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ディスカバリーとデリバリーの往来を通じて、デザインは何を宿すのか?

SaaS Designer Advent Calendar 2023 10日目のコラム記事です。

ソフトウェア開発にアジャイルに取り組むなかで、私たちは「デザイン」をどのように考えて取り組んでいけるのか。ソフトウェアのデザインを検討しながら、私たちは私たち自身をどのように変化していけるのか。その結果どうなるのか。

この記事は、そのあたりの個人的な課題意識や可能性への思索を記述したコラムです。

持論や飛躍も多く、雑記、ポエムに近いと思いますが、もし興味があれば読んでいってください。あなたと思索を共にできると嬉しいです。♥いただけたら、どこかで小躍りして喜びます。

高度化する開発とデザイン

前提としてデザインとテクノロジーの関係に雑に触れておきます。過去の産業革命や技芸の統合を試みたバウハウス等の活動からも伝えられるように、デザイン(とりわけ工業デザイン)とテクノロジー、これを叶えるエンジニアリングは切り離せないもの。そのものと思っています。小生、歴史を語るには学が浅いため、軽く触るぐらいにします。

分業化の進んだ現代において、叶えたい目的に対し、多くの役割と責務、職能をもった方々がデザインに関わっています。

規模が大きくなるほど、関わる人が増え、全体を同じ方向、同じ目的、同じ考えで進めることが難しくなります。よりたくさんの変数を考慮します。

  • 関わる人のスキルや経験

  • 実施体制

  • 予算

  • 法改正等の期限

  • (請負の場合)契約範囲や納期

  • 人間関係

  • 技術刷新

など。

組織でデザインしていたら、いろんなことがありますよね。あるべき理想論や打算してもどうにもならないこと。予測していなかったことが起こりはじめます。

昨今のソフトウェア開発ではそんな不確実性や予測不可能性を考慮し、よりアジリティ(機敏性)の高いアジャイル開発が選ばれていることと思います。ソフトウェアのデザインも、そうした開発での様々な関わりと適用課題が生じているものと思います。

技術革新と共に職能や役割、組織、開発手法といった手段が高度に変化してきたなかで、今、ソフトウェアデザインはどのようにあることが望ましいのか?そしてデザインを叶えようとする人々に、どのような姿勢や思考の態度が求められるのか?

思索を深めていきましょう。

ディスカバリーのデザインとデリバリーのデザイン

アジャイル開発のなかでデュアルトラックアジャイル(デュアルトラックアジャイルって結局何なの?note記事参照)を導入したり、ディスカバリー、デリバリーの動きを意識的に分けて取り組んでいるチームもあるかと思います。

ディスカバリーは価値や課題発見を、デリバリーは課題解決を担う、と言われています。プロダクトの目的に向けて、ディスカバリーで必要とされる内容と優先を決め、デリバリーでその実現へと進めます。

しかし、ものづくりって、そんなキレイに分かれてるもんでしょうか?混じりっけはないんでしょうか?

これに対して、デザイナーおよびデザインにどのような関わりがあるか。私としては、ディスカバリーとデリバリーのそれぞれにデザインや周辺の活動が必要だと考えています。

デザイナーおよびデザインの関わりは、会社や事業、取り組み等によって異なります。そのため「これはリサーチャーのタスク」「これはPdMが担う」と役割から個別化する前に、デザインの関わりや与える影響に目を向けていきます。

例えばイメージしやすそうなデリバリーから挙げてみます。
(※以下は個人の解釈も含みます)

デリバリー(課題解決)への関わり

  • UIデザインの設計

  • インタラクションや状態遷移等の設計

  • PBIにおける要求仕様や受入条件の作成

  • リファインメントでの不明点解消

  • 開発中のコミュニケーション、Q&A

  • デザインレビュー

ディスカバリー(課題発見)への関わり

  • シナリオやユーザー体験、アイデアの仮説構想

  • コンセプトやプロトタイプによる検証

  • ユーザーインタビュー、調査設計、分析

  • 価値やメンタルモデルなど情報整理、定義

  • USM等による優先判断、スコープ検討

あなたはディスカバリーとデリバリーの、どちらにどのぐらい関わりますか?どちらに比重があり、どのようなプロセスが望ましいのでしょうか。

きっとひと口で言い表せないほど、プロダクトを取り巻く状況は複合的で、常に移り変わります。

Aさん「つくるものの成果の見込みが明確なので、いちはやくデザインして届けたい!」
Bさん「仮説や課題が曖昧だ!リサーチやテストを通じて何が良いか確かめたい!」

これらの状況にいる人々が、それぞれ状況共有することもなく活動を共にすればどうなるでしょうか?

