見出し画像

手羽先とうめぼしのうた

一番初めに勤めたデイサービスの利用者で、Mさんという女性がいらっしゃった。
Mさんは、その当時で100歳を迎える方で、デイサービスのすぐ近くに住まわれていた。

今までも、何度か他のデイサービスを試して来られたそうだが、どこも合わなかったようで、近所にこのデイサービスができたので、今度こそ合えば良いなとお試しでご利用してみることになった。

Mさんは、娘さんと二人暮らしで、ここ数年は大病こそしないが、食も細くなり、声を出すこともなくなり、日中も大半はベッドで目を瞑っていらっしゃるとのことだった。

最初のお試し利用の日、お迎えに上がると、娘さんが起こしてくださっていたようで、すっかりと着替えも済まされて、帽子を被り目を閉じて、じっと車椅子に座ってみえた。

デイサービスに到着したが、ずっと目は閉じたまま。体温と血圧を測り、他のご利用者様に紹介をする。声も発しないが、車椅子に座り両手を膝に置いたまま、姿勢を崩されることもなく、じっと座ってみえた。
午前中に入浴を済ませ、お昼ご飯の時間になった。

食事も介助をするのだが、なかなか口を開けない。たまに開いた時にスプーンに乗せた少量の食事を急いで口の中へ滑り込ませる。この一瞬を逃すと、次いつ口を開いてくれるかわからない。口の中に食事が入ると、ゆっくり時間をかけて飲み込む。それでも、食事の時間中に食べれるのは2〜3割程度。このことはあらかじめ娘さんと話しがしてあるので、無理に食べてもらうことはしないで、食べれるだけ食べていただくということになっていた。

昼食後の休憩をされてから、レクリエーションの時間だが、Mさんには午後は無理せず、横になって休んでいただく。

そして帰宅の時間となり、車でご自宅までお送りして、娘さんにデイサービスでの様子を報告する。続けて利用されるかは、また後日連絡をいただくこととなった。

その後、週1回水曜日に継続してご利用されることとなり、数週間がたったある水曜日。
その日休日だったぼくの携帯に写メ(まだその当時はiPhoneが発売される数年前、ガラケーの時代)が届いた。そこには、大きな鶏の手羽先のような物が2個写っていた。そしてメッセージには「Mさんの耳そうじしてたら、こんなのが取れた!」と書かれてあった。
それは、Mさんの耳の中に詰まっていた大きな耳クソだった。

すると翌週から、Mさんの様子に徐々に変化が見られるようになった。
まず、目を開いている時間が長くなった。そして、スタッフの声掛けに顔を向けるようになった。
娘さんに聞いてみると、ご自宅でも明らかに以前より反応が良くなり、食事もよく食べられるようになったとのことだった。

今まで反応があまりなかったのは、音がしっかり聞こえていなかったからだったのだ。耳のそうじは、なかなかご家族でも気が付かないもので、やはり他のご利用者様でも、自分でされる方は少なく、ましてご家族にしてもらっているという方はいらっしゃらなかった。

たまたま、ここのデイサービスには、ぼくも含めて耳そうじが好きなスタッフが揃っていたので、定期的に耳そうじをしていたが(平成17年に厚労省から、耳そうじや爪切りなどは医療行為とされているものの、規制対象外として介護職員が対応できる行為だと提示されるので、まだその当時は、医療行為にあたるので看護師しかできない行為で、介護職員はやってはいけない、明らかな越権行為w。)、他の施設ではほとんどされていなかった。

そして、Mさんとのコミュニケーションが徐々に取れるようになると、笑顔を見せてくれることも多くなり、食事も半分は食べられるようになっていった。

すると今度は、Mさんが手を叩きながら歌を歌うようになったのだ。
よく聴いてみると、「二月三月花ざかり うぐいす鳴いた春の日の」と歌っている。その日、ご自宅に送って行った時に、娘さんにそのことをお話しすると、びっくりされたご様子で、「母が子どもの頃に学校で習ったと言って、私に歌ってくれた歌です。」と教えてくださった。

その後も、お元気にデイサービスへ通われていたのだが、ぼくがそのデイサービスを辞めてしばらく経った頃に、スタッフからMさんが亡くなったとの連絡が入った。
通夜葬儀はされないとのことでしたので、後日ご自宅へ訪問させていただくことになり、他のスタッフと一緒に伺わせていただいた。

その際に、娘さんが毛筆でとても綺麗に書かれた一枚の書を受け取った。
そこには、「梅干しの詩」の歌詞が最後まで書かれており、最後に「明治か大正の教科書に載っていたようです 母より聞く」と記されていた。

あれからもう二十年以上経つが、その書を見ると今でも、Mさんと娘さんの優しい笑顔が思い出されます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?