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洋服 > 和服 なのか?

皆さんおはこんばんにちは!
(4893文字/約6分で読めると思います。)

去年から読み進めていていまだに読破していない「ホモ・サピエンス全史」も遂に下巻に入ったのですが、その中でこんな一節がありました。

今日、人類全体が服装や思考や嗜好の点で、普通、そうとは認めたがらないほど多くをヨーロッパに倣っている。
地球上のほとんどの人が政治や医学、戦争、経済などをヨーロッパ的な目を通して見ているし、ヨーロッパの言語で作詞され、ヨーロッパ風に作曲された音楽を聴いている。

とはいえヒップホップは違くない?という謎の反骨心が湧き起こった今日この頃です。

確かに日本も例外なくヨーロッパに倣った部分を生活の至る所で目にしますし、日本語だけを見て、聞いて、話して一日が終わることはまずないと思います。どこかでアルファベット表記が目に入りますし、和製英語っぽいものを無意識に聞いたり、話したりしているかもしれません。

まぁそれ自体は便利ですし、言葉はコミュニケーションツールでしかないのでそこで過度にヨーロッパに依存している!とかはならないんですが、言葉以外で気になったのが「服」です。

みんな平然と洋服と言っていますが、洋服はつまりは西洋の服なので、日本の形式である服とはいえませんし、洋服があれば、その対をなす和服たるものが存在しています。

みんな当たり前のように、Tシャツに袖を通し、ときにはスーツを着こなし、終いにはポロシャツというイギリス(正確にはイランが起源で広めたのがイギリスらしいです)由来の競技で使われているユニフォームを平然と着こなしています。和服を着るタイミングといえば、夏にカップルがいちゃつくための浴衣くらいなんじゃないでしょうか。。(偏見ですすいません)

かくいう自分も夏にはアロハシャツしか着なかったりするので、人のこと言えないんですが、気になるのはなぜ和服が当たり前だった日本人が現代では洋服を当たり前のように着るようになったのかという点でして、和服の歴史を遡りながら、現代の洋服文化へのつながりについても考えてみたいと思います。

古代から現代まで

ざっくりなイメージですが、日本人の昔ながらの服装というと下記のような着物をイメージするのではないでしょうか?

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このような和服の人達をみると、「あぁ昔っぽい」という印象を持つように、今ではほとんど見ることができなくなった光景でもあると思います。そもそも日本人は昔はどのような服装をしていたのか、古代からみていきたいと思います。

弥生時代(紀元前1000年~350年頃)辺りまでは、男性は1枚の布を体に巻きつけた巻布衣というスタイルで、女性は上から被る貫頭衣という袖なしの衣服だったそうです。


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そこから古墳時代(350年頃~592年)にかけて、ツーピース型の衣服を着るようになり、男性はズボン、女性はロングスカートのようなものへとアップデートされていきました。

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飛鳥・奈良時代(592年~ 794年)からは身分の違いによる明確な衣服の二分化が始まり、労働階級は小袖、支配階級は手足の隠れる動きにくい衣服を着るようになります。700年頃には、中国の唐文化の影響を強く受け、当時の中国を支配していた漢民族の着用着、「漢服」と呼ばれる大きな袖口を持つゆったりとした衣服が流行ったそうです。

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平安時代(794年~1185年)では、900年に遣唐使が廃止され外交が途絶えることにより、日本独自の文化が作り上げられる時代に入っていきました。重ねに重ねる十二単(女性)、束帯(男性)へと移行していきました。一方の庶民はは貫頭衣から発達した筒袖を持った動きやすい小袖を着ていたみたいですね。

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鎌倉・室町時代(1185~1603年頃)には支配階級であった公家に奉仕する武家と呼ばれる人たちが現れ、そうした武家の人たちの衣服は公的な場では公家同様大袖、私的な場では小袖を切るようになったそうです。室町時代の末期にもなると、庶民の中から新たに町人と呼ばれる人が生まれ、絹の小袖を着用するようになります。

