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こころ学シリーズⅢ巻『「発達障害」とはなんだろう?──真の自尊ルネッサンスへ』  石川憲彦著 いよいよ予約受付!   (10月5日刊行)

これを読まずに「発達障害」は語れない。       まさに決定版!  10年の歳月を経て刊行。 

こころ学シリーズⅢ巻めがようやく日の目をみる。シリーズⅡ巻のリーフレットでは、刊行が2019年12月予定となっている。10ヶ月も遅れての刊行。このシリーズはⅧ巻完結の予定だが、そこまでたどり着けるか甚だ不安。

でも、お待たせしただけのことはある。刊行されたⅠ〜Ⅲ巻に関しては精神科心理をあわせて他に類をみない書といいたい。Ⅰ巻Ⅱ巻は、このシリーズを読み解くための基礎編としているので、ぜひ読破していただきたいのだが、基礎編だけあって歴史を遡り、生物の起源に話が及ぶあたり、やはりやや難解。かめばかむほど……のお原稿ではあるけれど、ちょっと瞼が落ちるところもある。

けれど、このⅢ巻は「いま」「私たち」「誰もが」思いあたる問題で、今後はますます「わがこと」となる問題なので、読者対象は「生きにくさ」を若干でももつ人、この社会の居心地になんとなく違和感を感じている人、全てといってよい。

それにしても、編集サイドの見積を遙かに裏切って、ゲラは筆者・石川さんと交換するたびに、ずんずん字数が増えていった。編集担当の田上さんから「Ⅰ、Ⅱ巻を超えそうです」という汗かきかきの連絡があったけれど、もう400だろうが500だろうが、出来上がればいいと悲壮感しかなかった私は、どうということはなかった。

しかし、全408頁、定価3800円+税 はさすがに、購入を迷われるだろう。

迷って買う人が少なくなるなあ。10年を超え編集を担当した者としては、無料でも公開してしまいたい衝動に駆られる。読んでほしい。子どもたちを救えるのは周囲にいる大人たちだ。私たちは安易に医療に頼り、投薬をし子どもを傷付けている事実に、目をむけるべきだ。

いま、さまざまなことが岐路に立って、行く先を探しているようだ。「発達障害」という奇妙な用語が、もう一度見直され整理されることを心から願っている。

そのために、一人でも多くの方にためらいを捨てて、この本の扉を開いてもらいたい。予約はこちらから!↓

本当に長らくお待たせしている、シリーズⅠ巻もしくはⅡ巻刊行時にご予約をいただいている皆様。皆様には刊行後一番にお送りします(Ⅲ巻送付時にお得なクーポンもお送りします)。

この機会に、Ⅰ巻Ⅱ巻にも挑戦しようという方は、こちらのセットも。↓↓↓


とりあえず、プロローグを全公開。

                  編集者・松田博美

プロローグ

「新『障害者』となる私たちの未来」から

発達上の異常を「障害」と考えるとき

新しい発達障害が次々と登場し、ほとんどの人が障害者になる。間もなくそんな日がやって来そうです。

なぜ、そうなるのか?

それはどんなふうに起こってくるのか?

本書では精神科医として、またこれからの新発達障害者として、この二点を分析しました。そのうえで、現在の発達障害者や未来の新障害者予備軍がもつべき自覚や新しい時代の生き方についてのヒントを書いてみました。

医学的にみれば、遺伝的にも育つ過程でも、正常に育つ生き物など存在しません。当然、人間も例外なく発達上の異常をもって生きています。しかし、これらの異常を「障害」と考えるかどうか、それは個人と社会の関係性によってちがってきます。

たとえば、代表的発達障害の一つAD/HD。じっとできない、落ち着きがなく動き回る、なにか別のことが起こるとすぐにそちらに気がいってしまう……。こういったことは、学校や職場で集中して机仕事をしなければならない現代人にとっては、厄介な特性です。しかしこのような行動は、人間が野生のほ乳類(とりわけ弱い雑色か草食のほ乳類)であった時代、生存のための最大の武器でした。

ちょっと草原のミーアキャットを想像してみてください。彼らはいつもキョロキョロ、ソワソワ落ち着きなく生活しています。草食のほ乳類にとってじっと集中することは、肉食の動物やほかの様々な危険から身を守るために最も危ないことだからです。

