ある選手が悩んでいた
「上手くいかない時に全てを投げ出したくなる。そんな自分が嫌いになる」
練習をする前は今日もやってやろうという気持ちでいるのに練習が終われば毎回全てを投げ出したい気持ちになりそんな自分にさらに腹が立つ
こう、相談されたが俺自身プレーで落ち込む事はあってもその結果自分を嫌いになることはない
一人で考えることはあるが、悩む事はない
悩むと考えるはにているようでまったく異なる行為だ。
試しにグーグル先生に聞いてみよう
んー
よくわからないけど感覚的には
悩むということは自分にどうも出来ない事に対しての矢印を向けている時に発生するものだと解釈している
逆に思考することは、自分がどうなりたいかどうあるべきなのかを問うときに用いる行為だと思う。
何が言いたいかというと、思考するという事は少しではあるが前に進んでいるという事だともう。
それが目に見えない一歩だとしてもである。
考え込むと言う行為は、孤独でしかなし得ない。
よく一人で悩まずに誰かに相談しなさいと教えるひとがいるが、内面的な部分は決して人とは分かち合えないと俺は思う。
育ちや体験、感性などいろんな要素が複合的に絡み合っていまがある。
だから一人で考え込む事はとことんするべきだ。としか俺からは言えなかった。
だからこの悩みには、その相談を元現役のフロントスタッフに託した
1時間を超えるほど話は熱くなった。
その中で、本人はあまりしっくりきていなかったが俺自身ステキな考え方だなと思った話を自分なりに解釈して書こうと思う
その話はこうだ。
人生は積み木と一緒
「多分こんなキャッチーなフレーズでは無かった。笑」
一つ一つしか積み上げる事はできないし、何らかの力が加わって全て倒れてしまう事もある。
でも、自分に積み上げる意志があれば元あった高さまで積み上げるのはそんなに難しい事ではない
なぜなら、そこまで積み上げた経験があるから
結局は自分の意志だ。
どんなに目の前が暗くても自分意思で積み上げない限り状況は変わらない
誰かに積み上げたモノを崩されてももう一度積み上げる意志があるかどうかの方がよっぽど大事だ
なぜなら自分の人生は自分にしか生きられないのだから
そして辛くたってキツくったって、明日はまたやってくる。
どんなにいまの状況が苦しくても、それよりも苦しい状況の人から見れば
まだ幸せだ
と言われる
そう思うのが来月、来年の自分にならないように今日をいきる。その積み重ねでしか人生は決して好転しない。
今日がダメだったら明日ではなく、今日を良くするために全力を尽くす。
そんな毎日過ごします宣言。
追記
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