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江戸時代(1603年~1868年頃)には封建制度が確立され、身分が明確に分けられたため、衣服は、その身分を象徴する意味が強くなります。それまで特権的であった娯楽や行事が庶民にまで広がる町人文化が花咲いた江戸時代では、現代の着物や帯に通ずるアイテムが沢山生まれたそうです。(ある意味シャレオツ)

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19世紀後半からは、開国による貿易の発展や絹糸の生産量が増えたことも起因し、女性の和服には様々な種類の生地が使用されるようになり、出来上がった生地は染色技術の発達により二次加工され、さまざまな染方が流行りました。

ここまでみてもまだ洋服という文化は見かけませんが、いつ頃入ってきたのかというと、みなさんご存知の「明治維新」がきっかけだそうです。

室町時代の終わり頃から、ヨーロッパからの渡来が増え、キリスト教の布教が活発化したものの、「神の下では皆平等」精神は武士が農民や町民よりも偉いとする幕府にとっては都合が悪いので、鎖国しちゃえ!と鎖国しちゃっいましたが、1853年に、アメリカのペリーさんが来航し、開国。再び世界の文化を取り入れるようにしました。

その後、政権を天皇に返上する大政奉還やら何やらが行われ、外の世界から学んで色々追いついてこ!という「明治維新」が起こり、これを機に初めて洋服文化が導入されたものの、人々の衣服が一気に変わったわけではないそうです。

公の立場である男性の衣服に洋装が導入され、かなりの時間差で女性にも導入され、皇室や政府の正装が洋服とされ、同時に軍人や駅員・郵便局員など、公的機関に勤める人の制服も同じように洋服に決まったという流れがあります。

そこから明治11年、(1871年)には「束帯などの和装は祭服とし、洋装を正装とする」 と定めた法律ができ、同時に断髪令が出され、髪型が自由となり、じわじわと洋服が一般庶民へと広まっていきます。

大正時代の1923年には関東大震災が発生し、身体の動作を妨げる作りである和服を着用した人の被害が多かったことから、衣服の洋装化が進んでい木、昭和から世界大戦を経て、洋装は日常生活により馴染んでいきます。

このように、明治維新以降、洋服が輸入され、徐々に着物から遠ざかっていったものの、世界大戦前後までは、催事のような特別な場以外では、ほとんどの庶民の方が着物を着ていたと考えると、ここ数十年前までは洋服は当たり前ではなかったと言うことになります。(下の記事が分かりやすかったので、より詳しく知りたい方はご参照ください!)

現代ではどうかというと、流石に着物を毎日来て仕事をしたり、通学をしたりとい人はいなさそうですし、着物を着るという行為自体が一つの珍体験になっています。(それはそれで面白いことなんですが)ではなぜ洋服がここまで普及し、日本独自の和服・着物が着られなくなってしまったのでしょうか?

シンプルに手間がかかる

色々と調べてみた共通点は「値段が高い」「ルールが多い」「一人で着るのが大変」などなど、機能性と値段などの理由が多く挙げられていました。着物を着るため必要なものを挙げてみると、着物、帯、帯揚げ、帯締め、帯留め、半衿、伊達襟、襟芯、長襦袢、肌襦袢に裾除け、足袋、草履にバッグ。。などなど沢山のアイテムがあります。

着るためにも、足袋を履いて、肌着をつけて、長襦袢(着物と肌着の間みたいなやつ)を着て、その上からさらに着物を着て、そこからさらに伊達締め(着物が着崩れないようにするための小物)を締めて、帯を締める。。と言う度重なる工程が必要になります。

この工程をよくやるなぁと思いましたが、明治時代あたりまではこれが当たり前だった(これしかなかったとも言えますが)ので、毎日この着付けを行っていたと考えれば、それよりもはるかに簡単なTシャツという圧倒的覇者を体験してしまえば、着物に戻る余地はないとも言えます。。