わんぱく、むてっぽう、やんちゃ、おっちょこちょい。いろいろな呼び方はあっても、つい最近までAD/HDを障害と考える人はいませんでした。しかし二〇世紀に入って、自然と人間の関係が大きく変化すると、彼らへの医学的介入が始まりました。

人為淘汰の結果生み出された新障害

四〇億年にわたって、生命は進化の過程で無数の変化をくり返してきました。ダーウィンはその過程を、突然変異による「自然淘汰」として表現しました。

そこでは、すべての変異は「従来の正常」からみればどれも「新しい異常」として始まります。そして「新異常」が「旧正常」よりも、新たな環境の中で生きるのに有利なとき、それは次世代の「正常」になっていくのです。当然そのとき、「旧正常」は「新異常」となります。

つい最近までは、生存に有利か不利かを決めるのは自然環境だけでした。

ところがこの数千年、人類社会が自然より大きい影響を人間やほかの生物に与えること(社会淘汰)が起き始めたのです。もちろん社会淘汰は、いずれは自然淘汰の流れに飲み込まれ、最終的にその一部として吸収されます。しかし人は一時的に、これとまったく逆行するような変化に突っ走ることがあります。

大気汚染、水質汚染、気候変動など、このような社会淘汰は近年無視できないほど大きくなってきました。本書では自然を破壊するような変化を社会淘汰一般とは区別し、「人為淘汰」と呼ぶことにします。

本シリーズの総論にあたる既刊Ⅰ巻「『精神障害』とはなんだろう?」、Ⅱ巻「『成長』とは『発達』とはなんだろう?」でも詳細にご紹介したように、精神障害の大部分はこの数百年の急激な社会変化によって生み出されてきました。とりわけこの数十年、変動の激化と成長・発達への注目によって、新たなタイプの障害「発達障害」が出現しました。

理由は本文に譲りますが、これらのほとんどは人為淘汰の結果だと私は考えています。

人為淘汰のスピードは、二〇〇〇年代に入り加速しています。二〇〇五年に「発達障害者支援法」が制定されると、それまでの障害者の三倍以上の新障害者が一気に誕生。バブルと揶揄されるほどの混乱が生じました。

LD(学習障害)をつくり出したもの

中でも混乱が激しいのは、現在の発達障害で最も多いとされるLD(学習障害)です。医学的には「読む・書く・計算するなどの障害」とされ、脳(機能)障害が疑われています。当然ですが、このような診断は、学校で勉強する必要がない社会ではまったく不必要でした。

こう書くと専門家から、次のように批判を受けるかもしれません。「学習とはいわゆる勉強だけを意味する用語ではない。あらゆる広義の学習の基礎となる能力を指し示す心理学的概念で、石川はわざと矮小化した解釈をしている」。

はたして、そうでしょうか。

生物として最も必要な基礎的学習能力とはなんでしょう。生きるのに、まずなにより必要な毒物発見能力。文明の基礎となる芸術創作能力。ほかにもいろいろあるでしょう。しかしこういった学習能力は、現在のLDでは一切考慮されていません。

学校を必要とするような社会への変化が学習障害をつくり出した。そう考えるほうが素直ではないでしょうか。

一九世紀から子どもの世界を支配しつづけてきた近代公教育。しかしその学校は今、根本的な変革を求められています。人工知能(AI)の登場によって、従来の勉強方法や学習内容の多くが、無意味になろうとしているのです。

読み・書き・そろばん。はたしてこれらは、自分の脳が学習するほうがよいのか? それとも、そんな暇があったら、機械との相性を磨く練習をするほうが賢いのか?