Aさん→Bさん「この状況でリサーチばかりして、貴重な時間を費やすのはもったいない!機会を逃してしまうかもしれない。」
Bさん→Aさん「この状況で利用価値の低い機能が増えたら、コアとなる価値がブレたり本当に届けたいものが遅れてしまうかもしれない…」

お互いを誤解したまま悪いように勘ぐってしまうかもしれません。

「思うようにいかない。」と感じることについて、もう少し根底にあるマインドにフォーカスし、その違いをみていきます。

異なるマインドをひとつのチームで共存する難しさ

ひとりの人の身体は、異なる器官が異なる働きをしながら、ひとつの生命として組織化しています。同様に組織の中にも複数の異なる仕事があり、それぞれに取り組みも担う人も異なります。さらに内外とも変わり続けることが常だと考えます。そんな中で時にバランスも崩します。

私がファシリテーションでよく意識することですが、ある目的のもと、多様性や違いを一元的な良し悪しで切り捨ててしまうのは「もったいない」と思っています。前述のAさんBさんのように、多くの人が「良くしようとする意志」を持っていることが多いからです。そう信じたい気持ちもあるかもしれません。

そのため私個人はステークホルダーマップ等を用いて、立場や役割の違いを明文化し、相互理解や触発を促すことがあります。

手法は数あれど、そうした異なるマインドをビジュアライズし、共有することこそデザインにできることかもしれません。

前述のディスカバリー(課題発見)とデリバリー(課題解決)でも「この間の接続がうまくいかない。」「どちらも前向きだけど、どこか噛み合わない。」といったことが発生します。

その理由や背景として考えられる違いを考えてみます。

異なる関心対象

普段の取り組みが違えば、みている「関心対象」も差があって当然です。

ディスカバリーでは、課題発見するうえで有効な仮説やリサーチファクトを得るため、関心対象はユーザーやマーケットあるいはビジネスやビジョンといった背景の「理由」に向かいます。

デリバリーは、ユーザーの要望やリサーチによって得たファクトにそのまま応えるのでなく、それらを理解したえで、チームが解決すべき優先課題を求めます。関心対象は「アウトプット」や「実現方法」といった具体策に向かうことでしょう。

異なる目的意識

目的に向かって取り組むなかで、人々の意識も変わります。ディスカバリーとデリバリーのそれぞれの取り組みで、どのような意識で人々が取り組んでいるのか、自分が取り組む様子を想像するとその違いがわかるように思います。

ディスカバリーでは、リサーチを通じた探索や仮説構築において「問い」を求めます。私たちはなぜこれに取り組むのだろうか?この仮説は確からしいのではないだろうか?こういう場合もあるんじゃないか?など「問い」を通じて、新しい課題の可能性を探ろうとします。

デリバリーでは、デザインや要件化を通じてより確度の高い「答え」を探します。今必要なものはこれだ。次取り組むべきスコープはこの範囲にしよう。など「答え」を明確にしながら、正しくスピーディにアウトプットにつなげようとします。逆に曖昧さを嫌うかもしれません。

異なる思考態度

関心対象と目的意識が違えば、取り組みに対して「どのように考えようとするか」思考態度も変わるように思います。

デリバリーでは、答えを明確にする目的意識のもと、数ある問題から何かに特定したり定義しようとする「決定的な態度」で考えることが多くなると思います。

ディスカバリーでは、問いを探る目的意識のもと、曖昧さや不明瞭さ、小さな矛盾もそのまま捉えたい「非決定的な態度」で考えることが多くなると思います。

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違い(矛盾とも取られる)を、人や組織が偏って抱えているとどうなるか?
前述のAさんやBさんのように、他方への不理解からストレスを抱えたり、勘ぐり(邪推)や敵視、すれ違いの原因になるかもしれません。

では単純に、この違いを無くせばよいでしょうか?

違いがない。イコール、どちらか一方に合わせること、だとしたら?実現したいことがあるけど、叶える具体策も叶える人もいない。あるいは、テクニックはあるけど、実現したいことも人もいない。それでは元も子もなくなります。

異なるものを、それぞれの正しさのもと、間違いを受け入れたり正しく捉えなおして折り合いをつける。これには大きな負荷がかかります。

しかし関心も意識も態度も異なるが、ディスカバリーとデリバリーはそれぞれに必要なもの。そしてデザインはその両端にまたがります。それぞれに異なるマインドを前にデザインは何を成せるのか?

私はデザイン活動や可視化を通じて、それぞれの必要を伝えることで、異なるマインドの共存を促し、価値や成果に導けるのではないかと考えます。これらの共存は言葉にする以上の難しさを感じています。

そう考えると、過去の成功体験をもとに「違うんだよ」とするのは簡単じゃないかなと。今に向き合うことはそれ以上に難しいと思います。しかしチームとなら向き合える。さて、あなたならどう考えるでしょうか?

イテレーティブに往来し、インクリメンタルに設計を固め続ける

デザインの関わりや異なるマインドを踏まえながら、私たちはどのようにデザインを活かしていけるのでしょうか?

