見出し画像

月に1冊ディックを読む➄「宇宙の操り人形」

今年の1月から毎月1冊、ディックの長編を読んでブログに書くことにしています。5月分、早くも読んでしまいました。速読教室にいっている成果か、他の作品に比較してとても読みやすい作品だったことによるかはわかりませんが、ついつい今日1日で読了してしまったという次第です。なので今月は後日、もう一冊上げます。さて、ディックは高校から大学にかけて読みふけったSF作家の1人です。凄く自分の価値観に影響を与えているのか、価値観が近いから読みふけったのか…。「ユービック」「火星のタイムスリップ」「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」「流れを我が涙、と警官はいった」の次に選んだ5冊目がコチラです。いきなり初期の作品に戻りました。皆様も連休にはディックをいかがですか。

【この作品が書かれた年】1953年

【この作品の舞台】1953年

【この作品の世界に存在する未来(舞台が同時代なので未来ではないが…)】バリア、それ、時間を止められる少年、ワンダラーズ、かれ、こいつ、念力移動器(実はない)、年度に生命を与える力、光の神(炎の剣)オーマズードと暗黒の神(宇宙の破壊者)アーリマンの戦い、オーマズードの娘アーマイティ

【原題】「THE COSMIC PUPPETS」

【読んだ邦訳本】ちくま文庫 て4 仁賀克維訳 1992年1月22日発行

ハヤカワでも創元推理でもサンリオでもなく、ちくま文庫とソノラマ文庫から刊行されている珍しいパターンです。ディックの長編二作目とされている作品で、ディック自身はファンタジーと位置付けているようですが、確かにそういう感じで、特に後期の作品とはだいぶ作風の違いを感じます。ただ、自分は誰なんだ?この記憶は本物なのか?この世界は本当に現実の世界なのか?というディック・ワールドに溢れた作品でもあります。読みやすくはありますが、なんかイージーな後味でもあります。ディックらしいんだけど、ディックらしくない、そんな味のする初期の作品です。

主人公はテッド・バートン。夫婦でのドライブ旅行の途中、ふとしたきっかけで18年ぶりに生まれ故郷の街ヴァージニア州ミルゲイトを訪れます。18年前の記録を照らし合わせるものの、そこは何もかも彼の記憶と異なる街でした。新聞社で古い新聞を探し当てると、彼は18年前に9歳の時に死んでいることがわかります……、というスタートです。ぞくぞくきますね。ただし、未来的・SF的ガジェットが次々と出てくるわけでも、ドラックが幅を利かせることもありません。バートンが出会うのはちょっと奇妙な子供たち、そして昆虫や小動物、さらには生命を持つ粘土人形にワンダラーズと呼ばれる実態のない影のような人間たち。街を出ようとすると、バリアに阻まれ出ることができません。街の中の人からすれば、バリアを超えて街を訪れた前例のない人がバートンだったのです。

そこからバートンの過去の記憶の街を取り戻す戦いが始まります。実はこの街は、過去の街の上に別の街がかぶさっているという仕掛け、それを必死で過去に戻す作業に取り組み、ようやく懐かしの公園が少しずつ戻ってくる、そんなさなかに大戦争が始まります。蛾・蜘蛛・ネズミ・ゴーレムの大群に対抗するのは、ミツバチたち。ここからいきなりゾロアスター教の世界になり、光の神オーマズードと暗黒の神アーリマンの戦いに至る………。てなお話です。わかりますか?、わからないですよね。そんなお話が情緒あふれる雰囲気の中で進むのです。

「この本を書くために、資料として宗教のことを調べなければならなかった。ゾロアスター教だよ。これが、私の人生のターニングポイントになった。二元論的な、二神教のこの宗教について学んだあとでは、また一神教に戻るのは困難だった。だからわたしは、自分がゾロアスター教について研究したことによって、精神的、神学的、宗教的な影響を受けた。そういうつもりはなかったんだがね」。ディック自らがこのように語っています。そしてディックは本作品を「これはまちがいなく、いままでに書かれた最高のファンタジー長編だ」と評しています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?