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黙っていてはいけない 2024年の年頭にあたって思うこと

岸田首相は、大軍拡路線に大きく舵を切った。これは、安倍政権時代から続く「戦争する国づくり」の流れを受け継いだものではあるが、明らかにそれとは区別されるべき画期的な段階に入ったことを示している。日米同盟はいま、文字通り臨戦態勢づくりにまい進している。すでに日本は、米国とともに戦争する環境づくり(違憲の戦争法体系整備)を終え、日米一体で戦争を遂行する実戦レベルに突入した。岸田政権は、自衛隊の核武装(=日米「核共有」)さえも視野に入れている、と見るべきだ。

岸田首相が、今回の安全保障政策の大転換にあたり、口癖のように語ったのが「日本を取り巻く安全保障環境の激変に対応する」というフレーズである。

しかし私たちは、いまある現実の「来し方」と「行く末」をしっかり見極めなければならない。私たちを取り巻く、現在の安全保障環境は、誰が、どのようにしてつくってきたのか。

それは「外」から変わったのか。この場合の「外」とは、「国外」という意味だが、国名を挙げれば、中国やロシア、北朝鮮、イランなど(米国に同調せず、いわゆる「反米」の立場をとる国々)を指すのか。それとも、自らの国を、公式文書「国家安全保障戦略」(2022年10月発表)の中で「グローバルパワー」と言い切る唯一の国、米国のことと見るか。

「内」とはもちろん「日本という国」の内側を指している。

冒頭に書いた岸田政権の「臨戦態勢にまい進する大軍拡路線」への転換は、私たち主権者の意思に基づくものなのか。であれば、主権者に対する十分な説明と国民規模での議論を踏まえてなされたか。それとも「世界の覇者」を自認する米国の意向を受け、指示されるままに、むしろ国民の目から隠れるようにして舵を切ってしまったということか。

だとすれば、岸田政権の防衛政策そのものが、東アジアの軍事的緊張を高めている側面はないのか。日本国憲法の前文と九条のもとにある国が、そのような状態に陥っていることを、私たちは黙認していいのだろうか。そもそもそのような国づくりは、私たちの日々の暮らしをどこに導こうとしているのだろうか。

このことを考えると、じっとしてはおれない。

とにかく、黙っていてはいけない。

G7サミットが広島で開かれた2023年。この1年の間に、私たちが住む広島では、被爆地のありようとして考えられないような出来事が相次いだ。

春には、広島市教育委員会が作成した平和教材から「はだしのゲン」が消えた。「第五福竜丸事件」も削除された。これらと入れ替わるように、原爆投下を赦(ゆる)して「未来志向の和解」を呼びかける、亡き被爆者の「声」なるものが大々的に掲載された(これは亡き被爆者ご本人の文章ではなく、米国在住の娘さんの手になる「声」である)。米国ハワイ州の真珠湾にあるいくつかの戦勝記念施設と広島の平和記念公園が、あまりにも唐突に姉妹協定を結んだ。この締結をめぐり米国の原爆投下責任を「棚上げ」するという市幹部の答弁まで市議会で飛び出した。市長が了解したうえでの発言だった。12月に入ると、その松井一実市長が新規採用職員研修に教育勅語を使っていることもわかった。

これら一連のできごとは、どこかでつながっているように思えてならない。核兵器廃絶とも戦争反対・平和の実現とも似ても似つかぬこれらの動きは、いったいどこから生まれてきたのか。

「専制主義」に対抗するとして、「自由と民主主義」「法治主義」を標榜する主要7カ国の首脳が広島に集ったG7広島サミット(5月19~21日)とはいったい何だったのか。広島の冠をつけて初日に発せられた「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」には、G7が核抑止政策を取り続けることを正当化する理由が明記された。前年から続く戦争の一方の当事国であるウクライナのゼレンスキー大統領が電撃的に訪れ、会議に参加した。G7広島サミットは結局、核抑止を唱える核保有国の「核の傘」のもとで戦争をあおるような会議になってしまったのではないか。核抑止と、ウクライナへの武器供与を決める場として、広島が「貸し座席」に利用されたのではないか。

しかも、主要7カ国とEUは、5カ月後に起きたパレスチナ・ガザ地区での戦争で、一貫してイスラエルを支持・支援する立場に立っていることを私たちは決して見逃してはならない。

いま世界で起きている動きに、大いなる疑問を禁じ得ない。

だから、私たちは、黙ってはいけない。

核抑止論を正当化した「広島ビジョン」には、被爆者をはじめ多くの市民が抗議の声を上げた。8月6日の平和宣言で広島市長は「核抑止論は破綻した」と明言した。カナダ在住の被爆者、サーロ―節子さん(91)は「声を上げた市民の力を感じた」と記者会見で語った。

やはり私たちは、黙っていてはいけない。

自らの身のまわりで起きていることにしっかり目を向け、疑問を抱いたらそれを問いただす声を。

思わず拍手したいような出来事には共感と連帯の声を。

ささやかであっても、自分で考えた言葉を発しようではないか。

ウクライナやガザでの武力衝突が続くなか、戦争や核兵器について私たちが考え、語り合う機会も増えてきた。

決して無関心であってはならない。

語り合う。声を上げる。

ただ、それだけでいい。

そのことを、静かに胸に秘めて、動こう。

いま、広島で起きていることを世界の動きと結び付けて考えよう。

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