自分には(2023年末時点で)

  • アジャイルにおけるイテレーションとの「関わり」

  • 変わり続けるプロダクトのその時点における「設計」

の二軸から大切にしたいことがあります。
よく意識する図を添えます。

Agile’s 3 categories: Iterative, Incremental, and Evolutionary

往来しながら解像度を高める

プロダクトの変化や成長と共に、チームやトラックが分かれ、デザイナーとチームが常に一緒に動かないような状況もあると思います。私個人としては、開発イテレーションとデザイン(リサーチを含む)はサイクルに乗らない取り組みも多く、必ずしも完全同期しなくてよいと考えています。

しかし、チームはイテレーションサイクルと共に、常に状況や情報を共有しています。完全に分断してしまえば、事前にどのぐらいの要求を考慮してデザインをしているか、分からなくなってしまいます。デザイナーやプロダクトマネージャーだけで考えてしまえば、偏りや実現までの考慮が薄いものになりかねません。私はデザインコミュニケーションを分断せず、往来し続けながら解像度を高める必要があると考えています。

例えば、要件が固まる前段階を共有し、テクノロジーに理解のあるエンジニアや技術視点からのアイデアを取り込むことで、想像を超えるイノベーティブな発想につながるかもしれません。イテレーションは継続します。以前より今、今より以降のサイクルに向けて、往来しながら解像度を高め続けることができます。

それに、たとえ結果が伴わずとも、作り手の意志を取り込み、その魂ごとチームで共有していける。結果的にチームビルディングにもつながるのではないか(しかし実はそれが大きな推進力になる)とも思います。

漸増的に設計を定める

従来の開発では、一度決めた要件や設計方針は基本的に覆さないよう、部分と全体の適性をよく考えて決める必要がありました。

アジャイルな開発においてはどうでしょうか?
柔軟で適応的なイテレーションサイクルの中で、状況にあわせてデザインを徐々に具体化することができます。しかし徐々に機能を増やしていけば、設計の整合性が取れなくなってくる恐れがあります。

デザイン対象の増加や複雑性の変化は、デザインのアウトプット量と必ずしも相関しません。部分と全体は、常にズレていく可能性をもっています。そのため、イテレーションとは別で、適宜「設計の整合性」を定め続ける必要があると考えます。

具体的にはオブジェクトモデルのような抽象概念から、プロダクトの情報構造、コンポーネント仕様、ライティングルール、スタイルガイド等まで、共通する設計に影響があるか。影響がある場合には、デザイナー自らが判断し、これを整合させる必要があります。これはデザインの保守ではなく、イテレーティブな関わりを通して増えるデザイン要素を、漸増的に(段階的に増やしながら)まとめる・固める・定める「設計行為」と考えます。美麗なプロセスではなく、設計として要点を押さえるものです。

ここまで記事では「デザイナー」という役割を意識的に記載してきませんでしたが、ここにこそ職能的な観点が求められると思っています。自己目的に閉じることなく、しかし言われるままなりゆきでUIを描くでもなく、ソフトウェア開発に有効なデザイン(設計)をし続けること。私個人は、そんなふうにデザインすることが最も大きなデザイナーとしての意志となっていくように思います。

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アジャイルな開発イテレーションの中でどのようにチームと検討し、設計を固める。前述したように、変数は常に変わり続けるため「これ」という正解はないかもしれません。しかし、デザインする中で必要を見極め、関わる人の意志につなげることが重要ではないか。と考えています。

あなたの考えるデザインやデザインコミュニケーションが何につながっていくのか。どのような思索ができそうでしょうか?

クラフトに作り手の魂を宿す

チームや組織視点で考えることは増えましたが、視点をひいてみると、実は構図は変わりないかもしれません。

ひとりの人が大きなロクロを回しながら、指先や手肌の感覚を頼りに何度も造形を整えるような。構図や角度を変えながら、何度も何度もラフスケッチして対象を描き出すような。デジタルから遠くあるような鍛錬を思い浮かべます。

触覚や視覚でディスカバリーし、認知や思考〜絵筆や画材も選びながら意志をもってデリバリーする。組織によるものづくりとなっても、デジタルが一般化し、AIが台頭しても変わらず。むしろますます、作り手のテクノロジーを活かす意志が重要になってくるように思いました。

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ここで、私が直近の仕事でそんな感覚を得た具体例をご紹介します。

ある機能を実現するため、2つの画面をプロダクトに追加したい。これを画面やまとまった要件で考えると「XXXの一覧と詳細を追加する」だけで話は終わります。

私たちチームは目的や業務の理解からチームによる質疑やディスカッションを挟み、デザインを調整する時間を取りました。短時間で要求と実現の間をいったりきたり往来する中で雑然と意見を交わし、作り手の提案やこだわりを反映することができました。

状況によって良し悪しありますが、関わる人の意志を反映していくために、かけた時間の投資以上の意味があるように感じました。

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「もっと良いものを作りたい」という私たちものづくりを担う人々の意志。その熱意やこだわり、魂をクラフトに宿す。デザインやデザインコミュニケーションにはそんな期待があるのかもしれません。

あなたなら何を感じ、叶えていけそうですか?

私もよく「UX」「アウトカム」など大きなワード、あるべきプロセス、フレームワークに振り回されてしまう。クラフトマンシップを見失う。「まだまだうまくいかないなぁ」と思いながら、しかしデザインと共に往来し、可能性を思索することで意志を持つことができる。そうやってデザインに向き合う日々を楽しいと感じています。

もし、サポートいただけるほどの何かが与えられるなら、近い分野で思索にふけり、また違う何かを書いてみたいと思います。