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ダイバーシティーインクルージョン向上ルールは機能したとは言えない第96回アカデミー賞授賞式で起きたこと

2024年の第96回アカデミー賞から作品賞のノミネート作品は、「表現、テーマ、物語」「リーダーシップとプロジェクトチーム」「業界へのアクセスと機会」「観客の育成」に関する4つの基準のうち、2つを満たしていることが必要とされる。
「表現、テーマ、物語」に関する基準の内容は、「主演もしくは助演俳優のうち1人が、アジア人、ヒスパニック・ラテン系、黒人・アフリカ系アメリカ人など人種・民族的少数派であること」「そのほか30%の割合で、女性、人種・民族的少数派、LGBTQ+、障害を持つ人のうち2つのグループの俳優を起用すること」「メインテーマやストーリーが、女性、人種・民族的少数派、LGBTQ+、障害を持つ人のどれかであること」のいずれかに当てはまる必要がある、というもの。
また「リーダーシップとプロジェクトチーム」に関する基準としては、「スタッフの中でキャスティングディレクターや監督、プロデューサー、撮影監督などリーダーシップをとるポジションのうち、最低2人は女性、人種・民族的少数派、LGBTQ+、障害を持つ人のいずれかであること、かつそのうち最低1人は人種・民族的少数派を起用すること」「技術職スタッフのうち最低6人は人種・民族的少数派であること」「スタッフの30%以上が、女性、人種・民族的少数派、LGBTQ+、障害を持つ人であること」のどれかに当てはまる必要がある

2020/09/09ぴあニュースより引用

2020年に発表された新基準の実施は今年の第96回から適用されました。

これらの新基準は「作品賞」のノミネートに適用されたもので、「ルール」は守られていました。特に2016年までは”Oscars so white”(白すぎるオスカー)と言われ続けて来たアカデミー賞もここまで進化してきたことは喜ばしいことだと思います。しかしながら昨日の授賞式をLIVEで鑑賞していた私が持った違和感は多くの人たちも同じように持っていたことが後から分かりました

ロバート・ダウニーjr.のふるまい

第96回米アカデミー賞で、作品賞を受賞した『オッペンハイマー』に出演したロバート・ダウニーJr.が初めて助演男優賞を獲得した。3回目のノミネートにして初の受賞だったが、プレゼンターを務めたアジア出身の俳優を無視したのではないかと物議をかもしている

ハフポスト「「アジア系を無視?」 ロバート・ダウニー・Jr.の
アカデミー賞壇上での振る舞いが物議を醸す(アメリカ)」より引用

昨年助演男優賞を受賞したキー・ホイ・クァンさんがオスカー像を持ってRDJに渡す役割でした。動画を見るとよくわかるのですが

オスカー像を差し出したクァンさんから像を受け取ったが、クァンさんと目を合わせることはなく、その奥に立っていたロビンスさんと握手し、ロックウェルとグータッチをして感謝を伝えた

ハフポストより

この時のRDJの本当の気持ちは誰にも分かりません。ただLIVEで見ていた私は「なぜオスカーを渡すクァンさんを全く見ないのだろう。感じが悪い人だな」と瞬間的に思いました。SNS民もこの感情が湧いた人たちが多くネットニュースで取り上げられたのが事実です
ただ受賞スピーチが終わった後舞台裏でRDJとクァンさんは肩を組んで笑顔で一緒に写真を撮っています。その事実からはRDJが意図的にクァンさんを人種差別の意思を持って無視したのではないことは分かります(と、私は信じたいです)

無意識の時に人のホンネが行動に出る

RDJにとって今回の受賞は初めてです。それは気持ちも高揚するし本当に嬉しかったのだと思います。舞台に上がってすぐに目に入った人がティム・ロビンス氏(白人)でありロビンス氏と握手したかったのでしょう、それは理解できます。しかしながらこの行動は「マイクロアグレッション(小さな攻撃性)」=「明らかな差別に見えなくとも、先入観や偏見を基に相手を傷つける行為」と多くの人たちに受け止められました

主演女優賞を受賞したエマ・ストーンの行動もマイクロアグレッションだったのか?

