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Sky presents 舞台『中村仲蔵 ~歌舞伎王国 下剋上異聞~』東京公演千穐楽が終わって

熱狂の千穐楽が終わりました

いつも3回のカーテンコールは東京千穐楽では5回になりました
スタオベは2回目から。
そして通常ストプレは初日や楽もご挨拶が無いのが普通です
ところが今回は最後のカテコで、藤原竜也座長からご挨拶が♡
「(拍手が続く中両手を広げて)みなさん本当にありがとうございました!これからまだ地方公演がありますがよかったらぜひ観に来てください。
あのフジワラが最後じゃ締まらないと思うかもなので・・・・高嶋兄さんどうぞ!!」
高嶋さん「え?おおおお???!それでは・・・・
お客様は神様でございます!みなさま誠にありがとうございました!」
(と、4代目市川團十郎のままで)
・・・・・・・・・・・・・・

個人的には2024年既にナンバーワンの作品

正直もっと通いたかったです
地方公演はチケットを取って無かったのですが、仕事の都合もあり、観劇に行けそうな日程を見てももうチケットが残って無い・・・涙
再演熱望です!

「2024年、藤原竜也の中村仲蔵を見た」という経験は、観客にとって後世まで自慢できると思う。

ホリプロ会長のX(旧Twitter)投稿より

SNSにも「本当に観劇出来てよかった」「生きているうちに藤原竜也さんと同じ時代に生まれててこの作品を観られてよかった」という言葉が飛び交っています
どの作品も観劇出来る・出来ない、は、単なる”ご縁がある・ない”です
どんなにお金と時間があってもその時に何か別の大切な優先事項があったら観劇はしないという選択を取ることも人生ではあるでしょう
だからもし今回「中村仲蔵」を観劇されなかっとしてもそれはご縁が無かっただけに過ぎません
ただ、観劇した”見物衆”は引用したホリプロ会長のポストの一文に尽きる経験をしたと思います

私も心から”中村仲蔵舞台を観たことを後世まで自慢できる”と思っているので記憶が新しいうちに印象的だったことを書き留めておきたいと思います

公演グッズ

第一幕 楽屋嬲奈落地獄(がくやなぶりならくのじごく)

第三場 売られる中蔵

血筋や人脈や金脈も無い孤児だった中蔵(藤原竜也・仲蔵になる前の名前)が中村伝九郎の弟子になってからの場面から始まります。中蔵19歳くらい。
初代市川八百蔵(市原隼人さん)に見初められ、師匠の伝九郎に売られたことも知らず八百蔵に手籠めにされる場面がほぼ冒頭にあり客席が冷や水を浴びた状態になります
この八百蔵に手籠めにされるシーンは初日は客席が引くくらいのリアリティがあるシーンも含まれていましたがその後少し手直しされたのか、ほんのちょっとだけマイルドになっていました
個人的にはマイルドにする必要があったのか?と思います
タカラヅカやディズニーでは無いのと、手籠めにされた後に伝九郎に言われる「生きてりゃどうしようもないことがある。理不尽に抗うな。血筋や金が無いヤツが生きていく術はそういうことだ」と言い放つ場面。
その後”念者”であった初代八百蔵が急死し、後ろ盾も失った中蔵は一度は役者の世界から身を引きます。”どうしようもないこと”がまた起こってしまったからです
八百蔵の所業が残酷であればあるほど伝九郎の言葉がグッと生きたはずなので、初日の八百蔵と中蔵の場面を私は観ることが出来て良かったと思っています

第十二場 中蔵再生

ホリプロステージより

出戻った中蔵は最下層の稲荷町から再出発したのですが、大スター四代目市川團十郎(高嶋政宏さん)に目をかけられたことが仇となり、師匠の伝九郎の嫉妬や野望を持つ立作者の金井三笑(今井朋彦さん)の罠にはまり、同僚たちの怒りも買ってしまった中蔵は熾烈な楽屋なぶりの餌食となります
正直この”楽屋なぶり”のシーンはもちろん暴力的なシーンなのですが、あまり残虐感が持てずにいました。(”救いようがないシーン”とまではいかないという意味です。ああこういうのって歌舞伎の世界だけじゃなくて部活とかそういう世界でも似たようなことあったな・・・と思ってしまう世代だからでしょうか)
この後中蔵が大川に身投げするくらい絶望したのは、楽屋なぶりにあって身体を傷つけられたからでは無く、兄弟子である役者(植本純米さん)に「食うために役者やって何が悪い?オレたちはそうやって生きていくしかねえんだよ!」と吐き捨てられたことが死を選ぶことになった一番の原因なのではないかと私は考えました
「やりてえ芝居が出来ねえなら、死んだ方がマシだ」という中蔵の言葉。
周囲の言うことが正解であればそれは中蔵がやりたいと思っている芝居が一生出来ないことになるからです。これ以上の絶望はあるでしょうか?

