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【巻頭言】「キャリアが日本を元気にする」

日本キャリアデザイン学会の副会長をさせていただいていますが、少しくらい働かないといけないので、会員向けのキャリアデザイン・ニュースレターの巻頭言を書きました。何を書いてもいいといわれたので、だらだらと今、思っていることを書き連ねました。これからも、いろいろな角度からキャリアという難物とは付き合っていきたいと思っています。

【巻頭言】「キャリアが日本を元気にする」

私はアカデミアに属しない生粋の企業人ですが、キヤリアを論ずる学会に生粋の企業人が混じる意義はたぶんあるのだろうなと感じています。比較的、当学会初期からのメンバーであり、20年近くにわたり、日本におけるキャリアの捉え方の変容を自分なりに見てきました。一人のビジネスパーソンとして、この20年くらい、つまり私がキャリアというものに興味を覚えて接し始めてから今日までについての振り返りをしてみたいと思います。

人事という仕事を通じてキャリアに興味を覚え、キャリアカウンセラー養成講座であるGCDFを受講しました、2003年だったと思います。まだ、キャリコンなんて言葉が産声をあげる前の時代です。そして当学会にも参加しました。食品メーカーに勤めていた当時、技術系で研究所配属の同期が大学の延長上の研究を続け、自分の名前で学会発表や特許取得をしているのが妙に羨ましく、文系ビジネスパーソンでも学会活動くらいやれるんじゃないかと思ったのが学会への参加動機です。不純な動機です。今ではビジネスの傍ら、社会人大学院に通うことも普通になりました。自分ができなかっただけに、チャレンジしている皆さんは素晴らしいと思います。そんな皆さんが大勢、学会にも参加されています。ビジネス界出身の大学教員も普通になりました。アカデミアとビジネスの境界線は薄れてきました。

GCDF受講後も、いろいろな勉強会に顔を出しました。キャリアに関する学習は趣味の1つでした。学習そのものも好きでしたが、学習する場、そして場づくりに関与することが好きなのでしょう。この学会もその1つです。GCDFを運営するキャリアカウンセリング協会がスーパーバイザー養成講座を立ち上げた際も1期生として参加しました。2010年だったでしょうか。そんな日々を続けるうちに、気づけば流れに任せるままにGCDFの講師として全12日の講座を担当する副業をするようになりました。平日は本業があるので、土日のコースを担当します。週末も仕事で大変ですねといわれることもありますが、私にとっては今でも完全に趣味の延長上です。幸せな副業とは趣味がマネタイズできたものだと実感しています。GCDFでは、毎期、新たなクラスメンバーを迎えます。初日の自己紹介を聴くのが楽しみです。ほんとうに真摯に受講動機と講座への期待を語っていただけます。12回のクラスはキャリコンの養成講座でもあり、理論・カウンセリング・周辺知識と広範に渡る基礎的なキャリアの学びの場です。自分自身を題材にして考えるのがキャリア学習の特徴の1つでしょう。この受講のプロセスで受講生自身にダイナミックな自己概念の変容が起こることに時折、立ち合います。キャリアを学ぶこととは、それ自体が

自らのキャリアに大きな影響を与えることなのです。講座の中で多様な背景を持つメンバーと生身でぶつかり合いをする結果でもあります。越境学習の醍醐味がまさにここにあります。

この20年間の変化は、「キャリアのコモディティ化」という言葉で表現できるのではないでしょうか。20世紀の終盤の日本でキャリアのつく単語をあげよと問えば、多くのビジネスパーソンが「キャリア官僚」「キャリアウーマン」という言葉をあげていました。もはや死語です。キャリアという概念が一部の人のものだというイメージだった時代なのです。キャリアのコモディティ化の流れは、大学の就職部をキャリアセンターと改組させ、キャリア教育を学業に深く送り込み、大企業にはキャリアを専門に扱う組織を生みました。そして国家資格も生まれ、国家資格キャリアコンサルタントも有資格者が6万人を超えました。

キャリアのコモディティ化の背景にあるのは時代の変化です。日本にも「選択に溢れる社会」が出現したことです。私が社会に出た1985年には第二新卒という言葉はありませんでした。自組織に疑問を感じても選択肢に転職が浮かぶ人はまずいませんでした。たまたま入社した最初の会社で我武者羅に頑張るしかなかったわけです。選択に乏しい世界です。企業もそれを促進すべく長期勤続インセンティブの強い人事制度を重宝していました。目の前のことを愚直にやる時代でした。大半の女性は基幹職を目指せず、結婚退職という意味不明な風潮が普通でした。副業というのは、兼業農家などの第一次産業だけにある概念でした。起業のハードルも高いものでした。ほんのわずかな期間で、日本は変わりました。「選択に溢れる社会」になったのです。もちろんまだまだ課題は山ほどあります。しかし、フレックスやテレワークにより、働く時間と場所の自由を私たちは手に入れました。スマホ1つで転職活動も気軽にできます。通勤電車に乗ると車内広告が転職にいざないます。総合職を選ぶのも一般職を選ぶのも、派遣や個人事業主を選ぶのも自由です。企業内の人事制度すら、個人の希望を重視した異動に寛容です。地域社会の崩壊の流れにより世襲も薄れました。世襲していた商店や小規模企業が淘汰されていった結果です。選択が皆無の世界には、キャリアという言葉は生まれなかったでしょう。選択のある社会が拡大することにより、キャリアという言葉が多くの人に意味のある、自分ごととして考えなければいけない言葉になったわけです。かくしてキャリアはコモディティ化しました。

「選択に溢れる社会」とは、豊かで幸せな社会です。それは間違いないはずです。しかし、私たちは新しいことに気づきました。選択をすることの難しさ、選択をすることの怖さです。残念なことに、軽々と選択をし続けられる人ばかりではなかったのです。

気づいた時には日本はすでに変わっていました。「選択に溢れる社会」が、辛く大変で閉塞感に溢れた社会になるのではなく、豊かで楽しく元気に溢れる社会になるため、キャリアという概念がきっと今の日本には大切なのです。そして6万人のキャリコンも大切な存在です。しかし、多くのキャリコン自身が、資格は取得したものの自身のキャリアに悩んでいるという皮肉も存在します。これはライフワークとして携わりたいテーマです。

いかがでしょうか。私たちが取り扱っているキャリアという素敵な難物は、実に意味があり、実に夢がある存在であるとは思いませんか。キャリアに携わりながら日本を少しでも元気にできることに寄与したいと切に願います。そして、キャリアという概念にはそれができる力があると信じています。


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