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海外転職活動〜香港移住

画して、ブラック企業を脱出するべく、夏休みを利用しやってきた香港で転職活動を試みたワタクシ。

手始めに、現地にある人材派遣会社数社に連絡をした所、カウンセリングに来ませんかと連絡が。

「あぁ、本格的に何かが動き出すんだな…」と言う期待に胸が弾む。

まず日本語で色々会話を行った後、英語チェックをするとの事で、香港人の担当者に入れ替わる。

職歴を聞かれたりなぜ香港で仕事がしたいのかなど、雑談に近いような会話を10分くらいすると去って行き、先ほどの担当者と何やら少し話していた様子。

そして、しばらくすると、先ほどの担当者が返ってきて、「英語も大丈夫とのことだったので、ご紹介できそうな案件が…」と、紹介されたのは日系の保険ブローカー。 

保険…?
全く意識したこともない業界に戸惑うも、VISAを取ってくれれば、あのブラック企業から救ってくれればどこでもいいわ!

「もし、都合がつけば明日にでも面接取り付けられるかも」と言われ、その場で担当者に確認をしてもらい、面接を受けることに。


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翌日、高温多湿の香港で、わざわざ日本からトランクに入れて持ってきたスーツを着て、我が物顔で道を練り歩くワタクシのBGMは
安室奈美恵のRock Steady。

ストリートからショービズのトップへのし上がって行く様子を描くミュージックビデオを心に思い浮かべ、鼓舞しながら歩くとついつい早足に。

…会社に辿り着く頃には汗まみれになって大変な事に。

トイレに行って汗を拭いて、髪を直して、尿も済ませてと思ったのに…

…香港のビルのアルアル@鍵がないとトイレに入れない☠️

100歩譲って汗と髪は良いとしても、問題は頻尿…😰

辺りを見渡すも土地勘もなく、時間もなく、そのまま面接へ行くしかなく。

アタシにとってはこれは、海外移住をの切符を賭けた壮絶な戦い。
でも敵は面接官じゃなくて尿意。

まだ採用されてもいないのに「もうここで暮らす。あのブラック企業には引きずり戻されたくない」と言う気持ちが怨念のように身体中から汗と共に溢れ出していたに違いない。

面接ではこれまでの経歴の話から始まり、なぜか趣味の話やら、香港での暮らしやらに話は発展し、1時間近くが経過。トイレ行きたい…

「今日の面接で私はとても良いと思ったのでもしよろしければ話を進めさせていただこうと思います」

と言われ、涙が出るほど嬉しかったのも束の間、決壊したダムのように、香港での暮らしのあれこれや、どのように日本の会社を退職するかなどなどいろんな考えが一気に同時に色々出始めた。

「もし日本に帰るなら、後日、本社で弊社の人事と顔合わせしませんか?そこで改めて質問があればして頂いて、諸々の手続きなど」と。

もはや香港移住のチケットは手に入れたような物。

いつもなら、日本へ帰る空港では、
「また、あの牢獄(ブラック企業)に収監される…」
という気持ちで一杯。

しかし、今回は「じゃ!またすぐに来るからね!」という思いで一杯。

決まったような物…とはいえ、まだ正式オファーではないし、サインもしていないので、職場や家族には言わず…気持ちはかなり浮ついていた。

そして、後日、正式にサインをし、退職の申し出をしたら、先輩、係長、課長、部長、と引き止め…

…ではなく、叩き潰しに来た。

「お前な、せっかくこれまで費用を費やして育ててやったのに裏切るってことか?

えええええーーーー!!!!

そ、そうくるか、、。

しかし、もはや心は香港におり、どうでもいいと思っていたワタクシ。

これまでずっと大人しく、反発もせず聞き入れてきた態度を続けてきたワタクシも口を開いた。

「ま、最終、私の人生なんで」

それまでいくら攻撃しても、反撃もしなければ、防御すらしなかった社員が、突然強気で「我関せず」の態度だったので、若干驚いた様子の上司たち。

え?何?これが素だけど?

結局、何ぴたりともワタクシを止めることは出来ず、一度は渡し、床にたたきつけられた辞表は自分では拾わず上司に拾わせたワタクシ。

同僚からは惜しまれるというよりは羨ましがられ、豚箱から出所するのでございました。

その頃は、そこの会社とは別に、ゲイバーでもお仕事をさせて頂いていたので、ママにも卒業の旨を伝え、卒業パーティーを開いて頂きました。

またしても、号泣の末、明け方頃、飲みすぎて若干気持ち悪くなっているところ、お客様達に暖かく見守られながら、床に最後のボトルを置き、颯爽とステージ(カウンター)を去っていくのでありました。(トイレへ。)

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*去った後のイメージ図

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