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【ホラー小説】eaters 第9話

◆あらすじと各話は、こちらから

「……ただいま」
「おかえりなさい」
 
 家に着いた瀬奈は、すぐに洗面所へ向かった。
 
「瀬奈、お腹空いたでしょ? 今、何か用意……」
「いらない」
 
 瀬奈は小百合に見向きもせず、手を洗っている。
 
「いらないって、学校で……何か食べてきたの?」
 
 学校から帰ってくる頃、瀬奈はいつも腹を空かせていた。
 唯一、生の肉や魚を食べられるのは、良一のいないこの時間だけだ。
 それなのに……。
 小百合の頭に不安がよぎる。
 
「……瀬奈?」
 
 瀬奈がゆっくりと顔を上げた。
 鏡に映る自分の顔から、鏡越しで小百合に視線をすべらせてきた。
 
「コンビニで……フランクフルトを食べてきたから」
 
 学校帰りに腹を満たしてきたわりには、顔に陰りが見える。
 いつもなら、学校であったことを真っ先に話してくれた。
 どこか様子がおかしいのは、小百合の目にも明らかだった。
 
「瀬奈、何か……」
 
 言い掛けると、瀬奈は無言で自分の部屋に向かった。
 
「待って、瀬奈」
 
 小百合があとを追っていくと、瀬奈は部屋の前で足を止めた。
 
「これから勉強するから、夕飯まで邪魔しないで」
 
 瀬奈はドアの向こうに消えていった。
 バタンと閉まるドアの音。
 小百合には拒絶された音に聞こえた。
 
 学校で何かあったのだろうか?
 何も話してくれない瀬奈に、小百合の不安が大きくなっていく。
 
        ◆
 
 部屋に入るなり、瀬奈はベッドに倒れ込んだ。
 ごろりと仰向けになって、ぼんやりと天井を眺める。
 神社裏での出来事が、今も頭から離れてくれなかった。
 
 
 まだ小さな子猫だった。
 白い毛並みのところどころが、血で赤く濡れていた。
 えぐられた箇所から、皮膚なのか肉なのかも分からないものまで見えた。
 
 頭ではダメだと分かっていても、手が勝手に伸びていった。
 
 手に子猫の温もりが伝わってくる。
 弱々しい心臓の音。
 子猫は、まだ生きていた。
 
 とてつもない興奮と飢えが、身体の底からわき上がってきた。
 
 思わず、両手で子猫を抱えた。
 小さな身体は、ぐったりとしている。
 かろうじて息があるくらいだ。
 子猫を抱えた手が顔に近付いてくる。
 
 ……ダメ。
 いくら頭で命令しても、身体が勝手に動いてしまう。
 その先は、もう止められなかった。
 
 瀬奈は、まだ生きている子猫をむさぼりだした。
 
 気付くと手に残っていたのは、子猫の頭だけだった。
 震える手から離れた小さな頭が、ボトリと地面に転がっていく。
 それを見つめていると、手の震えが全身に伝わっていった。
 
 赤く染まった手。
 口に残っている血の味。
 
 何かの気配に見上げると、木の上で四羽のカラスがジッと見下ろしていた。
 
 怖くなって、その場から駆け出した。
 途中、社の手前にある手水舎ちょうずやが目に入ってきた。
 そこでは常に水が流れている。
 けがれから祓うとされる水で手や口をすすぎ、身を清める場所だ。
 
 手水舎で手と顔を洗う。
 冷たい水が、肌を突き刺してきた。
 口の中もゆすいだ。
 
 
 何度も、何度も口をゆすいできたはずなのに……。
 今も、喉の奥に血の味が残っているような気がする。
 
 瀬奈は両手を見つめた。
 さっき、洗面所でしっかりと洗ってきたはずだ。
 それなのに、血のヌメリがまだ残っているように思えた。
 
 目を閉じると、ひどい罪悪感が襲ってきた。
 母との約束も破ってしまった。
 
 それを……あの時の興奮が塗り替えようとしてくる。
 
 家で生の肉や魚を食べた時とは違う。
 まるで獲物を仕留めたような、満足感に似ていた。
 
 そんな自分が怖くなってくる。
 瀬奈は、ベッドの上で震える身体を縮ませた。
 
        ◆
 
 翌日。
 
「沼澤さん、何かあった?」
 
 学校で、真由子が声を掛けてきた。
 朝からずっと元気のない瀬奈を気に掛けていたようだ。
 
「あ、ううん。なんでもないよ」
「ならいいけど。何か困ったことがあるなら、なんでも相談してね」
「……ありがとう」
 
 真由子には言えない。
 母にも。
 あんなこと……誰にも言えない。
 
 
 この日の午後、体育の授業は水泳だった。
 
 瀬奈は初めてのプールで、水を得た魚のように泳ぎ始めた。
 水の中にいると、昨日のことを忘れそうなくらい気持ちがよかった。
 
 屋内のプールでは、男子と女子でレーンが分かれている。
 女子のほうでは同時に三名ずつ順番に泳ぎ、体育教師がフォームやタイムを見ていた。
 
 順番がやってきた瀬奈は派手な水しぶきも上げず、水面をスイーッと静かに泳いでいった。
 その姿は、まるで人魚のようだ。
 
 海斗はひと泳ぎしたあと、プールから上がって女子側のレーンを見ていた。
 向こう端でターンをして、戻ってくる瀬奈の泳ぎから目が離せなかった。
 
「沼澤、水泳部に入らないか?」
 
 プールから上がった瀬奈に、体育教師が言った。
 この体育教師は、水泳部の顧問だ。
 瀬奈に水泳の素質があると見込んだのだろう。
 
「すみません。母に……相談してみます」
「そうか。病み上がりだから無理にとは言わないが、いい返事を待ってるよ」
 
 部活に誘われるとは思ってもみなかったが、自分一人では決められない。
 おそらく母は、あまりいい顔をしないだろう。
 
 
「全員、残り時間は自由に泳いでいいぞ」
 
 体育教師が生徒達に言った。
 
 足から飛び込む者。
 水面で水を掛け合ってじゃれ合う者。
 競争し出す者。
 残された時間を生徒達は、それぞれ楽しんでいる。
 
 瀬奈は一人、水の中へ深く潜っていった。
 
 ゆらりと気ままにプールの底を泳ぐ。
 不思議と息は苦しくない。
 それどころか居心地がいい。
 このままずっと水の中にいたい、とさえ思えた。
 
 水面のほうに視線を上げると、あちこちで生徒達のジタバタと動く手足が見える。
 
 
 プールの上では、生徒達の様子を体育教師が監視していた。
 授業中に溺れる者がいたら大変だ。
 かといって生徒達のほとんどは、ただ遊んでいる。
 体育教師は、やれやれといった顔で監視を続けた。
 
 プールの片隅でも、三人の女子生徒がふざけ合っていた。
 監視している体育教師のそばだというのに、水面から顔だけを出した犬かきで、追い掛けっこをしている。
 鬼役に触れられた人が、今度は鬼役になる。
 そんな遊びだった。
 
 鬼役の金本かねもと陽向ひなたは手足を素早く動かしながら、狙いを定めた一人に近付いていく。
 
「捕まえた!」
 
 陽向の手が女子生徒の肩に触れた。
 
 女子生徒が振り返った次の瞬間、目の前にあった陽向の顔がトプンと水中に消えた。
 
 
[続く]

◆第10話は、こちらから


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