最近のMMAと昔の総合格闘技

おはようございます。うっちぃです。
今日は新綱島駅ビルにできた新しいシェアオフィスで書いてますー。

最寄り駅で、駅直結ということで利用してますー。
モニターも無料貸与、WiFiもそこそこ速い、飲物無料(会員種別によっては白ビールも!)、ナッツやお菓子、パンもFREE!と素晴らしい。

ということでw、
レスリング、コマンドサンボ、キックボクシング、ブラジリアン柔術を長くだけwやってきた私が最近思う最近のMMAと昔の総合格闘技の違いを語ります。

1990年代は「個人が通える総合格闘技のジム」などほぼ皆無。あってもガチな道場が多く、今のように都内で5駅に一つは格闘技の道場があるような時代ではありませんでした。
ので、知り合いのツテで出稽古や新宿スポーツセンター(スポセン)でフリースパーリングなどが主でした。

このスポセンは現在あるのかな?当時も画期的でした。
個人で400円くらい?入口で支払って、共同で大きな柔道場みたいな場所で勝手に始めるんです。

そのうち隣の見知らぬ人を観察し、サブミッション系だなとかわかると「お願いできますか?」とだけ握手しフリースパー!今でもこういう交流ってあるのかな。
でもそういう中に後の

佐藤ルミナ選手、菊田早苗選手、小川直也選手

とかとスパーできるというビック・チャンスがあるのです。
当時、佐藤ルミナ選手、菊田早苗選手とスパーさせていただいたことがあるのですが、もう異常な強さでした。。。。w

でもそこで飛びつき腕十字、アンクルホールド、アキレス腱固め、ヒールホールド、クロスヒールホールド、膝固めなどいろいろな技術を学ぶことも出来ました。
フリー・スクールってとこでしょうか。

私は劇的に強かった訳ではないですがw、当時は上記の技術を持っていれば、アマチュアの大会に出て優勝したりすることもできる時代だったのです(なんせ道場とか無いので)。

アマチュアの大会といえば私も何度か挑戦したコンバットレスリング、アマチュア修斗、アマチュアリングス、和術慧舟會が主催のコンプリートファイティングなどがありましたね。私が大会に出たりした最後の頃は今、RIZINで活躍している金原正徳選手(当時は総合格闘技武蔵村山?)も出てましたよ。
空手の師範代も、キックボクサーも、レスラーも、柔道家もその技術のみで出てくる時代でした。
私も空手の師範代と試合で当たって、ローキック一発で「もう帰りたい」と思いましたw。直ぐ抱き着いて、下になって潜り込んでヒールホールドで勝ちました(昔ならでは足関バンザイ)。

当時はブラジリアン柔術を日本で習う場所がなかったので、私のようにヒクソングレイシー柔術アカデミーにロスに習いに行ったりした人がスポセンみたいなとこで無料で教えている時代でした(いつかロスのヒクソン先生の道場の話も書きたいですねー)。

昔の総合格闘技は「ポジショニングの概念が薄い」ですから、今のMMAのようにスクランブルを考えて動いたりしないで、極めの練習が多いですよね。ポジションなんてすぐ取らせちゃうんです。危なくないので。

今思うといわゆるUWFスタイルみたいのから、現在のMMAに繋がるターニングポイントはどのあたりだったかな?と個人的に分析すると。。。

・アブダビで菊田選手が日本人初の優勝
・PRIDEで活躍のブラジリアントップチームの台頭

あたりかなと思ったりします。
「テイクダウンしたら、まずパス(ガード)!」

それまであまりパスガードは重要視されていなかったと思うので、パスして、横四方からポジショニング、ニーオンからマウントみたいなのが定番でだんだんと定着していったのではと思います。

その後、日本でブラジリアン柔術の道場がバンバンできていきますので、そうやって現在の寝技系の技術が変化していったんじゃないかと思います。

私は帰国後、20年前からX-TREME柔術アカデミーという、BJJチャンピオン養成所みたいなとこにちょこちょこw通っていますが、スパーリングばかりしてあまり技術を学んでこなかったので、柔術はヒクソン先生の道場の「セルフディフェンス」「ベース」「パスガード」「アームバー」で終わっていますww。

私は打撃はクラスで習っていた程度しか経験ないので、あまり多くは語れませんが、なんとなく私が長く見てきて経験した程度ですが、こんな感じです。

今でも月1,2回柔術に行ってますが、今の強い選手らに揉まれてがんばってますww。

では、いってらっしゃい!

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