初代八百蔵との「どうしようもないことに抗えない」関係性、そして生きていくためにいったん役者を辞めなければいけなかったこと、役者に戻ってもやりたい芝居が出来ないという絶望感
第一幕は、これでもかというくらい中蔵の前にまっすぐ伸びる光の道が何度も何度も遮られます

そして大川に身投げをし、酒井新左衛門(市原隼人さん・2役目)という旗本の四男坊に命を助けられ、中蔵は改めてやりたい芝居をやり続けようと決意するのです
一幕のラスト、ピンスポに抜かれボロボロの身なりで舞台中央で芝居を続ける仲蔵=自分の生きる道、への決意を表現する壮絶な姿に心を奪われます


第二幕 恵俄雨出世花道(めぐみのあめのしゅっせのはなみち)

”一度死んで生まれ変わった中蔵”は自分のやりたい芝居の道を突き進みます
そして出戻ってからわずか五年で、コン太夫(池田成志さん)の予言通りに”名題役者”の仲間入りをしますが、またしても伝九郎や三笑の陰謀と嫌がらせに巻き込まれ、名題役者なのに”弁当幕”と揶揄される五幕目(五段目)の斧定九郎1役のみを与えられることになります
五幕目の場面を心に浮かべながらなんどもなんども「雨の山崎道・・・・」と口ずさむ仲蔵の姿に”見物衆”たちである我々はいったい仲蔵はどうするつもりなのか?と手に汗を握ります

YouTubeの動画は現代で実際に上演されている五段目山崎街道のものです
(※舞台中村仲蔵でもほぼこの動画と同じシーンで展開されています)
今でも使われている演出を最初に考えたのが中村仲蔵だったのですよね
そう思いながら舞台を観ていると本当にこのシーンは感動しました

ホリプロステージより斧定九郎

初日明けはこの時の定九郎の「五十両・・・・」というたった一言のセリフに笑いが起きていて(実際藤原竜也さんの言い方が滑稽に聞こえてました)歌舞伎ファンの方々が「あそこで笑うのはおかしい」「歌舞伎でも笑いは起こらない場面」「笑うな」とSNSなどでおっしゃっていましたが・・・
舞台を観ている時はその時の感情をその場で持ちます。だから笑ってしまうのもありだし笑わないのもありだと私は思っています
アレが面白い言い方だなと思った客が笑ったことは別にマナー違反でもルール違反でもありません。その場の感情に素直になっただけです

ただ私が観劇した2/24のマチネと2/25の東京千穐楽では仲蔵の
「五十両・・・・」の言い方が変化していてほとんど聞こえないくらいの喉から絞り出すような声量で絞り出すように言うようになったため笑いは起こりませんでした
この変化によって「五十両・・・」に込められた定九郎の心情が本心がどういうつもりだったのか?観客は一瞬考えさせられます

十四場 政権交代と楽屋の喧嘩(ラスト)

中村仲蔵舞台のラストは、四代目市川團十郎が息子に跡目を譲るための引退口上から始まります。
千穐楽の私の席が最前列のドセンターだったため、高嶋政宏さん演じる團十郎が見物衆たちに対して引退を認めてくださいこの後は隠居します、と言う口上をまるで自身に言って貰っているかのような気持ちになりました
(ずっと四代目團十郎を見守って来た見物衆の気持ちにしていただきました涙)
四代目團十郎が去った後、楽屋では二代目市川八百蔵(浅香航大さん)、松本幸四郎(古河耕史さん)、五代目市川團十郎(深澤嵐さん)たちが誰が本当に四代目の跡を継ぐにふさわしかったのか?で喧嘩をしている最中に、三番叟の衣装を着けた仲蔵が現れ、既にこの世を去った人たちも舞台に戻って総踊りになります
三番叟はそもそもは何かを始める時(襲名披露など)の踊りで、引退の時に演じられるものでは無いそうなのですが、中村仲蔵舞台の中では四代目團十郎がこれを仲蔵にやってくれと指定したとのことだったので、今でいうとネクストキャリアへの門出の演目のような意味もあったのかもしれません

また常に次世代のことや歌舞伎の未来のこと、若い人たちを育てることを考えていた四代目團十郎が次世代へのエールにして欲しかったのかもしれません

舞台中村仲蔵の仲蔵は決して孤高の天才では無かった

蓬莱竜太氏演出のこの舞台の仲蔵にはいつも必ず”支援者”が周りに居ます
但しその支援者たちは、倒れている仲蔵に手を差し伸べて起こしてくれる人たちでは無く、仲蔵が自身の生きる道を進むためのヒントを出してくれる人たちであり、一緒に切磋琢磨するライバルだったり仲間だったりしています

「外郎売」の最後に舞台後ろのセットの簾が開いて、役者仲間たちが三階から一階まで鈴なりになって仲蔵の外郎売を見ている・・・・
「ういろうはいらっしゃりませぬか」を言い終わった後仲蔵に走り寄って集まって来る役者仲間たちの中には千穐楽は特に本当に泣いている役者さんもいらっしゃいました
(仲蔵!仲蔵!の手拍子もいつもよりも長かったです)

ホリプロステージより「外郎売」

現代の俳優の中で最高峰を走っていると中村勘九郎さんにも言われた藤原竜也さん。天才だし誰にも真似できない芝居をする方ですが、決して孤高の天才では無いです
外郎売からこのラストの舌出三番叟までは仲蔵と藤原竜也さんがとても重なりました

人が道を極めようとするときはたった一人で歩いていかなければいけないこともある(先人が居ないまたは先人を追い越した場合)
だけどその道の周りには期待してくれたり応援してくれたり励ましてくれたりする人たちもいる
そんな人たちの一部=見物衆として客席に座ることが出来た中村仲蔵舞台。
改めてこの演劇が上演されている今観劇することが出来て心から幸せでした

ラストに舞台に舞い散る桜の花びら。最前列に座っていた時にたった1枚目の前の客席床に落ちて来たので記念に頂きました






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