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母親をやめた話

今から4年前、私は子どもたちを手離して一人暮らしを始めた。
そして、「母親としてやるべきこと」から自分を解放した。

25歳で子どもを産み、31歳の時に産後鬱で寝込んだ。
共働きだったが、学校とそりが合わない子供たちだったため
両立は不可能となり(鬱はよくなっていたけれど、無理することはできなかった)専業主婦になった。

もともと「子育ては無理かもしれない」と自らの気質を理解してはいたけれど、子育てしたことに悔いは全くない。
それでも、子育ての前に自分のキャリアを構築してきた人や、共働きのまま管理職になっていく同期の女性を見ると、今でも心がざわついてしまう。
この日本でそのような理想的母親である人たちと自分をふと比べてしまう。

子どもを産めば自動的にそのような比較対象に自分を巻き込まざるを得ないこの国で、私は母親としての業務をやめた。

その理由はいくつかあって
もっとも大きなことは、私が母親から「母親の人生を満たす存在として」育てられてしまったというのがある。
だから、私自身、子どもを「自分のために」そばに置いておくことができない。自分がどれだけ支配的かわかっているからだ。
鬱になって体力はなくなってもエネルギーだけはある。
その影響たるや、いつも自分をしっかり保っておかないと、子どもたちにどんなまずいことになるかわからない。恐ろしすぎる。

子どもが依存してくるのを喜んでいる母親たちがいるのも知ってるし
日本ではそれが普通であって、孫の世話まで喜んで(表面的には嫌がってるけど)するのが「よき母親」のモデルであろう。

その連鎖を断ち切りたかった、という理由もあった。

毒親だのトラウマだのとみなは騒ぐけど
本気で連鎖を断ち切ろうとしている人は少ない。
自分さえトラウマの影響がなくなればよくて、この日本の家父長制に無自覚なまま「夫と仲良くしている」

あまりにも自分が少数派すぎて、愚痴をこぼせる相手すらいない状態であるが、自分自身がその態度で生きると決めたのだからそんなものかもしれない。

成人した子どもたちにまで責任を負うことはできないし
助けを求められたら絶対になんとかするという覚悟だけはあるんだけど
世の中「お母さん礼賛」か「毒親に苦労した」のどちらかであって
どっちも「過剰に親をやりすぎ」に違いないのだが、その指摘はなかなかできない。

子どもをコントロールして育ててしまうと
親がいなくなった時、本当にその子は大変なんだけど
子どもをコントロールすることで、子育てがうまくいってしまったりすると
いやそれな、大丈夫かいな、とおせっかいな心配をしてしまうが口には出さない。何事も「うまくいってる」って罠だと思う。

特にこの国の男性は、結婚したら「妻」という母親に面倒を見てもらうのが普通なので、一度も自立することなく子どものまま老いていく。
例外はない。

Xで「ガン離婚」が話題になったけれど
そもそも子どもに障害があると離婚する率は高いし
私も鬱になってみて「男はなぜパートナーの病気の世話ができないのか」と絶望的になったことがあるので、
男は突き放してなんぼだと思っている。

そして母親をやめてみて
人生の後半にどっぷり浸かってしまう前に
自分自身を向き合う時間があって私はよかったと思っている。

自分の所属する組織をちらつかせながら生きてる乱暴な世界の人たちがなんかよくわからない自信を持っているように、「夫と子供」をちらつかせながら生きている女性たちって、ちょっとふてぶてしさがあって私は苦手だ。

そもそもが「家族ありき」の国だからだと思うけど
日本は家族のない人間にとことん冷たい。
居場所のなさ、グループに入れてもらえない圧はかなり大きい。

昔から「寄宿舎育ち」の話や、障害があっても他人の力を借りて生きていくと決めた人たちの話が私はとても好きなんだけど
家族にすべてが回収されるのではなく、個人が個人としてひとりで生きていけるようにと私は願っていて、さらにそれが「村社会」のような村八分を含んだ「共同体」ではないことも重要である。

男は簡単に父親をやめられるのに、女は母親をやめられない。
やめてもええんやで。
子どもの手を放しても大丈夫な時期が来たら。
そしてその準備は小さい頃からしておくんやで。

子どもが育ったからって夫をかまってたら同じやで。
誰かの世話をしたかったら、世話をしないと生きられない人の世話をするんや。大人の男の世話はやめてや。

人って組織に所属すると、自分が組織と同一化してしまって、自分が偉くなったような気になってしまう。会社と自分を同じだと思うように。
それが家族という組織でも起きてしまうのだと思う。

○○家という組織にいることで、自分自身の価値をそこに置いてしまうというか、本当の自分自身に気づかないまま生きてしまうことは多々ある。
何にも属さずに生きていく不安定さに耐えられないのは男女問わずだ。

それが人間らしいといわれればそうだけれども。
最後はどうしたって一人になるわけで。
お金の準備よりその心構えのほうが実は大きかったりしませんか














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