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白馬でのんびりヨガリトリートに参加して思い出したヨガを始めた頃の話。

ヨガのリトリートに白馬に来ている。コロナが始まる直前にバリ島でヨガリトリートに参加して以降最初で実に3年ぶりだ。

3年前、大学の卒業旅行のような感覚で頑張って貯めたお金で1人バリに行った。

その当時はヨガを始めてまだ1年半ほどで、なんとなく行ったのだが、すごくリフレッシュして帰国したことを覚えている。(今はヨガ歴5年目に近い)

ヨガを始めたのは、大学時代長く付き合っていた彼氏に振られ感情のコントロールが効かなくなり、これはまずいと飛びついたのがきっかけだった。

何をやるにも彼のことばかり考え、気持ちはあちこちで、先のことばかり考え、とにかく自分がどこにいるのか、誰なのかわからなくなってしまっていた。

そんな中飛びついたヨガだが、最初は振られた彼に「ほらまたヨガしてるの」と連絡するような次第だった。
「見て、わたしって面白い人なの。こんなことやってる。見て。」とまあ、振り返ると承認欲求やら、注目して欲しいやらそんなとこだったのだろう。

自分でも変なことをしてるのはわかっていたが、コントロールが効かなかった。そんなこんなで、でもなんでだかヨガがやめられず、そのうちヨガをしてる自分、というより単純にヨガをしてる時間が心地よくて、楽しくて抜けられなくなってしまった。

気がついたら5年ほど。今回の白馬でのリトリートは、「ヨガリトリートをしてる私かっこいい」というより、単に「あーーーのんびりしたい。ヨガリトリートなんていう贅沢時間取れたらいきたーーーーい」というごく単純なうちからの叫び声だった。

参加してからの私の気持ちもかなり前回とは違う。ヨガではよく、何か体の変化や気持ちの変化があっても悪いこととしてとらえず、ただ単純に「へーそうなんだ」と捉えるといいと言われる。自分の変化に対して何かしらの感情を持つというより、自分の変化を見つめる、アジェンダはなし、ただそれだけというものだ。

最初はしっくりこなかったのだが、なんだか今はこれが心地よい。良くも悪くも何事もただ「捉える」そんな感じだ。

今白馬で3年前との自分を思い出し、その変化に「へー」となっている。ただその上で自分がたった3年でこれだけ変化したことに驚いている。

いろんなこと、特に周りから受ける影響に感情が揺さぶられるのが嫌だった3年前の自分、今は良くも悪くも一度ただ受け止めるようになった。
そしてその上でどう感じたいのか、何かを考えたいのか、そんなふうに考えるのだ。

これもまたヨガで私が好きなことなのだが、いつも練習の際に「このポーズをやってください〜」、「もっとやりたい人はこれにしてもいいよ〜」とオプションをくれ、自分の体に聞きながら好きな動きをするように指示される。
もっとやりたいポーズをやらなくても誰もジャッジしないし、問題はない。個々人がやりたいことをやりたいようにやれるのだ。

自分に尋ねながら自分に合った、自分がやりたい、その時できることをやる。それがとても好きで、自分の生き方にもそれが少しずつ出てきたような気がしている。

なんだか、今回の白馬での自分の様子を見ながらそう思った。

※ちなみにヨガを始めたきっかけとなった振られた彼氏とはその後復縁の末婚約している笑 ヨガは本当に私の好きな私を取り戻してくれた。




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