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禿げたら禿げたでそういう事で

ふと気づいたら頭頂部が気持ち寂しくなって来ているような気がして、それが確か7、8年前のこと。30代で禿げるのだけは流石にちょっとお願いしますと、そこから育毛剤や発毛剤を暫く使ってみたけど効いているのかいないのか。とは言え誰が見ても分かるくらいの深刻な事態と言う訳でもなかったから3カ月くらい続けたところで最後の1本を使い切って止めてしまった。その後も一度か二度再開したことがあったけど、どちらも結局続かないままフェードアウトしてそれっきり。
そこから特に禿げ進む事もなく、すっかり気にならなくなっていた所でふと気がついたのが2年ほど前。頭頂部が以前よりも確実に寂しくなってきているような。毛も何処となく細くなっている気がするし、頭を洗うとこんなに毛って抜けてたっけ。
美容師さんはまだまだ全然大丈夫ですよとは言ってくれるけど、時々施されるようになったメイクの時の頭頂部黒い粉ポンポンポンポンは昔は確かに無かった行程だし、そもそもやっぱり以前よりも頭頂部の山肌が見えている。

何年振りかに再び始まった頭頂部習慣は始めの内こそ意気込んでいたものの、今度は1ヵ月もしないうちに止めてしまった。ある日、何時もの様に鏡に向かって育毛剤を吹きかけた頭をマッサージしている時に、ふと「この先の人生の方が短いのにこれを死ぬまでずっと続けるのか?」と思ってしまったのだ。じじいになっても毎日これをやっている自分を想像したら、その途方もない先行きがなんだかとても馬鹿らしくなって、そもそも禿げ出したという事はもともとこの体は禿げるように出来ていた訳だから、だとしたら無駄な抵抗はもう止めて自然な流れに身を任せよう、と。

以前「この先老いて行くのが自然な流れなのに一体何時までこれを続けるんだ?」とふと思ってジムを止めた。午前中のジムはじいさんばあさんばっかりだったけど皆良い表情で汗を流していて、健康な身体作りの為の適度な運動は多分しないよりもした方が断然良いのだろうけど、じじいになってまでせっせとジムに通う日常は私にはちょっと想像が付かない。健康や若々しさの求め方は人それぞれ自由だけど、どうやら私は、こと肉体の外見に関しては年々抗わない方に抗わない方に考え方が寄って行っている。思えば昔から大人の顔や手に刻まれた皴にカッコよさや美しさを感じていたし、自分の年齢を否定的に捉えて若作りに尽力している女性や男性を見るとがっかりしてしまう。この地球を相手に50年も生きて来たって、それだけで物凄くカッコいい。

何だかんだ頭頂部はそのままやっぱり今の今まで禿げ進むことなく耐えている。この先そのまま禿げなかったら禿げなかったでそういう事で、やっぱり突然来年あたりに禿げたら禿げたでそういう事で。


#創作大賞2024 #エッセイ部門

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