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ミニマリストになれない僕たちは

また、物欲が湧き上がる時期に入ってしまった。

もっと自分たちらしさを表現できる服が、気分を変えてくれる食器が、人をダメにするベッドが、読みたくて堪らない本が、欲しい。

一方で僕と亜麻は、これ以上モノを増やしたくない。

モノが増えるとはつまり管理に費やす時間とエネルギーが増えるということであり、何より部屋が狭くなる。

ただでさえ僕たちの部屋は混沌としているのだ。

間に合わせで買った本棚と、そこに詰まった統一感のない本たち。
真っ白なIKEAの可動式デスク。気に入って買った木目の綺麗な椅子、無難な色味の三段ボックスが2つ(どちらも色が違う)、唐突にヨーロピアンな卓上ランプと、唐突な茶道セット。捨てるに捨てられぬぬいぐるみ。


視界に入るモノの多さは刺激になりうる。
疲れて休みたいのに気が休まらず、すべてを投げ出したい衝動に駆られるのにそろそろ疲れてきた。

それにも関わらず、僕たちが僕たちの持ち物を勝手に減らすことはできない。

部屋を埋める無秩序な持ち物たちは、すべてパーツたちの「ときめくモノ」だからだ。

統一感のない本は僕たちに読書好きが多いせいだし、スタイリッシュな文具と収納用品が紛れ込んでいるのは僕の趣味だ。
おもちゃや絵本の類は直の厳選されたお気に入りで、直也は持ち物にこだわりがなさすぎる。

部屋はその人の表れだと言われることがある。
確かに、今目の前に広がる統一感のない、みんなの個性が少しずつ反映された部屋は僕たちの表れだと言えるだろう。


実は、これでもモノを減らした方である。

全員の平均を取った形といえば良いか。何人かが共通して「これは使ってもいい」と思えるモノと、どうしても手放したくないものだけを残し、特定のパーツしか使わないモノはできるだけ持たない・増やさないようにしている。

フェミニンすぎる服、エスニック系の服、ままごとセットなどがその筆頭だ。

とはいえ個性を表現するモノを我慢するということは、特定の誰かに負担を強いることでもある。
だから疲れている時などに、いつもは抑えている物欲が爆発してしまうのかもしれない。


みんなの個性に全振りして、欲しいものを予算の許す限り集めて良いとすると、部屋は管理不可能なほど混沌を極めることになるだろう。
しかしかといってこれ以上モノは減らせない。ここから先は我慢しきれないストレスを抱える領域だ。
だが僕と亜麻はミニマリストになりたい……。

次善の策として、僕たちはYouTubeとSNSを活用している。

世の中にはミニマリストの方や、統一感のある素敵な部屋で暮らしている方がたくさんおられる。
そういう方々の動画やお部屋の写真を拝見して、暮らしをシンプルにするためのコツを読んで、しばし混沌とした自室から精神的に離れているのだ。

僕たちがやりたくてもできない暮らし方を、やっている人がいる。
画面越しに伝わってくるシンプルで整った雰囲気をお借りして、僕たちも心を鎮めることができる。

物欲と捨てたい欲の狭間で苛立ちを覚えることもあるけれど、世界のどこかで紡がれ続ける「豊かな暮らし」の断片に触れられると、画面を閉じて僕を取り巻く混沌とした部屋にも、ちょっとした愛着を持ち直すことができるのだ。

心の中にあの整った空間が留められていて、気持ちを落ち着けたい時にはいつでも思い出すことができる安心感がそうさせているのかもしれない。

僕たちが自分の部屋に対してできるのは、もうせいぜい収納家具のテイストを揃えることくらいしかない。
せめて物欲と苛立ちに支配された衝動によってではなくて、落ち着いた精神状態で検討できるといいなと思う。


ミニマリストに憧れる僕と亜麻はしかし、ミニマリストになることはできないだろう。

欲しいものの多い個性豊かなパーツたちと折り合いをつけながら、憧れを摂取して今日も生きていく。



Jessie

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