日本のいちばん長い日 愛国者学園物語136
美鈴は少ない知識を持ち出した。
「『国体の護持』でしたか、天皇中心の大日本帝国という国家を維持すること。それが当時の日本の最大の目標だったんでしたよね?」
「そうですよ。祖国こそが全て、祖国のためならどんな犠牲も払う。そういう心境でしょう、当時の人たちは。まさに漢詩の一節、国滅びて山河あり、の世界だ」
それは美鈴を嫌な気分にさせた。
「国民あっての国じゃないですか。それなのに、国民の大多数が犠牲になりかねない総力戦だなんて。そんな世の中じゃ、私たちがしてきたような話し合いは無理でしょうね」
「無理ですよ。あの当時は国民あっての国じゃなくて、国あっての国民だった。
大日本帝国の存続のためなら、総力戦で国民の大多数を失っても構わない。大日本帝国イコール国体、国体の護持こそ全て。そういう考えの人々が少なからずいたんだから」
「最低!」
隣の席の男女が美鈴の怒りを聞いて、話すのを止めた。
驚いた彼らに西田が会釈した。
「私は『風の谷のナウシカ』を思い出しましたよ。その漫画版には、土の鬼と書いてドルクと読む人々が登場するんだが、その長老があることに衝撃を受けて叫ぶんです。それは、土鬼諸民族の王である神聖皇帝がトルメキア軍に対し生物兵器を使って、戦を有利に進めるという恐るべき計画でした。そんなことをすれば大量の@者が出るだけでなく、国土も汚染されてしまう。だから、長老は叫びました。
『たとえ神聖皇帝といえども、大地を汚してよい法があろうか。民あっての皇帝ぞ、やめろ、やめてくれ』と。
ナウシカが架空の話とはいえ、このセリフは衝撃的でした。王や政治家とはどうあるべきなのか、考えてみるきっかけになりました。いくら王でも政治家でも、やりたい放題は許されない。王がしたい放題をすれば民は滅びて、国も滅びる。『民あっての皇帝ぞ』凄い言葉だ……。
話を戻すと、戦争当時の大日本帝国は、天皇を中心とした国家である日本、つまり国体を護持する聖戦をするつもりだったのでしょう。でも、国民の大半を失い、国土をさらに荒廃させ、広島と長崎どころか、第三、第四の、あるいはそれ以上の核攻撃を受けてでも、戦争を続ける意味はあったんでしょうか」
美鈴は失望した。
「あの、補足したいんですがね」
西田が静かに言った。
「戦時中には、数は多くないが、和平を模索した人々が日本にいましたよ」
美鈴たちはiPhoneで検索して、彼らに関しておおよその知識を得た。そして、岡本喜八監督の映画「日本のいちばん長い日」(1967年)と、同名の映画で原田眞人監督の作品(2015年)について意見を交換した。美鈴はそれらを見たことも、その存在も、その原作である半藤一利の著作も知らなかったが、半藤の顔はテレビのニュースで見覚えがあった。
これらの映画は、終戦直前の大日本帝国で、終戦を決めた政治家と軍人たち、そして昭和天皇の生き様を、実話をもとに映画化したもの。日本の政治家や軍の大幹部たちの多くは、戦争の終結に向けて努力していた。ところが、終戦反対派の軍人たちが、国土を焦土にしてでも戦争を継続しようとして、終戦賛成派に対するクーデターを起こした。
それだけではなく、よりにもよって、自分たちの最高指導者である昭和天皇の玉音放送(ぎょくおんほうそう)を阻止しようしたのだ。クーデター部隊はその音声を録音したレコードを奪取すべく、皇居に、当時の言い方で言えば宮城(きゅうじょう)に押し入ったのである。
宮城クーデター事件と呼ばれるその話は、美鈴には信じ難いものだった。当時の国民や軍人にとって、昭和天皇は生ける神・現人神(あらひとがみ)であり、最高指揮官であり、日本社会における最高の存在だったはず。それなのに、一部とはいえ、軍人たちが戦争を続けようとして、その最高指揮官に対して叛逆するするとは!
また、これらの作品は、日本を終戦に導こうとする鈴木貫太郎首相と阿南惟幾(あなみ・これちか)陸軍大臣の生き様の描写に力が注がれていた。原田監督の作品で阿南を演じたのは、あの役所さんだった。
西田は
「そういう時代にも、停戦・終戦を求める人たちがいたことが救いです」
と力なく言った。
美鈴はその数字について尋ねようとしたが、それは止めて、次の会合までにこれらの作品を見ると言った。
続く
これは小説です。半藤一利(1930−2021)の本は、
「日本のいちばん長い日 決定版」文春文庫 2006年
を用いました。
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