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全体とパーツの”一方通行な”関係

前回は、「誰にでも”サッカー選手が絶対やるべきトレーニング”を発信できてしまう「方法過剰供給状態の社会」においては、方法に目を奪われるのではなく選択能力の向上に努力をシフトチェンジしていく必要があると述べた。



「このトレーニングをすれば〇〇ができるようになる」

今回は”誰でも発信できる状況”における、もう一つの重要な問題について触れたいと思う。それは構造の単純化短時間化
膨大な量のトレーニング方法の発信の中で一定の割合を占めるのが「このトレーニングをすれば〇〇ができるようになる」「たった〇〇でこれができる」というパターン。

これらが単純化というテクニック。
とにかく分かりやすい。
本来は複雑に影響し合う要素を、こうすればこうなるという1対1の関係に持ち込む。多くの前提条件や流動的・複合的な要素は無視する態度である。
単純化はそこら中に溢れている。トレーニングに限らず、例えば「〇〇という栄養を食べたら身体はこうなる」も単純化の典型例である。


しかし当たり前のことだが物事はそんなに単純ではなく、特にスポーツのパフォーマンスにおいてはこのような発想ではまず上手くいかない。

スポーツのパフォーマンスはそんなに簡単に向上できないという前提の元に進めなければ、耳ざわりの良い言葉に惑わされ続ける。




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究極のトレーニング

通常、実施者である選手の状態の評価は当然として、その競技の特性の範囲内でのその競技動作で必要となる運動(重心の動きや関節運動や筋の作用)を緻密に考慮した上、それらに適用できるトレーニングを階層的に絞り込んでいく作業が最低でも欠かせない。


まず間違いないという段階まで到達できても、それでも専門家としては「こうすればこうなる」という単純化表現には躊躇する。いや躊躇どころか一生そのような表現はできないと思う。
トレーニングによる身体・動きの変化が競技パフォーマンスに正の変化を起こすことは私にとってそれほど複雑なシロモノである。
それゆえ極端な単純化表現には、努力が成果を生まないまたは努力が負の変化を起こすという『リスク』が通常以上に大きな割合で付きまとうと思えてしまうのだ。


方法の単純化そして短時間化。
「無料で手に入るトレーニング方法で、短期間ですごいパフォーマンスが必ず手に入ります」
よく考えたら、これってもはやトレーニングの究極の形ではないか。。

ノーリスクで投資額の120%リターン得られます!という“究極の投資テクニック”と同じぐらい。。


(無料はともかくとして)短期間で誰にでもすごいパフォーマンスが必ず手に入るトレーニング方法は、トレーニングに関わる仕事をしている者ならずっと追い求めている”究極”であり、追い求めつつも絶対に存在できないと知っているものでもある。


だからこそ思う。
本当にそのトレーニングでそのパフォーマンスは獲得できるのか。そんなに単純なものなのか。
少なくとも私自身はまだそんな単純化・短時間化はできていないし、指導しているプロ選手たち自身もパフォーマンスを上げるには地味で膨大な努力を必要としている。
もしそれらの表現通りにみんなが”上がる”のであれば我々が目にするパフォーマンスはもっと違ったものになっているはずである。




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3つの疑問

単純化・短時間化におけるサッカーでの例を挙げると、典型的なものがドリブルテクニックの習得に関するトレーニング方法。
「このトレーニングをすればこのドリブルができるようになる」というよくある構図。
これらの妥当性には主に3段階の疑問点が生じる。

①そもそも、そのドリブルが本当にサッカーで必要なパフォーマンスなのか・有効なものなのかどうか
②本当にその方法でそのドリブルが身につくのかどうか
③その方法で身についたドリブルの「状態」は本当に試合で使えるスキルになり得るのか

そして最も重要なことかもしれないが、トレーニングに使える時間は限られている。
それゆえサッカー選手は「そのドリブルテクニック」が所属チームの戦術上必要なのかどうか、限られた時間を割いて今身につけるべきものなのかどうかという判断をしなければならない。もちろんこれらの疑問点を常に解消しながら進むのは現実の指導現場でも同じではあるが。




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競技全体は”パーツ”の集合体ではない

競技の中で出現するテクニックは、本来単独では存在しない。
ドリブルに限らずどの競技動作についても言えることだが、競技動作という(競技全体からみた)”パーツ”から出発すると必ず矛盾を抱えることになる。
競技全体は、パーツの集合体では決してない。
【全体→A+B+C】に分解できても、【A+B+C→全体】は成立しない。
生き物と同じように、バラバラにしたものを繋ぎ合わせても、元通りには戻らない。
完全に別物である。(これはサッカーにも言えるし、人間の身体や動きにも当てはまる)


これらが意味することは、要素と要素の間にある『関係』の存在である。
要素間の関係には、言葉にできるものも言葉にできないものもあるが、いずれにせよ他の要素との関係を無視したまま1要素だけを取り出して鍛え、それが全体で通用すると考えることはナンセンスと言える。

このことは、全体はパーツの総和よりも大きいという
「複雑系システム」の基本的な特徴に当てはまる。

サッカーは明らかに『複雑系』に該当する。
サッカーを構成する要素の間に生じる関係が非線形的な特性を持っており、それらの数から考えてもあらゆる競技の中でも非常に高い複雑度を保有する。
このような複雑系と定義されるシステムは、その内部にある構成要素を切り取って他の要素との関係性を考慮することなく個別に分析しても全体を理解することは不可能である。


技術だけを取り出して練習したり、一つの筋肉だけを取り出して鍛えても、多くの場合、全体つまりサッカーでのパフォーマンスにはつながらない。
サッカーでは1+1=2だけでなく3や10、そしてマイナスになることも”普通に”起こる。


パーツから出発して全体に至るのではなく、全体の中での位置関係(必然性)の中でパーツに目を向ける。
パーツに目を向ける時も、常に全体構造に戻れる状態を保つ。
そうすることで先述した3つの疑問点が「そもそも発生しない形」でないと、”使えない”のが競技における人間の動きである。
それらを前提とせず、パーツを独立したものと捉え中心に据える振る舞いは『パーツの暴走』である。


次回はフィジカルブラックボックス




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サッカー戦術動作アプローチ

https://jarta.jp/soccer-approach/https://jarta.jp/soccer-approach/
チームとして実現すべき戦術を実行するための動作構造を『戦術動作』と名づけ、戦術動作の理解を通して戦術実行レベルの向上につなげるための学習プログラム。トレーニングの方法はほぼ出てこない。
指導者は、選手を守るために、選手の努力を守るために、”専門家”以上にあなたの戦術における身体の動きの構造に詳しくなる決意をしなければならない。
これはサッカー指導者のための『フィジカルの取り扱いマップ』である。



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全てはパフォーマンスアップのために。



中野 崇 @nakanobodysync
YouTube :Training Lounge|”上手くなる能力”を向上
Instagram:https://www.instagram.com/tak.nakano/
Twitter:https://twitter.com/nakanobodysync

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1980年生
戦術動作コーチ/フィジカルコーチ/スポーツトレーナー/理学療法士
JARTA 代表
プロアスリートを中心に多種目のトレーニング指導を担う
イタリアAPFトレーナー協会講師
ブラインドサッカー日本代表戦術動作コーチ|2022-
ブラインドサッカー日本代表フィジカルコーチ|2017-2021
株式会社JARTA international 代表取締役

JARTA
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