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幼少期〜高校生

時は昭和の黄昏。

バンコクのどこぞで産声を上げたワタクシ。

家の近所の運河で行きかうモーターボートを眺めたり、それらが作り出す水の流れや、照り付ける日光を反射する水面を眺めてるのが好きな子供でした。 

5歳の冬、訳あって日本へ連行され、突然放り込まれた幼稚園。クラスメイトの間では常識になっていた童歌が分からず呆然としていたワタクシも、そこは子供の柔軟性、すぐに耳コピで、歌詞の内容など一切理解せず歌い始め、クラスでDIVAとしての地位を確立(嘘)。 

小学校に入ると、自我が芽生え始め、クラスメイトと衝突。えぇ、自分の意見をはっきりモノ申しすぎる性格だか習慣が祟ったのでしょう。加えて、オカマだのオトコ女だかオンナ男だ、いわれのない攻撃を受け始めるも、白鳥麗子バリに高笑い飛ばし、モノともしなかったバンコク仕込みのオカマの申し子も、さすがに中学に入ると恥じらいを覚えるガラスの女子中学生へと成長。強化ガラスの。

 何を隠そう、心の奥底ではスタイリッシュに歌って踊ってカッコ良い身のこなしで世間を魅了する安室奈美恵に心底憧れながら、ワタクシが入部したのはダンス部。ではなく、柔道部(おい!)。 

えぇ、アタシ、強くなりたかったの…。 もう泣かないって決めたの。

その頃にはワタクシに対するクラスメイトの風当たりも相当強く、誰も文句言えないほど強くなれば馬鹿にされないと思ったのね。安易。 

でも気がつけば、区大会、地区大会では優勝常連、東京都大会では6位まで上り詰め、部内では、女王の座…ゲホッ…主将の座を勝ち取ったワタクシ。月曜日の全校集会ではシーズン中、毎週表彰を受け、気分はレコード大賞を勝ち取る歌姫… 

…ところが表彰状を忠実に読み上げる校長が読み放った

「重量級」優勝

そこは読まんでよろしい!!!

こんなの隣のクラスのM君に見られたら、アタイ、恥ずかしくて生きていかれない…

なーんてはかないFirst Loveは、苦くて切ない香りのキスにたどり着くこともなく、思いを伝える事もなく、My graduationを迎えるのでありました。 えぇ、ずっと忘れない、祈ってる、彼のその夢がいつの日か叶いま…確か二次元オタクだった気も…

たとえ柔道をしようが、恋してないフリをしていようが、歩くカミングアウト状態のこのワタクシ、必死にストレートの振る舞いをしてると信じていたのね。給食の牛乳飲む時、小指立ってたけど。 

高校では初めてのカミングアウト。

その頃はそんなことを言おうものなら魔女狩り、魔女裁判にかけられて、社会的生命を抹殺されるんではないかと本気で信じていたので、恐る恐る何週間も何か月も悩みに悩んでクラスメイトの友人♂に打ち明けたのね。

その子とは人生、生と死…色々話してたからねぇ…@あぁ、青春。

するとその彼、何を勘違いしたか、唇を近づけてきてキスしようと… 

「いや!ゲイだと言っただけで、あんたの事好きって言ってないけど!!」 

えぇ、彼は恋愛の対象外なる男友達。やめてちょーだい。 

時を同じくして、インターネットなるものが普及し始めたのね。最初は自分のことがゲイだと、自分自身で認めることができなくて、遠回し遠回しのキーワードで検索をして行ってたんだけど、ある日気が付いたの。アタシが欲しい情報は二文字のキーワードを叩き込めばいとも簡単に、ンマー手っ取り早く出てくると。えぇ、「ゲイ」の二文字ね。

それで、自分と同じような人は世界にいくらでもいる事を知り、少し安心したのと同時に、踏み込んだら帰って来られない秘密の扉を見つけた気分だったわ。

そこで初めて知り合ったのが7歳年上のマレーシア人。17歳にとっての24歳は大人そのもの。まして、いろんな国で生活をした彼、5か国語を操り、社会人で、デートしても当然の様に奢ってくれるとか、自分の周りにはいない種類の彼にドップリYesフォーリンラヴ。 

