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パパの指輪 〜国立西洋美術館の橋本コレクションより〜

6月のメイン行事といえば「父の日」であろう。
カトリック系の女子校時代には「母の日礼拝」があるのに父の日にはないの、どうして?
…と不思議に思ったものだ。


そういえば、2019年にはローマ教皇が38年ぶりの来日で、東京ドームで5万人のミサを行い、長崎や広島を訪れ、話題になっていた。

フランシスコ教皇は、若者たちとの交流にも気さくで分かりやすい言葉を使ったり、スマホでの自撮りに応じたりと、とっても庶民派だそうだ。
今でも画像検索すると、オープンカーから笑顔で手を振る教皇の姿が!
なるほど、「ロックスター教皇」の愛称そのもの。


私は信者でも何者でもないので、単なる一般人として感じたことしか書けないけれども…
教皇のように何かを広く伝える人物とは、いつの時代もロックスター的であるべきだ。
歓声を上げたり涙ぐむ群衆を見ていると、人々は何か大きな存在…スター的存在との一体感を求めているような気がする。

人々の、そのとてつもなく大きなパワーを汲み上げて、良い方向へと導く。それが、本来の意味のカリスマ性というものではないかな、と思った。


偉大なる教皇がこのポーズ!

教皇の右手をよく見ると、指輪をつけている。

歴代のローマ教皇も皆、印章型の指輪を身につけていた。
印章とは封蝋や文書などに押印するためのもので、教皇の責任や権威を表す重要アイテムだ。

フランシスコ教皇は就任ミサで、権威の象徴の指輪が伝統的な金製ではなく、金メッキを施した銀製であることを明らかにしている。「質素な教会」を目指し、華美な印象を避けるために選んだのではないか、とみられているそうだ。
素材的価値だけを追求しない、こういったところも、革新的で庶民派といわれるのだろう。



前のノートにも書いた、国立西洋美術館所蔵の歴史的な指輪群『橋本コレクション』の中には、こんな指輪もある。
15世紀のローマ教皇の指輪だ。


『パパル・リング』
パパとは教皇のこと。印章ではないが、なんてシンボリックなデザインだろう。
レリーフがほどこされ、建造物や大きな門を連想させる。

素材はブロンズと水晶で、表面に「パウルス2世」と銘打たれている。
厚みも高さもある大きな指輪で、サイズは26号もあり、手袋の上からつけたのかもしれないといわれている。
教皇の姿を遠くから見た人々にも分かるように、意図的に大きく、また教会の建物を思い起こさせる重厚なデザインに作られたのだろう。


指輪とは、かつては身につけた人の立場や身分を示すものであった。
現代の私たちがつけている、おしゃれやお守り的なものとは、まったく違った存在だ。

世の中に目を向けていると、思わぬところでジュエリーの歴史に触れることがある。
身につける楽しみ以外にも、ジュエリーはとても奥が深くて、知れば知るほど面白い。


画像引用元
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191123-00000005-courrier-int

国立西洋美術館 指輪展

※展覧会は終了しています。

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