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判断基準はけっこう曖昧

何かはっきりとした判断基準がある時は、誰でも簡単に物事を判断することができるが、そうではない時、人は判断が難しくなり曖昧な判断しかできなくなってしまうことが増える。
例えば、「30歳で年収400万円の人はどう思う?」という漠然とした質問をされた時、多くの人は「普通じゃない?」「ちょっと多い?」などと結構曖昧な判断によって答える。
当然、質問の情報量が少なすぎるから当たり前のことだが、誰しも判断基準が曖昧だと、曖昧な答えしか言えなくなると思う。
正確にその人の労働時間や職種、業務内容などの情報や、30代の平均年収などを見て、比較対象として数人の人物を用意でもしない限り、正確な判断は下せない。
しかし、「30歳で年収400万円の人は高収入だと思う?」という少し判断しやすい質問をすると、人それぞれが持っている判断基準で答えるので、意見が大きく分かれる。
だから、「他人に自分がどう見られているのか?」細かいところまで気にする必要もないし、気にしていてもほとんど無駄でしかない。

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年収400万円と聞いて、高いと思うか低いと思うか?

「日本人の平均年収とほとんど同じだから普通じゃない?」と答えるのか。
「中央値はもっと低いから400万円は高い」と答えるのか。
それとも、「労働時間や業務内容にもよるから、その金額だけでな判断できない」と答えるのか。

人それぞれが自分で持っている判断基準によって答えは異なる。
どれも正解じゃないし、不正解でもないし、どう言われようとどうでもいいのかもしれない。
身なりを気にして、身分を気にして、世間体を気にして生きている人は多い。僕も少なからず人目を気ににすることがあるけれど、そこまで気にする必要なないとは思っている。
実際に、会って話をしたこともない通りすがりの他人を人は評価しないし、したところでその後ほとんど覚えてすらない。
それがきっかけで嫌われてしまったり、自分の評判が下がることもほとんどない。
僕がよく行くコンビニには、僕以外にも常連のお客さんが多くいて、「あの人よくいるなぁ」と思うことがあるけれど、その常連客に対して評価することも意識することもない。
おそらく、相手も僕に対してなんの感覚も抱いていないだろう。
時々話す程度の相手であっても交友関係が深くない以上、ほとんど関心が向くことがなく、相手の細かな特徴を知ろうとも思わないし、会っていない時に意識することもない。
決して僕は人に対して冷たく接しているわけでも、冷めた人間なのでもない。
実際に、世の中の多くの人が親しくない相手に対しては、その程度の関心しか抱いていないだろう。
だから、必要以上に自分の見た目や世間体を気にすることもないし、細かいところまで拘ろうと思わない。

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ただ、自分の細かなところまでしっかりと意識している人を否定するつもりはなく、むしろ価値観の違いだから、そういった価値観の人はどこまでも突き詰めるべきだとは思う。
しかし、「他人に自分がどう見られているのか?」意識する行為によってストレスが溜まっていたり精神的負担になってしまっているのであれば、絶対にやめてしまうべきだとは思う。
必要以上に他人からの自分を判断されることを気にしていても、誰にも見られていなければ、無駄なリソースを費やすことにしかならないから。

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