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「それ」は決して走らない

近くの川沿いを走っていたら橋の向こうから筋肉隆々の青年が歩いて来るのが見えて、その胸を張った歩き方が正にオードリーの春日さんのそれだったので「お、春日さん」と心の中で呟いた。ただその青年には一つだけ本人と全く違うところがあって、兎に角歩くスピードが速い。大股でずんずんと渡って来る。背筋はぴんと真っすぐ、Tシャツがはち切れんばかりに胸を張って、意識しているのかいないのか、すれ違う人達に見せびらかしているのかいないのか、ずんずんずんずん歩いている。
春日マン(勝手に命名)は橋を渡った所の川沿いを私の進行方向と同じ方へ曲がって、走っているはずの私はそれを追い越すためにちょっとだけ速度を上げる破目になった。

そのまま暫く走り続けたところで何時もの橋を渡ってUターン。反対側の川沿いを今来た方へと走っていたら向こうから見覚えのある人影が近づい来るのが見えた。春日マンだ。随分前に追い越した時の姿勢と速度を全く一つも崩していない。同じ方向に進んで行った筈なのに一体いつ何処で方向転換をしたのか。いや、そもそも方向転換なんてしたのか。もしかするともっと得体の知れない何か恐ろしいことが起こっているのかも知れない。
私は走りながら、そのずんずんずんずん近づいて来る春日マンの姿に昔見た「イット・フォローズ」というホラー映画を思い出して、心の中で「いやぁぁ」と叫んだ。

その映画は、呪いに憑りつかれた人間がその人にだけ見える人間の姿をした「それ」に追いかけ回されて追い付かれたら死ぬ、と言う具合にシンプルな内容なのだけど、人間の姿をした「それ」は決して走らない。常に歩いて近づいて来る。だったら逃げるなんて簡単じゃないのさ、と思うかもしれないけど、なんでもないシーンを見ていてふと向こうからなんか近づいて来るなと思ったらその人物が「それ」だったりして、「それ」は現れる度に違う人間の姿をしているから、歩いている事でむしろ他の街行く人達と同化してしまって近くに来るまで見分けが付かない。
その「いつの間にかそこに居て、それでも歩いて近づいて来る」と言う設定が向こうからやって来る春日マンの姿に見事に嵌って、私は勝手に一人フォローズを楽しんだ後、もう暫くだけ川沿いを走ってその日の運動を終わりにした。

運動すると運動したことをいいことにその後のビールをプラマイゼロにしてしまう悪い癖があります。


#創作大賞2024 #エッセイ部門

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