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リモートワークと上手に付き合うために(阿部)2024/05/30

リモートワーク便利ですよね。JBNでは、月に10日間を上限に好きな日にリモートワークができるようになっています。自分は共働きで、6歳と2歳の子供がいるため、保育園のお迎えや発熱で登園できなくなったときに活用しています。

コロナ禍をきっかけに始まったリモートワーク制度は、多くのスタッフにとって今や不可欠な働き方になっています。
しかし、一斉に、そして急激に始まったリモートワークには、見えづらい遅効性のある落とし穴も存在しているなと感じています。これからも上手にリモートワークを活用していくためにも。今一度落とし穴について考えてみたいと思います。

仕事を生活の境界の曖昧さ

リモートワークでは多くの場合、自宅がオフィスになります。そのため、仕事と生活の区別が曖昧になりがちです。こうした環境だと思考モードや時間の捉え方に影響があるんじゃないかなと感じています。

自宅は私生活の場です。私生活の中に仕事が入ってきている状態です。私生活の思考モードのときって、日々の生活の安定や目の前の家事を終わらせることに集中するので、あんまり中長期なことやダイナミックな方法の転換に考えが行きづらい状況です。

仕事だと、そうして中長期や俯瞰した思考モードに切り替えることが必要だったりしますが、仕事と生活の区切りがないと、これらの思考モードを切り替えることが難しく、短期的で安定的な思考に止まってしまいがちです。

孤立化。そして仲間のピンチを察知できない

リモートワークだと、他のチームメンバーやプロジェクト全体の状況を把握しにくくなる傾向があります。自分の担当範囲や任された仕事に集中することで、他の仕事の状況が分からなくなります。

特にリモートワークだと曖昧なコミュニケーションによる仕事のやり方ができないため、タスクを切り分けて分担するということが重要になってきます。仕事は非常にやりやすい面もありますが、個人はその切り分けられた仕事しかわからなくなってしまいます。意図せず隔離された状態なり、知らないうちに孤立化してしまいます。

意識的に仕事の全体像や会社で起こっていることを知ろうとしないと、流れに取り残されてしまいます。他の人をフォローしづらく、また自分自身もフォローもされづらい状況になっていきます。

ものごとを単純化してしまう

リモートワークの必須ツールがチャットです。リアルタイムかつ気軽なコミュニケーションができます。ただ、言語化されたこと以上のことは伝わりづらいです。対面で話していると相手のことを五感で察知することができます。声のトーンや表情、間、目線など。対面児は言葉以上に非言語で感じていることの方が多いのかもしれません。

テキストだとそれらが抽象的な言葉として単純化して受け取ります。
文字でしか読み取れない状況が続くと、複雑なプロジェクト背景や仲間の思いを単純化してしまいます。オンラインだけだと、自分の世界に閉じてしまい、チャットなどの限られたインプットでしか周りを推察できなくなっていきます。

無駄なことができない

リモートワークだと仕事に集中できるので、仕事以外の“無駄なこと”をやらなくて済みます。例えば、あいさつ、掃除、来社した人の応対、切れた電球の交換など。会社という集団で動くときに、この無駄から生まれるコミュニケーションはとても大事だなーと思っています。
仕事上の効率的で合理的なふるまいだけでは、お互いを好意的な人として見るのが難しんじゃないかな。

合理性から離れた行動や行為に触れることで、その人との関係がつくられていく感覚があります。身体感覚を通じたコミュニケーションというか。結構大事だと思っています。

領域を逸脱できない

これまであげてきたことがそれぞれ影響し、新しい視点やアプローチを得る機会が減少します。切り分けられた仕事に集中することで、仕事に余白がなく、それ以上の領域に踏み込むチャンスが少なくなると感じます。


リモートワークを使いこなして、自分が憂慮することを簡単に乗り越えていく人もいます。

ただ、漫然と便利だからということでリモートワークの特性を理解しないでいると、いつのまにか落とし穴にはまってしまうのではという感覚があります。また、個人だけでなくマネジメントや仕組みでサポートしていくべきことでもあります。

悪い影響は分かりやすく目に見えるものではなく、長い時間をかけてじわじわと効いてくることもあります。今後さらにリモートワークが進むと思いますが、これからも上手に取り入れられるように向き合っていきたいです。

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