見出し画像

日常に寄り添う日本人の美意識

皆さんおはこんばんにちは!
(4881文字/約6分で読めると思います。)

先週、みんな洋服ばっか着てるけど、そもそも俺らには和服ってものがあるし、結構イケてるよねみたいな話を書いていて、衣服以外にも今は機能性とか値段的な意味では使われなくなったけど、日本人の感性で作られていてイケてるものって他にももっとあるんじゃないのか。。?と思った今日この頃です。

和服を日常的に着ることはなくなったとはいえ、催事で着たり、夏には浴衣という形で目にすることもまだあるので、そこまでイメージしにくいものではないと思いますし、和服の良さというのも共有しやすそうです。

ただ、衣服に限らず日本人の感性を元にしたイケてるものは沢山あると思っていまして、例えば茶室などは今は見ることが少ないですが、手前の露地にある植栽でリラックスする前段階や、入り口の躙口を狭くすることによって、入った瞬間の空間への広がり、非日常感を感じさせたりなど、様々な工夫や機能が敷き詰められています。

そんな今はあまり見ないけど、歴史の中で紡がれてきた日本人の美意識、意匠のようなものってどんなものなのかというのを、具体的な物品などから紐解いていこうと思います。

しれっと「意匠」という言葉を使いましたが、よくわかってなかったので、調べてみると、今風にいいえば「デザイン」のようなもので、辞書ではこんな感じになっていました。

美術工芸品・工業製品などの形・色・模様などをさまざまに工夫すること。また、その結果できた装飾。デザイン。
(大辞林第三版)

人が便利に思えたり、美しいと思えるような外見をまとめて「意匠」というらしく、日本では意匠法という意匠権を保障する法律まで存在しているそうです。

この法律で「意匠」とは、物品(物品の部分を含む。以下同じ。)の形状、模様若しくは色彩又はこれらの結合であって、視覚を通じて美感を起こさせるものをいう。
(意匠法第2条)

物の形や色、模様など「モノのデザイン」を総じて「意匠」と表現するようですが、この意匠という文字が既にかっこいいと感じてしまいます。。そんな日本独自の意匠について見ていきましょう。

物品から見る美意識

日本人の意匠。。という一言でぱっと思いついたのが、硯箱、屏風、陶磁器とかなんですが、どれもこれも骨董品を扱っているお店に行って、かなりのお値段で買うものかと思えば、普通に通販とかで売っていてびっくりしました。(屏風などは今でも結構なお値段するようです汗)


それぞれ日常的に使うものではないものの、どこか日本風な美しさというものを感じますし、いわゆる意匠が施されているものという言い方はできると思いますが、具体的にはどんな意匠があるのでしょうか?

硯はそもそも何のための道具かというと、今では墨汁をそのまま垂らすパレット的な使い方が多いですが、元は水墨画のインクとなる墨を磨くための道具であり、その硯を収納するための箱が硯箱というものになります。

有名な国宝と言えば、桃山時代に形成された琳派の祖である、本阿弥光悦の代表作としても有名な「舟橋蒔絵硯箱」がありますが、ぱっと見硯箱とは思えない程絢爛な見た目をしています。

舟橋蒔絵硯箱

硯箱では珍しい、山形に高く盛り上がっている蓋が特徴的で、全体的に角が丸まった形をしており、蓋が本体より大きく造られている被蓋のような作り りが特徴的で、箱の全面に金粉がまかれており、表面には波の上に漂う小舟が描かれており、厚い鉛の板で波の上を掛け渡している橋が表現されています。

波は漆で線描きしてから金粉をまく付描という手法で描かれており、小舟は漆を盛り上げて金粉をまいた薄肉高蒔絵で描かれており、立体感を持った質感で描かれています。

意匠効果を高めているのが、銀の板を切り抜いて散らし書きされた文字で、『後撰和歌集』の歌である「東路の佐野の舟橋かけてのみ思い渡るを知る人ぞなき」から、「舟橋」の字を抜いた部分が書き記されています。その舟橋部分は鉛でできた橋そのものから読み取るという仕掛けが施されているのは調べて見て初めて知りました。。

