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男性は絶対に優しい方がいい

男性から女性への”ありがとう”が欧米諸国のヴァレンタイン

今日はNYはヴァレンタインだ。前にも記事に書いたように、ここでは男性が女性に花を贈ったり食事をごちそうしたりして普段の感謝を現す。

そんなわけで、私はこの日にいつもと違う平和なエネルギーが街に溢れているのを実感するのだけれども、今年は特にその重要性を感じる。

強すぎる”男性性”による暴力的戦いが続くアメリカ

アメリカでは、コロナ以降の暴動や政治問題その他による激しい”戦い”が日々連続的に起こっているし、その緊張感は、意識無意識関わらず満遍なく私たちの日常生活を脅かしているのは確かだ。

そして、その”戦いの緊張感”とは一体どこからくるのだろうと考えた時に感じるのは、やはり”戦う”というメンタルは間違いなく強すぎる”男性性”による暴力性に由来しているという事だ。

もちろん政治家や活動する人たちの中には実際には女性も多くいるし、中には素晴らしい人たちもいる。ただ、それとは別に、単純に常に社会的な戦いに身を投じるような精神性は、どちらかというと”男性性”のなせる技であり、本来は受容を美徳とする”女性性”独自のものとは違うと私は思う。

本当に優しい男性の忍耐強さは最高の武器になる

男性は古来から、狩に行って獲物を捕まえ、女性や子供に与えるというような役割で生きて来たわけなので、ある意味でのサバイバル能力という戦う精神はもちろん必要かもしれない。でも、それが暴力化したところで、果たしてこの地球や人類にとっていい事があるのだろうか。。

私は決してそうは思わない。

男性が狩りに言って獲物を捕まえてみんなに与える時に必要なものは、単純な戦いの精神だけではなく、その背後にはみんなを守るという責任によって生じる忍耐力という強さも同時に存在していると思う。

男性にとっての忍耐力という強さこそ、今の”男性性”の強すぎる戦いの社会では正しく使われるべき武器なのではないかと思う。

そして、狩に出る男性の忍耐力を支えられるのは、紛れもなく”優しさ”や”思いやり”という概念だ。

だから、優しい男性は忍耐強い。

男性が本気で愛を持って行動する美徳ははかりしれない

もちろん、男性というものが持つ特性として、エデイプスコンプレックス的にお母さん(女性)に一生甘えていたいというようなメンタルは、多かれ少なかれ潜在的にみんなが持っている部分でもあるかもしれない。ただ、それがどういう方向に生かされるのか、という事でその男性の価値は決まってしまうと言っても過言ではない。

ただ女性に甘えるだけになるのか、それとも、そのためには同時に優しさも提供したいと考えるのか、その違いは大きい。

そこに本当の愛があれば、男性も女性から与えられるばかりではなく、お返しとして何かを提供したいと自然に考えるようになるはずだ。

やはり、女性を笑顔に変える事は男性にとっては本来は何よりも幸せな事柄なはずだから。

男性がすぐにキレない社会が世界平和への第一歩

”男性性”、”女性性”の問題について広く語るのは複雑なので、ここでは深くは掘り下げないけれど、昨今の政治問題や世界情勢などを見ていて本当に嫌になってしまうのは、あまりに強すぎる”男性性”やその暴力性に対して辟易してしまうという部分も大きい。

現実の生活でも、すぐにキレる男性、家庭内DV、モラハラなど、男性性が暴力化した問題は数えきれないぐらいに頻発している。政治的な許しがたい事例で言えば、ウイグル族問題はその極みとも言える。

だから、そういう暴力をまずは無くしていくには、どうしても心ある男性の力と優しさが必要だ。世界を変えるには、男性が本気で優しくなる事、みんなを思いやれる事しかないとすら私は考えてしまう。

そのためには、まずは目の前にいる人たちや女性たちを本気で大事にしよう。平和な地球にとっての一大改革はそこから始まると私は個人的には思っている。

ここでのヴァレンタインデイは、その為に与えられた貴重な1日だ。だから、優しさという男性の強さの美徳をもう一度改めて見直してみよう。

そうすれば絶対に世界は平和になるはずだから。

Happy Valentine's Day!

今日は世界平和を本気で願っていたに違いないDavid Bowieのこの曲を紹介します。






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