見出し画像

90年代、ラブブレス、ノスタルジア

高校の卒業式を終えたら、すぐにピアスを開けよう。
女子校の校則は厳しくてもちろんピアスなんて禁止、耳を出して長い髪を三つ編みにしなきゃいけない。
私は真面目な生徒で通していたのだ。

まだピアスホールもないのに、ピアスを買った。
ぷっくりとした水滴に月の光を浮かべたようなムーンストーンを、銀の爪が支えているピアスだった。


ムーンストーンは、当時とても流行っていた。

「ミネラルショー」がまだ一般的ではなかった頃。
パワーストーンブームに乗りつつ、オカルト系ではないおしゃれな女の子たちにも、ムーンストーンは「お守り的な石」として好まれていた。
ファッション雑誌の占いコーナーには「恋人に贈られると幸せを呼ぶ石」と紹介されていたし、彼氏にもらったムーンストーンの指輪を学校につけてきている子もいた。

私たち世代はバブルの熱狂を知らない。ジャラジャラとしたゴールドジュエリーもダイアモンドもまだ要らない。そんなもので外見を飾らなくていい。
でも何か…自分だけのお守りになるものが欲しい。

画像2

パワーストーンのおまじない的なアプローチは、実はそんなに好きじゃない。そのままでも美しく神秘的な自然の産物なのに、商売じみた意味なんて持たせたくない。
それに、流行っているからという理由で欲しくなったのでもなかった。

私は天然石や宝石そのものが好きなのだ。ピアスや指輪をつけるなら、絶対に石のついたデザインじゃないと。


ひとつ何かを買うと、次々と買い集めたくなるものだ。次は金の枠に収まった満月色のムーンストーンのピアスを買うと決めた。
今では考えられないが、当時は18金と天然石のピアスが1980円くらいから買えた。金の価格がまだ安かったので、10代のお小遣いでも無理なく本物が買えたのだ。



普段の買い物は神戸で、安いものを探すときなどは少し遠出をして大阪へ行った。

大阪の中心部は、高級ブランド店と格安店が混在する雑多な街だった。
アーケードに入ってすぐのところにあるジュエリー店は安さを売りにしていたけれど、販売員のお姉さんが大声で…商店街の八百屋さんや魚屋さんもびっくりするようなノリで呼び込みをしていて、その光景はちょっとした風物詩みたいになっていた。

ジュエリー店が呼び込みなんて、これも今では考えられないことだけれど、当時の大阪はまさに玉石混交、美醜も善悪も何でもアリな街だったのだ。

やたらとよく通る声のお姉さんが呼び込みをしているときがあった。アーケードに反響したその人の声が、四方八方から矢のように飛んでくる。
大阪の販売員さんのグイグイと来る感じが苦手で、普段なら絶対に入らないジュエリー店だったが、その日はなんとなく足を止めてしまった。

ちょっと逃げ腰な気持ちで壁面のピアスの陳列を見ていたら、そのお姉さんが声をかけてきた。呼び込みのときもよく通る声だったが、地声もなんだか迫力があった。
安価な18金のピアスを選んで、それを包んでもらった。

「ねえ、お名前おしえて!下の名前だけでいいから!」
えっ、と思ったが勢いに負けて名前を伝えた。
お姉さんはショップカードに「○○ちゃん、また来てね」と雑な文字で書いて渡してくれた。
そうか、こうやって距離を縮めて気さくな感じで接客するんだ…私にはこの街で販売員なんてできないなぁ。
そんなことを思った。


時は90年代後半。

小室哲哉の音楽と、髪を茶色に染めること(私はあまり似合わなくて栗色どまり)と、実年齢よりも大人っぽく見せたい上昇志向のファッションと、将来は何の仕事ができるかな…というモヤっとしたビジョンと…

ムーンストーンのピアスと、バイト代で買ったシルバージュエリーと、自分で何かを手に入れる喜びと。
自分の手の届く範囲だけが私の世界だった。

それから、1995年の阪神淡路大震災を体験したことで、日常とはいとも簡単に壊れてしまうものだと知った。



私は人前に出ることが苦手な地味な子ながらも、細い身体で探究心と自立心だけはあり、今から思えばかなり怖いもの知らずに生きていた。細眉のアムラーではなかったけれど、安室奈美恵のように黒タートルにバーバリー風のスカートを合わせたりもしていた。

リュック・ベッソン監督の映画に登場する女性たちも、強くてしなやかで、あの時代によく合っていた。
金髪をなびかせたグラマラスな美女ではない、美しいけれど少女っぽさもあるヒロインたち。

それは、ダイアモンドの煌びやかさではない、ムーンストーンのひっそりとした美しさのほうが、私たちにずっと身近だったことにも通じる。

なんとなく、自分だってちょっと頑張ればヒロインになれるんじゃないか、強くしなやかに生きられるんじゃないか…。
マチルダもニキータも、私たちのすぐ近くにいたのだ。


(ボブヘアをオレンジ色に染めて『フィフス・エレメント』と言いたいところだけれど、今だと無謀にも草間彌生を目指してるの?と思われそう。
それはそれで、カッコいい!!!)



バブル崩壊後からすでに数年ほど経っていたが、当時の人々は服装や持ち物にもそれなりにお金をかけていたような気がする。特別な場でなくても、ブランドものを身につけた大人をよく見かけたものだ。
テレビに映る華原朋美はプラダやグッチを着ていて、品があってとても可愛かった。

画像1

そう、あのカップルに倣ってカルティエの『ラブブレス』や『ラブリング』をつけた人も、とても多かった。

愛する人にビスで留めてもらってブレスレットを装着する。なんてドラマティックな仕掛けだろう。

それ以前からブランドを代表するジュエリーだったのに、あの時代の空気を象徴するアイテムみたいになってしまった。



携帯電話
を持ち始めたのも、映画『マトリックス』の第一作目もたしかその頃。
1999年に向かうにつれ、世の中はクライマックス感というか、妙な盛り上がりに浮かれていたように記憶している。
自分自身も大人の仲間入りをして、その先には今とは違う世界があると信じて疑わなかった。近未来・新世紀はフィクションではなくなって、目前に迫っていた。




やがて時代は21世紀へと移り変わり、世界はまだ滅びる気配を見せなかった。
身の回りでいくつか大きな出来事が起きたけれど、私はヒロインになるわけでもなく、気がつけばジュエリーの仕事に就いていた。

白い輝きを失ったホワイトゴールド製のラブブレスが職場の工房にたくさん持ち込まれ、メッキのかけ直しなど数えきれないほどの修理をお受けすることになったのは…

それから10年ほど後の話。




※全文無料で読めるようにしていますが、実験的に有料設定にしてあります。
続編も書いていきますので、どうぞよろしくお願いします(^_−)−☆ 


画像引用元はこちら
https://www.sarah-et-louis.com/

ここから先は

0字

¥ 100

いただいたサポートは、制作活動費とNoteの記事購入に使わせていただき、クリエイターさんたちに還元させていきたいと思います。よろしくお願いいたします!