文字を書くための道具を仕舞う硯箱という、日常使いのものにさえ施されている意匠はやはり惚れ惚れしてしまいますね。。金粉を纏った上品な見た目の上に描かれた船と波の文様と、重厚感のある鉛を舟橋として掛けることで、重厚感を増しつつ、和歌としての意味も掛けてしまうという何重もの仕掛けはまさに意匠といったところでしょうか。

お次は屏風ですが、もともと風除けや視線を遮ったりと、室内装飾としては欠かせない調度品のため、日常的に使われるものでありました。その屏風に絵を描いたのが屏風絵となり、一般的には六枚の画面(扇)をつなぎ合わせた「六曲屏風」が基本の形で、数え方は屏風一点を一隻、二隻で1組の時は一双と呼ばれるそうです。

そんな屏風絵の中で個人的に好きなものが、「洛中洛外図」になります。江戸時代の京都は「洛」と呼ばれ、京都の町中とその郊外を合わせて洛中洛外と表現され、そんな京の町を屏風に描いたのが「洛中洛外図」であり、現存するだけで100点以上あるとされています。

描き方も人ぞれぞれで、特に好きなのは、滋賀の舟木家に伝来したとされる舟木本です。初期の町田本や上杉本がに見られる洛中洛外図の一定型の「上京と下京をそれぞれ東と西から別々に眺望して2図に描き分ける形式」を破り、1つの視点からとらえた景観を左右の隻に連続的に展開させているのが特徴的ですね。

↓上杉本

スクリーンショット 2021-06-05 12.13.12

↓舟木本

スクリーンショット 2021-06-05 12.15.15

上杉本にあるような眺望した視点ではなく、1つの視点から捉えた景観のため、建物や風俗をとらえる視点は対象に近く、随所に繰り広げられる市民の生活の有様が事細かに描かれています。街々には様々なの階層の人々が散在し、その数はおよそ2500人に及ぶほどの緻密さと再現性ですが、これを描き出した画家の名は不明なところがまた面白いですね。

日用品としてはより身近な陶磁器ですが、陶器は、陶土と呼ばれる色つきの土を使用し、低めの温度で焼くため、表面はざらりとしており、吸水性があります。叩くと「ゴン」という音がするように、土独特の特徴が残っており「土もの」とも呼ばれます。

磁器は、磁土と呼ばれる白い石紛を使用し、高めの温度で焼くため。表面はガラスのようにつるりとしており、陶器と比べて吸水性は低いそうです。石から作られるので「石もの」とも呼ばれ、叩くと「カン」という音がします。

この陶器と磁器を合わせて陶磁器と呼ぶそうですが、そんな陶磁器も全国津々浦々に土着した様々な器が存在します。(全国の陶磁器については下記サイトが見やすくておすすめです!)

国宝に指定されている陶磁器は14個と意外に少ないですが、調べながら目についたのが、「油滴天目茶碗」でした。

スクリーンショット 2021-06-05 12.52.02


天目茶碗は、宋時代に中国にて焼かれた茶碗で、日本に渡来してくる宗によって茶の文化と共に日本に伝えられましたが、曜変天目茶碗など、国宝に指定されているものも多い茶碗の種類だそうです。

国宝と言われているものの、中国福建省建陽県にあった「建窯」と呼ばれる陶窯(陶磁器を焼く窯のこと)で焼かれた碗でありながら、この碗の内箱には「ゆてき」と、さらに「天目」と墨書されており、千利休あるいは古田織部の筆によるもののため、来歴によって価値が上がる茶道具の世界では国宝レベルということみたいですね。

高台(底の部分)が低く、口元に近づくと一旦すぼまり、そこから外に反るすっぽんぐちの天目形を成していて、高台周辺を除いて全体に掛けられた漆黒の釉(うわぐすり)と、その内・外面の黒い地に銀色に浮かび上がる斑紋が特徴的で、「油滴」の名はその美しさが油の滴のようであるところから来ているそうです。上から見たときの油滴は吸い込まれるような無限の奥行きを感じさせつつ、金色で彩られる縁が上品さを足しているようにも見えました。

