見出し画像

平和な日本統一

「日本人とは何か。」、今回は古墳時代です。

3世紀後半、前期古墳時代、農地の生産性を上げていった共同体を統括する豪族ごうぞくが出現します。この豪族のお墓が古墳です。

このお墓からでてきた副葬品には武器や宝飾品以外に、農具や工具があり、それによって豊穣ほうじょうを祈る祭儀を毎日のように行っていて、祭儀により自己の水田に豊穣がもたらされると信じていたようです。

5世紀、中期古墳時代になると巨大な大墳墓になり、6世紀になると小墳墓群になるという経過をたどります。

この頃、時代により様々な変化がありますが、副葬品を見ると韓国南部の影響が強くなり、多くの帰化人が渡来したと思われています。

今城塚古墳 埴輪

大和政権による日本統一


古墳時代、近畿地方に巨大な勢力の豪族が出てきて、大和政権となり、日本を統一していきましたが、どのようにして統一していったのでしょうか?

どこかから強力な支配者がきた?
小邦が連合して外国勢力を駆逐して統一国家を形成した?
または、影響のあった韓国のように三国が一国に統一されるという経過をたどったのか?
このどれでもないようです。
---------------------------------------------------------------------------
日本の神話・伝説を分析してこの点を解明しようとした最初の学者、津田左右吉つだそうきち博士の解説。

●日本の特徴とは‥

①日本民族がこの島において生活してきた歴史が非常に長い。日本民族と同じ人種・同じ言葉を使っている民族は他にいない。

②日本の民族性を考えるのに最も必要な事は、日本人が遊牧生活をしたことがないという事。

③農業生活をしていて、一定のところに安んじて仕事をしなければ衣食する事が出来なかった。

④日本が島国であるため、海を越えての大挙移動は不可能なので、異民族との争闘という事がなかった。

●文化的優位性による統一


大昔の人間の語り草となっている事は『戦争』の事。どの民族の大昔の歴史・叙事詩じょじしを見ても大部分は戦争の話で、戦争の話なら多くの人が語り伝えるが、日本においてはあまり語り伝える事がない。

語り伝えることが無いという事は『平和』だったという事。ようするに武力をもって国家統一をしたのではない。極めて平和のうちに国家統一が行われたという事になる。

このことは日本の歴史、日本の国家の起源を考えるにあたって極めて重要な事と考える。

日本には地方の豪族が世襲的に領地を持っていて、小さい政治的勢力がいくつも存在していた。大和朝廷(権所在地は、おもに大和(奈良県)の地域および河内(かわち)(大阪府)など)はこういった政治的小勢力を次々打倒して日本を統一国家にしたのではなく、何らかの文化的優位性をもって服属させていったと考えられる。

大和地方は淀川の平原を持っている非常に豊穣な土地で、瀬戸内海において中国と交通できる非常に便利なところなので、文化的にも極めて都合の良い場所を占めていた。また、有能な指導者がいた。

中国来伝の文化が広がり、新しい文化の勢力が占めてきたことが全国統一に関係が合ったのではないかと思われる。

武力的征服ならば、急激に領土が広がるが、一気にではなくゆっくりと領土を広げていった。だから、日本の国家統一が武力的征服では無かったと考えられる。
---------------------------------------------------------------------------
紀元前300年~350年頃の日本は不明な点が多く、発掘の成果をまたなければならないが、中国や韓国の成立史と明らかに違うようです。

[感想]
私は、国を作るといったら、戦国を想像しますし、漫画「キングダム」が好きなので、中国も戦争によって中華統一しましたから、国を統一するって戦うってことだと思い込んでいました。歴史的に不明な事が多い頃なので、これが正しいのかどうか分からないとありましたが、津田先生のいうように武力でなく、文化的な統一というのが事実なら、なんだか嬉しいなと思いました。
小さな争いまで全くなかったわけではないようですが、日本は食べ物が豊かで、争いが少ない‥そんな時代が日本の歴史上大部分を占めていて、日本人のアイデンティティのどこかにその影響が残っているんだろうと思いました。

いつも参考にさせて頂いている本です。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?