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何か話してください、あと10秒残ってます。

前職を辞めて2年弱、何もせずにただぼーっと生きていた。
ただぼーっと生きていたところで、うつが治るわけはなかった。確かにストレスは減った。しかし、今後のことを考えると不安しかなかった。

そんな時に、ハローワークで障害者の就業支援をしている機関を紹介された。家へ帰るのも待てずに、藁をもすがる気持ちで、ハローワークのエントランスで電話をかけた。
ひとつは県の障害者職業センター、ここの就職活動応援セミナーに応募した。3回のセミナーで、自分の特性を把握し就職活動に役立てる自己紹介ツールを作成する内容だった。その後にストレス対処講座を2回受講した。
もう一つは、地域の障害者就業・生活支援センター、ここは県の障害者職業センターのセミナーを受けたいと伝えたところ、そのセミナーを終えたところで、その結果を踏まえた上で、県の障害者職業センターの担当者と連携をとって、実際の就職活動の方針を決めていこうという話しになった。

再就職に向けてのスタートラインに立つための準備。のつもりだった。

セミナーに参加することで、自分の障害特性を「自己紹介書」としてまとめることはできた。応募書類と一緒にこれを送ることで、自分がどのような仕事で力を発揮できるのか、またどのようなサポートがあればその仕事で継続的に力を発揮し続けることができるのかを企業側に知っておいてもらえる。
まずはそこから。

そして、地域の障害者就業・生活支援センターで就職活動の支援を受ける流れになるはずだった。

ところが、時期が悪かったのか自分の持って生まれた運のなさが故なのか、人事異動の時期に重なった。
県の障害者職業センターの担当者の異動が決まり、地域の障害者就業・生活支援センターとの引き継ぎを兼ねた面談の予定が流れた。そのため、県のセンターから地域のセンターへの情報共有がされないまま、ぼくの就業支援が始められることになった。
そこで、地域のセンターはすぐに就職活動を始めるのもありだが、まずは精神科のデイケアへ通って、生活のリズムを働いていた頃のリズムに戻しつつ、デイケアのさまざまなプログラムを通じて仕事に向き合う態勢を整えませんかとの提案があった。
自分としても、すぐに仕事を始めるよりは、準備期間を使って自分自身を仕事に向け整えていく方が良いと思えたので、デイケアへ通うことを決めた。

初めのうちは、朝早く起きて準備をして、バスと電車を乗り継いで、デイケアへ通い、事務仕事的なプログラムや体力作りのプログラムを受けて、少しずつではあるがポジティブになりつつあるのを実感していた。体力作りは不精な自分にとってはとてもありがたいプログラムだった。引きこもっていた時期は、ほとんど体を動かすことがなかったので、少しの運動で息切れがしていたが、こうしてプログラムとして週に1〜2回でも体を動かすことは鈍った身体を立て直すのにちょうどよかった。事務仕事的なプログラムは、物足りなさを感じる内容ではあったが、何かに集中する時間を作ることにおいては意味があると思えた。

デイケアに通い始めて1ヶ月半になる頃、毎週月水金曜に通っていたのだが、心療内科の受診日が4週ごとの水曜日だったため、その週の水曜日のプログラムを休むことになったのだが、デイケアの担当者が水曜日を休みにする分を前日の火曜日のプログラムに出席しないかと提案してきた。
だが、その日のプログラムはぼくが最も避けたいと思っている「プレゼン(個人)」というものだった。ぼくは人前に立って話しをするのが苦手だ。それは大人数でも一対一でも、誰かの前で自分の意見や考えを披露することができないのだ。
嫌だからと言って、仕事の上で必要となれば避けて通ることはできないのは分かっている。現に、今までも何度も人前で話しをしなくてはならない場面に遭遇してきた。その度に、言葉に詰まり声を震わせ原稿を見ていてもどこを読んでるのかわからなくなり頭が真っ白になって立ち尽くしてしまうことが何度もあった。恥ずかしい思いを何度重ねても克服できなかった。
そのことを伝えたのだが、担当者は「みんな最初は苦手でうまく話せないけど、何回かやっていくと慣れてくるものだから」と、ぼくの主張を何も聞いていないかのように言ってきた。デイケアは、再度社会に出るための訓練の場所。そこで自分が苦手だからといって避けて通っていては何にもならない。そう思っていたぼくは断ることができなかった。

プログラム当日、ぼくは朝から憂鬱だった。昨日までは、楽しいとまでは言わないが、通うことに前向きに取り組めていたのだが、その日ばかりは気持ちが上がらない。
プログラムが始まり、まず発表する順番を決めることになった。周りの人たちは積極的に手を挙げて順番が決まっていく。結局、手を挙げられなかったぼくが一番最後の発表ということになった。そして、1時間の間に発表する内容を考える時間が与えられた。テーマは「私が人と話す時に意識している事」で持ち時間は1分30秒。ぼくはなんとか300文字くらいの文章をまとめ上げた。
そして、一人ずつ前に出てプレゼンを始める。各々の話しをする時に意識している事柄を端的にまとめているものもいれば、オーバーアクションで大袈裟に発表するものもいる。1分30秒となったところで、プログラムの進行役の担当者がベルを鳴らすのだが、お構いなしに3分以上も話すものもいた。
そして、最後、ぼくの番が回ってきた。恐る恐る話し出す。やはり声が震えるのがわかる。言葉に詰まる。目の前にいる人たちの顔はぼやけて見えないし、見ることもできない。そうして準備した原稿を読み終え立ち尽くしていると、担当者がこう言った。

「何か話して下さい、まだ20秒残ってます。」

冷ややかな言葉だった。ぼくの目の前が真っ白になった。なんで?制限時間をオーバーした人は、最後まで発表して途中で打ち切られることもなかったのに、制限時間に満たないと、さらに何かを話せとペナルティを与えられるのか?
狼狽えたぼくに向かって担当者はさらに追い打ちをかけた。「あと20秒、何か話して下さい」
もうぼくは何も話すことはできなかった。泣きたくなる気持ちを堪えて「話せません」と声を振り絞って言い、席へ戻った。
その後のことは、もう何も覚えていなかった。ただ、帰りの道で自分の惨めさに涙が溢れてきた。50も過ぎたいいおっさんが、簡単なプレゼンひとつできなくて落ち込んで泣いているのだ。これほど惨めなものはない。情けなさで死にたくなった。

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