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RBGが支持された本当の理由

通称RBGで有名だったクリントン政権時に就任した女性で2番目の最高裁判事となったルース・ベイダー・ギンズバーグ氏が亡くなった事で、ワシントンでは葬儀のため、多くの人々が喪に服すべく集まった。と同時に、NYでは、ブルックリンブリッジを始め、様々な橋が彼女の好きな色であったブルーに照らされ、彼女の功績と影響力はこの街でも計り知れないぐらいに大きかったのが良くわかる。

RBGは、女性差別がまだまだ一般的であった50年代のアメリカで、女子生徒が数えるほどしかいなかったコーネル大学で学び始めたところから始まり、その後はハーバードのロースクールに学びの場を移し、最終的にはコロンビア大のロースクールの大学院を主席で卒業した。にも関わらず、女性だからと言う理由でマンハッタンのどの弁護士事務所も雇ってはくれなかった時代からスタートし、何とか大学教授の職を得た後も、引き続き弁護士としての勉強を続け、職場での女性差別や性差別をなくす為にとことん戦い抜いて最終的には最高裁の判事となり、法の中にある性差別を塗り替えるべく、時代を変える第一人者となっていった。

彼女の実際的な業績はもちろん素晴らしいし、今ここで女性たちが普通に働けている状況に関して、彼女がどれだけ貢献しているかはとても一言では語れない。(気になる人はドキュメンタリー映画『RBG最強の85才』や『ビリーブ未来への大逆転』などを見てもらえば分かるかと思う。

そして、彼女のドキュメンタリー『RBG最強の85才』によれば、コーネル大学時代に出会った夫である同じ弁護士のマーティン氏とは全く真逆のキャラで、マーテイン氏は、どちらかというと明るくて冗談を言うのが大好きで、いつもおどけているのに、RBGは、静かで控えめでシャイで硬派な感じだったと言う。

その真逆の二人が一緒になって、常に同じ方向を向きながらも、お互いにないものを補い合う最高のパートナーシップを持つ二人になって行ったと言う状況は、このドキュメンタリーからも伝わってくる。

RBGは最終的には若いロースクールの学生たちにも支持され、女性解放のための最高裁で戦う判事としてのアイコンとまでなっていく訳なのだけれど、そういう流れに彼女を推し進めたのは、ファイテイングスピリットとともに彼女の中にある法律への情熱、そして、女性特有の限りなく自由でしなやかな柔軟性ではないんだろうかと思ったりもする。

お母さんから淑女でありながらも自立しなさいと厳しく育てられて生真面目だった彼女は、控えめに淑女的ではありながらも、鋭い発言をしたり、またいつも冗談を言って温厚に振る舞っている自分とは真逆のマーテイン氏と本当にサポートし合えるいい関係だったりもした。このカップルは男尊女卑社会が当たり前だった50年前にしては本当に稀有だと思うけれども、家事分担は二人が交代して出来る方がやっていた。(最終的にはRBGの方が仕事が忙しくなりすぎて、家事担当はマーテイン氏になったようだ。)

そして、彼女は最高裁では自分はリベラル派でありながらも、スカリア判事という保守派の判事と大の仲良しになってしまったりもする。(このスカリア判事は、保守派でありながらも、冗談が好きで、人間的な事柄を大事にする言わばビッグハートな印象の人物だ。)

彼女がここまでのアイコンになってしまうキッカケは、2013年にニューヨーク大学のロースクールの生徒であるシャナ・ニズニックが始めた「ノートリアス RBG」(悪名高きRGB)と銘打ったブログから始まる。

日頃からRBGの発言に着目していたシャナは、彼女の個人ブログである「ノートリアスRBG」の中で、RBGの最高裁での発言や写真をオンタイムに取り上げ、彼女の人気をアメリカ全土に広げるキッカケを作る火付け役となった。

この「ノートリアスRBG」と言うネーミングは、ラップで有名な「ノートリアスB・I・G」を文字って作られ、のちにこのブログは同名の書籍となり、このエッジの効いたネーミングが功を奏し、彼女のグッズまでが作られるようになり、結果的にはRBGを全米の若い女性たちが注目するようなアイコンにまで仕立て上げてしまうことになった。

ちなみに、シャナに言わせれば、外見も小柄で、一見エレガントで知的なギンズバーグは、実のところ、とてつもなく大きな影響力のある存在で、大胆不敵な”やり手”に他ならないのに、誰もそこを見ようとしなかったので、”イケてるワル”という部分をあえて表に引き出したいという気持ちからこのネーミングを選んだようだ。

そうしてRBGは、このブログの出版による思いも寄らないマーケテイング効果も手伝って、いつの間にか女性差別と戦うアイコン的存在としてみんなに愛されるようになった。

この状況を軽く感じて嫌う人もひょっとしたらいるかもしれないけど、彼女にとっては、こう言う新しい時代が生んだ現象、思いもよらなかった変化を受け入れることで、マーテインが亡くなったあとの人生や、若者たちとの交流をむしろ存分に楽しめるようになった部分もあるような気がする。それによって今まで彼女のことをあまり知る事のなかった世代の女性たちが、その活動や功績を理解し始めた事、歴史に目を向け始めた事もとても大きなギフトなんじゃないかとも思う。

そうして、硬派で堅物でやり手の女性判事というセルフイメージから少しづつ自身を解放し、愛されるアイコンとなる事を楽しみ始めたRBGは、近年では、サタデーナイトライブと言うアメリカの長寿お笑い番組で、自分のことを茶化されてネタにされているシーンを見て楽しそうに笑ったりまでしていた。

人が何かを伝える時、本当に大切なことをうまく伝える時に必要なことって何だろう。それはある意味、気持ちを緩めて理解し合える方向に少しだけ柔軟に頭をシフトすることのような気がする。

そのためにはユーモアは最も大きな潤滑剤になる。

マンハッタン一の優秀なタックスローヤーと言われていたRBGの夫マーテインは、きっとそのことを誰よりも知っていたと思う。だからこそ、ものすごく厳しいはずの仕事で最高の成果を出しながら、いつも冗談ばかりを言ってみんなを和ませていた。そして、時により、真面目すぎる妻のRBGがリラックスして前に進めるように、深刻になりすぎないように、彼はずっとサポートして来たはずだ。

彼女にとって、そんな第一の理解者だったマーテインの存在がどれだけ大きかったか、10年前に彼が先に亡くなってしまったことがどれほどの痛手だったからは想像にむづかしくない。そして、まだまだ彼女の登り詰めていく姿を見続けていたかったであろうマーテインにとって、彼女を置いて先に逝くことは本当に苦しかっただろう。

そう考えると、この新しい状況は、いつも笑顔で冗談ばかり言って彼女を支え続けて来たマーテインが、彼が逝ってしまった後もRBGに悲しまないで欲しい、どうか元気を出して希望を持ちながらこの国を変えるため、みんなのために長く生き抜いて行って欲しいと思って天国からサポートして差し向けた彼女の心を開くためのSense of Humorと言うギフトだったんじゃないだろうかとも思えてくる。

星条旗に包まれたRBGは、公職についた女性として、明日、初めて連邦議会議事堂に安置された後、来週アーリントン国立墓地で夫のマーテイン氏の横に埋葬される。

やっとマーテインに会えて、また昔のように冗談を言い合えるのだととどこかでホッとしているかもしれないみんなのノートリアスRBGに、今は心からの冥福を祈ります。

Dear, beloved notorious RBG,

Rest in Peace with Martin forever .





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