考えてみれば、着物レンタルという商売が成立する時点で、毎日着ることはないけど、節目節目で着る可能性はあるので、所有はしたくないけど借りることができればいいなというニーズがあるということになるので、つまりはそういうことなんだと思います。

着物を着なくなったことは憂うことなのか

では着物を着なくなってしまったことは西洋に衣服文化を取られてしまったとネガティブに捉えるしかないのか、というと別にそうでもないと思っていてます。

日常で使うことはないけど、伝統衣装としての付加価値を認識した上で、着物の価値を構成している要素を抽出して転用できればそれでいいのではと思います。屏風のように今はもう使うことはないとしても、歴史と確かな技術が組み合わされば、そこに価値が発生するみたいな話です。

また、着物を着るだけで外国人が「Oh! JapaneseStyle!」と喜んでくれる点も軽視してはいけないと思っていて、対外的にみた日本人の「和」のイメージは浮世絵っぽくて渋いといったものが多く、そのイメージは日本固有のものであり、誰かにコピーされるものではありません。(グッチが和服を発表すれば日本文化へのリスペクトといい感じに持ち上げられるのもそのためだと思います)

侍、忍者などのキャッチーなイメージが手助けしている点もありますが、着るだけで差別化できるというのは最強なアイテムな気がします。洋服という形式が世界のスタンダードになればなるほど、伝統衣装の稀少性は上がっていくので、和服や着物のような伝統にあやかるというのは大切な視点ではないでしょうか。

例えば明治時代に発達した染色技術の中には、絵画的で射実的な草花模様を中心に描かれた友禅文様や、型紙を使って細かい文様を染める小紋染が流行ったそうですが、このように着物に使われたデザインをマスクに落とし込むだけで、なんだか日本っぽく見えてくる気がします。(この〇〇っぽいというのが大事)

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着物から得られるデザインや、衣服への考え方などは、日本ブランドのようなものであり、Supremeであってもコピーすることはできません。日本以外にも、この着物の考え方を踏襲した独自のデザインを持つブランドがあるように、世界基準でみても、美しいと感じられる何かがなければこのようなことは起きないでしょう。(下はMeng kimonosというヨーロッパのブランドです。 柄が美しい。)

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このように、着られなくなったからといって、そこに価値がないというのは早計ですし、あくまで機能性や値段という面では、洋服に代替されてしまっただけで、そのデザイン性や美意識には価値があると日本人以外の人が感じるという点は、そのオリジナルである日本人自身が忘れてはいけないことだと感じました。

kimono精神を忘れない

日本の衣服の歴史から辿ってみて、そもそも和服、着物が着られなくなったのはここ数十年の出来事であること自体初めて知りましたが、それだけに洋服の方が着物よりイケてるから着られなくなったと考えてしまうのはかなり勿体なさそうです。

洋服が日常的に使われているからこそ、コモデティ化してしまい、あとはそのTシャツにどのブランドのロゴが入ってるか合戦になってしまっている側面もあるのと思うので、ブランド作りが苦手な日本にとって、kimonoという財産はかなり大きなものだと感じました。

着物に限らず、今では使わなくなったけど、これまで日本人が積み重ねてきたデザインというのは十分世界を魅了する力があるということは大切にしていきたいですし、それこそがグローバル巨人にもコピーできない歴史と文化の積み重ねだと思います。

大事なのは、そういった隠れた美意識のようなものをどう解釈し、いかに現代風にアップデートしていくか、どうあやかっていくかということだと思うのですが、個人的にはここをテクノロジーと掛け合わせて、新しい表現をしていくようなことができたら面白いのかなと思うので、そういう意味でも弊社が発表する作品は好きなんですよね。。自分も他人任せではなく、アイデアの大小に拘らずまずは形にできるように頑張ります!ではまた!

↑この作品は「葛飾北斎を3Dにしたらどうなるか」という発想から生まれたらしいです。

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