」的な本を読んで構成を勉強したり、日常の体験を文章に活かせないかと目を光らせたりして、常に「書く」ことを考えている。
業種・内容に関わらず、このくらいの情熱を持てれば、あるいはそうすることが生活の一部となり、好きで好きでたまらないなら、仕事レベルで向き合っていける「好き」ではないでしょうか。
「好き」を「好き」でい続けるために
私は「好きを仕事にしない方が良い」とは思いません。
世の中には2種類の人がいると思っているからです。
仕事を趣味と切り離しておいた方がメリハリがつく人と、仕事と趣味が一直線に繋がっている人。
人によってどんな生活を「心地良い」と感じるかは様々なので、「私は『好きを仕事にする』ことが向いている」と思えばそうすれば良いし、「趣味は趣味のままでそっと楽しみたい/本業にする気はない」人は、そうすれば良いと思うのです。
どちらが優れているとか、すごいとかはありません。
ただ大切なのは、自分の「好き」がどのくらいなのかをきちんと認識しておくこと。
私の紅茶とコーヒーの楽しみみたいに「ちょっと好き」を仕事にした結果、「やっぱり嫌い」に変わってしまうのは、勿体ないと思うからです。
「好き」を仕事にすることを決めるのも自分なら、「好き」を守るのも自分。
自分の「好き」はどのくらいか? 「好き」の分野でしんどいことや辛いことがあっても、私の「好き」は揺らがないのか?
「好き」を仕事に選んだからといって、楽しいことばかりとは限らない。
だからこそ、人一倍の覚悟が必要かもしれません。
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