この動画は”どう見たいか?”でエマの行動が違った意図に見えて来るという事例です

エマの行動を”マイクロアグレッション”と見ると・・・

「エマ・ストーンはミシェル・ヨーがトロフィーを渡そうとしているのに透明人間扱いして(トロフィーを)ずっと引っ張って、自分の友達(ジェニファー・ローレンス)から賞をもらう構図にした」

中央日報より

またジェニファーとエマがハグしようとしている時にサリー・フィールドが明らかにジェニファーの服を後ろから引っ張って、ジェニファーを止めていてその後エマのスピーチが始まった時もセンターに寄ってしまっているジェニファーを脇に連れ戻しています

一方で動画をスローモーションにしてSNSにUPした視聴者によると

「ミシェル・ヨーはジェニファーとエマが親友であることを知っていたのでトロフィーをジェニファーからエマに渡して貰えるようにジェニファーに譲っている。ミシェルが自らそうしたのだ」

Xの投稿より

不思議ですね。”どちら側の見解から物を見るか?”でこれだけ違ってくる
私はLIVEで見ていた時はエマがミシェルを無視したようには感じませんでした。

ミシェル・ヨー自ら自身の行動についてInstagramで言及しました

昨日の物議の後ミシェルは自らのInstagramにこの投稿をしました

Congratulations Emma!! I confused you , but I wanted to share that glorious moment of handing over Oscar to you together with your best friend Jennifer!! She reminded me of my Bae Jamie Lee Curtis ♥️✨ always there for each other!! 😘😘😘
(エマ、おめでとう!あの時困惑させてしまいましたがあの素晴らしい瞬間に私はあなたの親友であるジェニファーと一緒にあなたにトロフィーを渡したかった。ジェニファーは私自身の親友であるジェイミーを思い出させたから)

ミシェル・ヨーのInstagramより

これはミシェル自身の美しい言葉であり、行動の意図の表明です
ミシェルがInstagramにUPしてくれて本当に良かったと思います

Godzilla Minus Oneの山崎監督の受賞スピーチには音楽(追い出し曲的な)がかぶせられた

この動画の2分25秒過ぎくらいから”追い出し曲”がスピーチにかぶせられています
山崎監督は英語のネイティブスピーカーでは無く、用意した英語のスピーチを読み上げていますがたどたどしく(当たり前です)、途中で詰まってしまったりしていたので確かにスピーチは少し長くなりました
進行としては受賞者のスピーチ時間も決まっていてそれを過ぎたから追い出し曲を始めたのだと思います
これは「ルール」です。ルールに従ったにすぎません
しかしながら”フェアだったのか?”という観点でこの追い出し曲を考えると私の答えはNOです
今までも受賞者のスピーチに音楽がかぶせられたことはありました。ただそれは長々と永遠に知り合いの名前を呼び連ねていつまでたっても終わらないからというシーンだったと記憶しています
→これは名前を呼ばれている受賞者の知り合い以外には必要が無いシーンだからです

しかしながら音楽がかぶせられた山崎監督の言葉はそういうシーンではありませんでした。どうしても伝えたいことを会場の人たちとその場にいないクリエーターたちに向けたメッセージの途中でした

”言葉の壁”があるマイノリティのスピーチを「時間制限というルール」で切ろうとしたアカデミーのスタンスは私はフェアでは無い、本当のダイバシティーインクルージョンには程遠いと思いました

毎年見逃せないアカデミー賞授賞式。これからもダイバシティーインクルージョンを進化させてほしい

ダイバシティーインクルージョンへの道は試行錯誤です
人は無意識の価値観をすぐに変えることは出来ません
アカデミーは長い時間を要して”白人だらけのオスカー”は乗り越えました
しかしながらまだまだ他のマイノリティに対してのリスペクトはパーフェクトとは言えないのではないでしょうか
それでも試行錯誤しながらも前進していってほしいと強く願います





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