彼にとってもアタシが初めてのゲイとの出会いで、お互い「こう言うことあったよね?」とか色々話せて楽しかったし、嬉しかったわ。

でもね、高3の春、彼が言ったの。春なのに、。

「大学受験するなら本当に大事な時期だよ。」「人生を大きく変えるチャンスはそんなにたくさんないから勉強に集中してほしい」と。 

ワタクシ、きっとこの人は別れたがってるんだと思ったの。彼は大人だし、17の小娘じゃ物足りないだろうなぁとは思ってたの@門限6時の箱入り娘。

でもその時、産休に入った安室奈美恵が一切メディアに露出せず、1年後、華々しく紅白で復帰をしたように、アタシも、ココから姿をくらまして自分に磨きを本気でかけて、大学に合格したら、英語話せる様になったら、彼を奪還できるかもしれない…!!そーよライフ・チェンジングな事をするには必死にやるしかない!! 

そう思って、高校三年生になる前日に、それまでジャニーズジュニアたちの様に伸ばしていた髪の毛(といえば聞こえはいいけど、実際は前髪お化けと呼ばれていたことは内緒よ)を突然スポーツ刈りにして、そして、彼と会うのを一切やめて、勉強に没頭したの。 

彼は1週間〜3週間に一回程度メールをくれたけど、アタシ、自分が返信をして、それが返ってこないと死ぬほど落ち込むから、返事はしなかったり、してももう、彼の方から返事を予期しないで済むような返事をする程度。本当は自分の想いを親指が腱鞘炎になるほどガラケーに叩き込み、源氏物語級の長文エッセイを書いては消し、書いては消し…心の奥にしまい込んだわ。

当時の彼からの着メロは安室奈美恵のWishing on the same starの4和音。彼だけが奏でる事の出来る彼だけに指定された、一つに結ばれたい今でも蘇るあの切なく力強い愛のメロディー、。心は心を求め合う…ってか、求めて頂戴! 

そして、アタシは予備校デビュー。入塾の模試で、偏差値37、高校でも学年600人中570番目くらいのワタクシ。志望校を言おうものなら笑い飛ばされる始末だったわよ。ドラゴン桜バリに、教科を絞って、ピンポイントで朝から晩まで必死に勉強したわ。

ちなみにアタシのクラスではほとんどが推薦入試、専門学校に行く子ばかりで、一般受験をするのは3人くらいだったわね。 「受験英語なんてやったってしゃべれるようにならないし―」 と、わかったように言うクラスの女子をしり目に「今に見てなさい!受験英語で話せるようになってやる」と私は息を巻いた。

しかし、成績は突然よくなるわけもなく、2か月くらいしても偏差値はほぼ上がらず。でも、、、若さね…机の前に彼の写真を置いて、「アタシ、、、合格できなきゃ彼に会いに行けない…!!」って一心不乱に打ち込んでたわ。えぇ、歯ぎしりをはじめたのはきっとこのころ。いろいろ食いしばってたのね。 

ところが、夏休み前に受けた模試で、偏差値40前後だったアタシの成績は突然57に跳ね上がってたの。「これなら…行けるかも!!」 そこからも涙をこらえながら必死にとにかく勉強を続けて、秋ごろには、偏差値63~67を彷徨い、とうとう悲願の大学に合格。 

その日に速攻、彼に電話したわ。そもそも彼に電話をしたのはその時が初めてだった。自宅の家電から電話したから誰からの電話かわからないはずだった。 

7回目のベルで受話器を取った彼は、10か月ぶりのワタクシからの「もしもし」の声で、名前を言わなくてもAutomaticallyわかってくれたわ。

「どんな声で迎えてくれるかな」
「忘れないでいてくれたかな」

そんな不安を抱きながら恐る恐る発したアタシのモシモシに本気のハイテンションで「あーーーーー!!!!!!」と彼反応した彼の声に笑顔が浮かぶ。思わず溢れる笑みと涙。 無事合格した旨を伝えると、食事でもと誘ってくれた彼。 

・・・しかし、 受験勉強のストレスで15㎏太ったワタクシ。
チョコレート食べすぎて顔にエイリアンの様に繁殖したニキビ…  

…会いたい、会いたい、会いたい、会えない… ただ糖分を求めてたの。

 「こ、、、これから一人暮らしの準備とか、入学の手続きとか、諸々色々あって、チョット忙しいから、お、、、落ち着いたらその時に会おう」  そういって、その場を切り抜けダイエットを開始。そしてワタクシは華の女子大生へ…。  

つづく。

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