これでお茶を飲んだらそれだけで緊張しそうですが、「お茶を飲む」というなんてことない行為に使用する道具に機能性だけでなく、美しさを探求し、そこに価値を見出す美意識には脱帽してしまいます。

ここで茶という文化が出てきましたが、茶室もまさに日本人の美意識の集合体と言っても過言ではないと思うので、空間も含めた茶室にも着目してみましょう。

茶室という美意識の詰め合わせ

ここまでは屏風や陶磁器などの物品に着目してきましたが、最後に茶室という空間そのものを見ていきたいと思います。

茶室というのは、その名の通り、茶を飲むための部屋なわけですが、茶という文化が日本にもたらされたのは遣唐使などの外交が盛んだった奈良時代・平安時代のことで、現在でも目にする抹茶は、中世の禅僧によって伝えられたそうです。

茶湯(今でいう茶道)の作法は、室町時代に禅僧の村田珠光によって形式的に作られたとされ、茶の湯が人間の成長をもたらす心の道であるということを示す「心の文」という重要な文章を残しました。その後、この茶湯の精神を受け継いだ千利休さんによって「草庵茶室」という形式が完成しました。

冒頭でも触れましたが、基本要素は、露地・躙口・水屋となっており、露地は小さな庭のような空間で、露地の飛び石の上を渡りながらそこにある植栽やその風情を眺め、つくばい(手を洗うやつ)で手を清めてから茶室に向かいます。いきなり茶室に入るのではなく、いったん露地にある自然を経由する導入のような仕掛けは、さながらアトラクションの順番待ちの列にて期待感を高める動線のようです。

スクリーンショット 2021-06-05 13.29.42


草庵茶室の最大の特徴でもある躙口は茶室の入り口となっており、およそ60~70cm四方の扉のため屈まないと入ることができません。躙口の由来は諸説あるらしいですが、客がたとえ武将であっても躙口を通るには外に刀を置かねばならず、茶をもてなす亭主と客が身分を越えて対等な立場となる非日常空間という態度が反映されているそうです。

自然で構成された露地という空間から、屈んで入るという狭さと、不便さを経由することによって、比較的小さい茶室の実空間以上の広がりを感じられるような効果もありそうですが、体験型のエンタメ演出でもよくみられる構造かもしれません。

スクリーンショット 2021-06-05 13.32.28

お茶を立てて飲むという、今では伊右衛門のペットボトルを買えば5秒で済んでしまう行為に、自己の内面と向き合う可能性を見出し、所作一つ一つに意識を向ける空間作りなど、表面的な部分に加えて、目には見えない内面に着目した美意識を感じます。。 ちょっとお茶に関しては勉強不足な部分が多いので改めて書いてみたいと思います。。!

日常に潜ませる美意識

世界2大オークションハウスであるクリスティーズにお勤めの山口桂さんによる「美意識の値段」という本に以下のような一節がありました。

数多の素材、様式、用途、種類の美術品が含まれていることが、日本美術の特性の一つで、日本美術と読んでいる美術品の多くが、かつては生活に密着した道具と呼ばれる日用品だ。

西洋の美術品というのは、絵画や、建築など、明確な居場所が存在し、それは日常とはかけ離れている場所、存在であるからこそ価値があるとされている印象です。

一方、日本人は普段使いの日用品に意匠を施し、日々使う道具をいかに美しくするかという試みを続けてきた歴史があるという点で異なる美意識を持ち合わせていると言えます。この日常に寄り添った美意識というのは、日本人特有の価値観でありで、だからこそその名残が強く残っている京都や浅草の町には世界中から観光客が来るのではないでしょうか。

日本人は、目に見えない付加価値やブランドを作るのが苦手という意識がありますが、一方で、人々の日常に近い日用品に美しさを見出せるという視点、美意識を持ち合わせ発展させてきた民族でもあるとも言えます。

ここは誇るべき点ですし、これまで培われてきた意匠が、現代の生活空間、行動動線をデザインする上でどのように転用できるかというのは大事な視点だと思うので、ここは見て、触って、体験して学びつつ、あやかる気持ちで色々と考えていければと思いました!ではまた!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?