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輪島への思い

自分の仕事が大変な状況なのに、輪島をはじめ能登の同業者の深刻で辛い窮状を見聞きし、気持ちが落ち込み身が入りません。そんなんでは駄目なんですが…
 
普通に、平穏に生活していたのに、なぜこのような辛い目に遭わなければならないのか、というのは東日本大震災の時にも感じたことです。自然は全く容赦がありません。
 
20年前に輪島に行き、輪島屋善仁の中室勝郎さんにお会いしたのが私と輪島との関わりの始まりでした。輪島屋さんは中国や岩手の浄法寺に自社管理の漆林を育てており、当時から先駆的な取り組みをしていましたが、中室さんの口からは「日本の漆文化はもう終わっています」というかなりショッキングな言葉が出てくるのでした。それは著書にも書かれていますし、講演会で何度も言及されるので、これから漆で岩手を振興しようと盛り上がっている我々にとって衝撃的でありました。でもそれが輪島の人たちの実感でもあり、それを踏まえて輪島は輪島なりに踏ん張っているのだと感じたものです。
その長い輪島の漆文化の誇りと矜持から学ぶべきものが岩手にもあると思い、中室さんから様々なアドバイスを受け勉強させていただきました。

それを契機に塩安さんや大工さん、岡垣さん、大徹さんなど他の輪島の漆器屋さんや輪島市役所の皆さんともご縁をいただき、輪島漆器組合の講演に呼んでいただいたり、輪島キリモトの桐本さんには「漆DAYSいわて」に多大なご協力をいただきました。また、現在当社が取り組んでいる漆の新しい採取法については、雲龍庵(北村工房)の北村辰夫さんが当初から関心を寄せていただき、北村さんの弟子が岩手にいることもあり、いろいろとお世話いただいています。イギリスから輪島に来たスザーン・ロスさんとは一緒にニューヨークで漆について講演しました。彦十蒔絵の若宮さんにも東京でお会いして、作品の先進性に刺激を受けています。輪島漆芸美術館には当社の商品を販売してもらっています…ときりがありません。

また、大船渡市出身で大学で漆を学んだけど地元に帰っても仕事がないと悩んでいた女性に輪島の漆芸研修所を紹介したのは私です。震災時彼女はちょうど大船渡に帰省していて無事でしたが、学校の再開の目処は立っていないようで私も少し責任を感じています。

このようなさまざまなご縁があり、輪島の皆さんには足を向けて寝られないと思っています。岩手で一番輪島から恩恵を受けているのは私なのではと。
 
それだけに今私ができることは何なのかと正月以来考えていますが、無力感を感じます。輪島をはじめ日本全国の漆器産地は衰退の一途で、生産額はおそらく絶頂期の1/10以下でしょう。
あらゆる伝統工芸の世界で後継者難、売上低下、原材料不足など典型的なことが言われ続けていますが、漆はその課題の最前線にあります。その中で起こった今回の震災ですから、さらに追い打ちをかけるようです。追い打ちというよりもっと過酷な状況とも言えます。

そこでどのような支援ができるかというのは、生活支援は政府や自治体がある程度やってくれるはずですが、その後の「なりわいの再生」というやつですが、東日本大震災から12年経った今でも東北では継続的な課題になっています。輪島の皆さんが今後どうしていきたいかと考えるべきことなので差し出がましいことは言えないですが、令和5年12月31日の状態に復旧するだけなら、中室さんがかつて言っていたように残念ながらそのまま衰退し滅びるだけでしょう。

当事者である輪島の方々の方が私などより真剣にもっと考えていらっしゃると思いますが、いっそRE:BORNの精神で新たな形の漆産業が輪島から湧き上がってくるのを期待していますし、私も微力ながらかかわっていくつもりです。まずは少しでも募金を。

国産漆を育て後世に継承するための活動を行っています。ご支援をよろしくお願い致します。