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【3.11東日本大震災】記録

日本人の心に大きな傷を負わせた大地震。

多くの人の価値観や人生観を大きく変えた出来事であった。

2011.3/11 14:46

当時住んでいた東京都港区高輪のマンションが大きく揺れた。

棚に置いてあった物は大きな音を立てながら落ちていった。

マンションの前の道はあっという間に大渋滞を巻き起こしていた。

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3.12 渋谷 スクランブル交差点

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土曜日の夜22時、渋谷駅前スクランブル交差点撮影

通常は多くの人で賑わう街だが、人影はまばら。

大型ヴィジョンの映像は流れていない。

2011.06/01

震災の全貌が見え、日本中が悲しみに包まれていた。

そんな中、私は某有名タレントに被災地へ救援物資を届ける手伝いをしてほしいと声を掛けられた。

不安はあったが、何もできない自分に悔しさを覚えていた私はすぐにその提案に乗っかった。

衣類やタオル、食糧などの救援物資を数台の車に詰め込み被災地へ向かった。

津波の被害を受けた海沿いの街

被災地は目を覆いたくなるような惨状。

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家や車や瓦礫で埋め尽くされた街。

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自動車も津波に飲まれてしまったようだ

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子供が大事にしていたであろう人形も

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荷台の無くなったトラックが津波の脅威を物語っている

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車に布団が巻き付いている

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家屋が流され、家同士がぶつかっているのが分かる

南三陸町

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最期まで避難勧告のアナウンスをしていた防災庁舎は鉄骨だけの姿になっていた

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06/18 南相馬

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立ち入り禁止区域には警察官が一晩中サイレンを回して立っていた

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さいごに

3週間の間、支援物資を届けて回った

タレントと炊き出しをした

その間にたくさんの人と出会った

被災してしまった人

ボランティアに来た人たち

その人たちは互いに励まし合い

時に悲しみを分かち合い

涙を流しながら感謝を伝えられて私の価値観は大きく変わった日々だった

被災地の福島や岩手で見た子供たちの笑顔は忘れられない。

空に吸い込まれる祈りや弔いの煙を忘れない。

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