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普通の女の子がNo,1SM嬢になるまで(Ⅱ)

【Ⅱ、活発だった学童期】

前回の記事で触れたように、私は厳し過ぎないそれなりに恵まれた普通の家庭で育ちました。

下記の12段階別に当てはめると世帯年収は長い間富裕層ゾーンでした。

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私は逆子で産まれました。

出産間近になりクルッと回転したというのは、やはり産まれる前から世間ずれしていたのかもしれません。

まだ物心付いていない頃に予防接種を受けた時、注射針が刺さる様子を目を丸くして凝視しながら、泣きもせずに「オーッ」と感嘆の声を上げていたようです。

痛いプレイが快感なのも当時からだったんですね。

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幼稚園生の頃から人間が好きだったようで、スーパーに買い物へ行く時などは、全く知らない同じ年頃の子に抱きついていたそうです。恐ろしや。

セックス好きの中には幼稚園生の時に既にオナニーを経験している人もいますが、私はまだ芽生えていませんでした。


小学生時代は活発な子でした。

文系の成績はいつも上位で、張り出されるテスト結果が楽しみでした。

スポーツは普通レベルでしたが、休み時間は率先してドッヂボールに繰り出し、放課後は水泳教室に通っていました。

またダンスやピアノも習い、リズム感やクラシック音楽への感性を磨きました。

市の合唱部に所属し、美術も得意で賞も受賞。国際交流にも積極的で、人と接するのが大好きでした。

将来の夢はオペラ歌手だったりと、才能に溢れ輝いた月日でした。


過去に植え付けられたトラウマや特殊な性的体験が、SMに興味を持ち始める引き金となる場合があります。

私も活発な日々の中で羞恥心も同時に養われていきました。

お腹が痛くなったタイミングで長い時間床に座る授業がありました。我慢していたのですが、授業が半分の時間を越した時、少し気が緩んだのか沢山の同級生がいる中での放屁。ごまかしましたが、恥ずかしさで気が気ではありませんでした。

放屁プレイはその時を思い出し、心から恥ずかしいです。

また、小学校の中庭には大きな池があったのですが、帰宅前に飛び石で遊んでいたら池へ落下。

びしょ濡れのまま帰ったのか運動着に着替えたのかは覚えていませんが、恥ずかしさは鮮明に記憶に残っています。

他にも羞恥を感じた思い出はいくつかありますが、その頃から強い承認欲求が育つと共にそれは脳に刻み込まれていきました。

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小学年の辺りで、親族の中に躾が厳しい人間がいました。

数十年前であれば家庭でよくある事だったでしょう。悪いことをした時には玄関の外に出されたりバットでお尻を叩かれていました。怒られることは仕方ないことだと、躾も受け入れていました。

今でも「ごめんなさい」という気持ちと「痛い」という感覚が連動する時、特にご主人様に叩いていただく時にはよく脳裏に浮かびます。

痛みを通り越し麻痺してくると、負の感情がより大きくなり、ご主人様に対する「ごめんなさい」なのか昔悪い事をした時の「ごめんなさい」なのか分からなくなる程悲しくなり、遂には号泣してしまうのです。

              茉莉伽

(続きは、次に掲載される『普通の女の子がNo,1SM嬢になるまで(Ⅲ)』の記事をご覧ください。)




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