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日本に飛ばされた男たち        愛国者学園物語26

 ジェフは理解していた。マイケルとは別の情報筋から、今回のハッカー退治にNSAが大きな役割を果たしていたこと。そして、その作戦を統括していたのがマイケルであることは把握していた。マイケルは口が固いので、良い情報源とは言い難い。しかし、彼は時々ヒントをくれる、あの仕草をして。だから役に立つ。


もちろん、寿司が大好きな親友でもあるから、明確な情報をくれなくても、失いたくない存在だ。

情報機関最高幹部のマイケルは、アメリカの国益のために動いた。ファシズムや共産主義、それに民主主義の敵と戦うアメリカのためだ。もちろん、マイケルは、日本とアメリカのどちらを選ぶかといえば、アメリカを選ぶだろう。それがヒスパニックのアメリカ人であり、米軍中将であるマイケルの立場だ。

 しかし、彼は日本が好きなことも事実だ。かつてはある日本人女性と交際し結婚も視野に入れていたが、それは実現しなかった。愛する日本がああいう変化を遂げたことは、マイケルは辛く感じていることをジェフはよく知っていた。お互い、日本が好きだからだ。


 実はマイケルもジェフと同じく、日本に「飛ばされて」やって来た。


 メキシコやバルベルデの血をひくマイケルは、ロサンゼルスで生まれ育ち、有名ではない大学で電子工学を学んだ。経済的に裕福でなかった彼は奨学金を受けるために、米軍の予備役将校訓練課程(ROTC)に在籍してもいた。

 だから、卒業後は、米空軍に入隊した。彼はパイロットに憧れていたものの、視力が悪いなどの理由でそれは高嶺の花だった。しかし、彼の取り柄は他にあった。大学で学んだ、ある種の回路にとても詳しいことだ。彼は通信部隊に送られて、そこで機材開発の助手をしていたところ、日本へ行くことを命じられた。それは青天の霹靂(へきれき)だったので、マイケルはしばらく悩んだ。しかし軍人に転勤はつきものだから、しぶしぶ命令を受け入れた。

 そして横田基地で何年も過ごし機材開発に関わるうちに、電子情報機関NSA・国家安全保障局に配置転換された。マイケルは自衛隊の情報機関と共同作戦を行ったらしいが、その詳細は不明で、ほとんどそれを語らなかった。その一方で、日米軍人の人材交流プログラムに携わったことは、彼は時間を割いて面白おかしく話してくれた。


 マイケルは開放的な性格の持ち主で、休みを見つけては精力的に、日本社会へ出て行った。上司に、歌舞伎町で歌舞伎を見てこいとそそのかされて、出かけたらワルに絡まれたので、米軍流格闘技の技を見せたら、敵は逃げて行った。秋葉原も楽しかった。ある路地裏にある、各国のスパイ御用達とかいう部品屋も見て回った。

 ある冬の日、大通りで、制服のような衣装を着た若い女性がチラシを配っていた。それは、あるアイドル集団のコンサートの知らせだったので、彼はためらうことなくその足で会場へ行きコンサートを楽しんだ。のちに彼女たちが大所帯のグループになったとき、マイケルはジェフに、「俺は(彼女たちが)デビューした次の日のコンサートを見たことがあるんだぞ」と自慢した。

 マイケルは経済的に苦労したせいか、食事は選り好みせず、なんでも食べた。いかつい顔で、目が黒く黒髪の米人男性である彼が話す日本語は最上ではなかったが上手で、礼儀正しさにあふれていた。

 そして彼の美味しそうに食べる姿は多くの日本人の心に残り、いくつかの店から大歓迎された。築地のある寿司屋で彼は、穴子寿司の美味さに取り憑かれ、何度も通ったところ、ジェフに出会ったというわけだ。

二人はすぐに意気投合した。


 ヒスパニックで英語とスペイン語を話す米軍人と、カナダ東岸のフランス語圏出身でNY育ち、フランス語と英語を話すジャーナリストをつなぐものは寿司だった。ウニ好きのジェフと、アナゴに目がないマイケルは親友になった。彼らはそれだけに止まらず、自分たちが偶然「放り込まれた」日本社会について、ありとあらゆることを話し合った。


 それは食事だけではなく、日本社会の暗部にいたるまで、話題は尽きなかった。時には、日本に関する意見の相違から対立もしたが、それも、彼らの日本社会を見る目を磨いた。

続く


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