AIをうまく利用すれば、多くの学習障害児者は救われるかもしれません。また目覚ましく発展中のバイオテクノロジー(BT)とAIが組めば、多くの障害の医学的治療方法も開発されそうです。

リアルな関係性の内在化をするために

しかし、AIやBTは楽観的な未来だけを用意してくれるのではなさそうです。すでに、労働の変化による企業交代や所得格差などといった社会問題が起こり始めています。

もうすでに、次のような議論も登場してきました。

人間が機械の主人となるのか奴隷となるのか? 人が機械よりすぐれている点はなにか? そういった優劣の話から、機械にはなく人間にだけある特性はなにか? 機械と競争するのではなく、共存するためにはどうすればいいのか? などといった人間論まで。

内容は盛りだくさんです。

これらはいうまでもなく、産業革命以上の産業構造(生業)の変化の到来を暗示しています。障害は、生業が変化するたびに新たにつくられてきました。自然から生産した第一次産業から工業生産への移行が、知的障害や精神障害を生み出しました。この工業生産が量から質へという転換を強めるにつれ第三次産業が肥大化し、それに伴いLDやAD/HDのような発達障害がクローズアップされてきました。

そして、情報産業の台頭によって増加しているのが自閉症、あるいは自閉スペクトラム症です。

若い人ならアスペとかコミュ障、年配の方ならダスティン・ホフマンの演じる「レインマン」。これら今風に呼べばKY(空気の読めない)な人たちへの重圧が強まり、この数十年「障害」と位置づけられるようになりました。

KYを説明するとき、専門家がよく口にするのが「マインドリーディング(他人の心を読む)」の障害、あるいは「シングルフォーカス(限局化された視野)」という表現です。

趣味のピアノの野外演奏会の最中、途中からの雷雨で観客が全員避難した後も、一心不乱に最後まで演奏をつづけた青年がいました。

じつはこの青年、雷恐怖症で普段は雷が鳴ると窓のない部屋に逃げ込んで、全身に布団や洋服をかぶり雷がやむまで震えているといいます。毎日翌日の天気予報を確かめ、雷雨の予報がある日は家から一歩も出ないというほど徹底しているそうです。しかし、一度約束したことはなにがあっても完遂する性格で、とくに任務や職責は絶対に果たすそうです。

このような忠誠心は、たぶん自然界では獲得されなかった特質かもしれません。文明が生み出した関係性や社会性の中で、育まれてきた部分が大きいと思います。狩猟採集時代のことは不明ですが、農業の時代になると田畑を整地したり村落を形成するのには、定まったルールへの徹底した忠誠心が必要だったでしょう。自然と文明が協力し合って多様な生き物と人間が共生する世界は、すぐれた多様な特質を私たちに残してくれました。

新発達障害が急増するとき

この特質は、ひと時代前なら「職人気質」と呼ばれたかもしれません。

金が儲かるかどうか、人に評価されるかどうか。そういった世の中の暗黙の期待は一切無視。その代わり、自分がこうだと決めたルールには、生命を賭けても従う。

頑固な陶芸家や刀鍛冶など、旧時代のように職人の意気込みを人類の文化価値と美化するか、それとも頑固一徹で人の心がわからないと評価するか。評価は分かれるでしょうが、この特質は庶民の生活に根を生やしたものでした。

しかし時として、人為淘汰はこういった特質を落とし込めることがあります。

日清戦争で武勇を讃えられた木口小平という軍人。銃弾をものともせず進軍ラッパを吹きつづけ、死ぬまでラッパを離さなかったとして「軍神」と呼ばれたそうです。

職人気質、軍神、KY、自閉症。このように行為をどのような文脈で評価するのか、その社会での相場は時代によって変動します。ただ以前は比較的安定していたこの相場は、

AD/HD・LD・KYなどの横文字が示すように、近年大きく変動しています。そして今、それはAIやBTの参入によって崩れ去ろうとしているようにみえます。

人為淘汰が進行し人間の特質が否定され、新発達障害が急増するだろう。そのように私が考えるのは、このためです。

本書ではAD/HDを第Ⅰ章、LDを第Ⅱ章、自閉スペクトラム症を第Ⅲ章で取り扱います。各障害は、医学的見解をめぐって各々以下のテーマとの関連を中心に紹介します。

第Ⅰ章は、障害を治療しようとする社会的圧力が生み出す精神医療の薬剤依存傾向。

第Ⅱ章は、教育による知の細分化を生み出した知の分断と精神科診断の現状。

第Ⅲ章は、障害が新たにつくられていく過程とその中で生み出される混乱。

第Ⅳ章では、今日行われている治療を批判的に検討しながら、今「発達障害」と呼ばれている人たちにとっての問題解決の方向を探ります。

この作業を通じて、新たに障害者となる私たちの未来とそこに至る心構えも垣間みえてくるでしょう。

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