見出し画像

長男出産前後の記録 1

こんにちは、豆大福です。

別の記事を書きながら、息子を産んだときのことを思い出したので忘れないうちに書いてます。

はじめに言うと、うちは助産師さん曰く安産。
とても苦しい思いをされた方もいると思います。
私は私のことだけをここに書き留めておきます。



里帰り出産

初めての出産。実家で産むことをなんの迷いもなく決めた。
夫はいるけど出張で不在がち、義母が手伝うよとも言ってくれたけど、関係良好とはいえまるごとお世話になるわけにはいかない。
実家の母は「あんたの好きなようにしなさい」
じゃあ遠慮なく、とギリギリまで仕事をして産休に合わせて帰省する予定だった。
ところが、ちょっと予定が狂った。

もう、産まれちゃうよ?

あと二週間で産休突入、という土曜日の検診で
いつも厳しい医者が、さらに厳しく言った。
「赤ちゃん出ちゃうから、もう仕事行かないで」
え??いきなり?切迫早産というものだった。大して知識もなかった私はナニソレ?状態。早産の一歩手前なんだと。

検診前日の金曜日は、仕事をモーレツにこなしていた。産休に入るための引き継ぎ、上司や後任との打ち合わせ。お客さんに電話、書類の受け渡し、後輩のフォロー。狭い社内をあっちこっち動いて、階段の往復なんて何回したか。
ヘトヘトで帰宅した。でも体調は良かった。
だから「赤ちゃん出ちゃうから、働いてたら早産になるからもう行くのやめなさい」と言われて驚いた。
自分の体調とお腹の子の状況ってイコールじゃないんだわと、初めて知った。

重力で子供が下がってくるから、シャワーとトイレ以外は体を極力横にして〜など、諸々説明を受けて即帰宅。月曜日のことを考えると憂鬱だった。
でも、赤ちゃんに何かあったらいけない。仕事は、どうにかなっても赤ちゃんはどうにもならない。
月曜日はタクシーで職場へ向かい、事情説明や急ぎ対応することの話し合いだけ行い、タクシーで帰宅した。
その後の仕事の片付けはメールでやり取りし、再出社はせずフェードアウトの形で、予定より早めに産休に入った。申し訳無さや、心残りのある産休入りになってしまった。
ただ、あのまま無理して働き続けていたら、、、と考えると、
子供のヘルプに気がつけて本当に良かった。

そんなわけで、体調の頃合いを見て決行した里帰りは予定より早くなり、親には余計に心配させる材料も持ち帰った。普段はドライな夫も一緒に飛行機に乗って、空港で私を私の親に引き渡し、なんと次の便で自宅に帰るという驚きのフットワークと優しさを見せた。これには親も驚いていた。


厳しい医者のアメとムチ

少し話は戻り、里帰り前までの産婦人科の先生のこと。厳しい医者と書いたが、本当に厳しかった。初めての出産で他の産婦人科にかかったことはないので、これが普通なら今後も覚悟して産婦人科にかからねばならない。

当時50代後半くらいの男の院長先生。あまり感情は示さず、増えすぎる私の体重を見てただ淡々と、「君は馬鹿なのか、赤ん坊のこと考えなさい」とサラッと言い放つ。検診行くのも億劫になるほど。別の若い先生が担当した日も「院長に怒られますよ、もっと体調管理しっかりしてください」と諭される。みんな院長が怖いのだ。‥いや、私の管理があまりに悪かったのか。
ともかく、厳しい院長先生なのだが、話はわかりやすく、いつも「生まれてくる赤ちゃんとお母さんの体」のことを一番大事に話してるのがよくわかる先生だった。そんな先生を信頼してか、待ち時間は毎度半日を覚悟するほどの盛況ぶりだった。

帰省前、最後の検診


そんな先生に「仕事行くのやめなさい」と言われて、大人しく2週間安静に過ごした。里帰りの意向は伝えていたので帰省のタイミングの相談、経過観察のため改めて受診した。いつも通り淡々と進む診察。心配されていた子宮頸管の長さも少し戻り、これなら帰省しても大丈夫でしょうとなった。
診察が終わり、ありがとうございましたーと立ち上がってドアに向かおうとした、その時
先生が見たことのない優しい優しいお顔で
「元気に、元気な赤ちゃんを産むんだよ」
と本当に優しく笑顔で見送ってくれたのだ。泣くかと思った。
「はい、元気な子を産みます」
と答えて診察室を後にした。

とんでもない、アメとムチ。
ムチ多かったけど、最後のアメでもう十分。
切迫早産でそれなりに落ち込んだり、不安になってたから尚の事、先生の優しさが身に沁みた。
この場を借りて感謝申し上げたい。
先生、ありがとうございました。お陰さまで元気に産んで健やかに育っております。


たぶん、つづく。





よろしければサポートしてください。とても喜びます。